深海少女
□0.2
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夏休みのある日
塾の夏期講習からの帰り道
私の足は、いつの間にかストリートテニスにたどり着いていた
夕焼けの中でボールを追いかける人達
このぐらいの空の色は、1番ボールが見え難かったな・・・と
そんな事を思い出して懐かしめる程に、私の心は落ち着きを取り戻していた。
だけど神様は---もしも神様がいるのならば、だが
それは私の目の前に、どうあっても『テニス』を突きつけたいらしい
「柊、か…?」
「え・・・?」
呼ばれた名前に、反射的に振り向いた。
相手は、黒目黒髪の綺麗な男の人
背は高く、涼しげな目元と薄い唇が落ち着いた雰囲気を感じさせる。
手にテニスラケットを持った彼には、見覚えのある面影が残っていた
「徳川、くん?」
それは、テニススクールに行っていた時の知り合いだった。
「驚いた・・・久し振り、ですね」
「ああ・・・そうだな」
2つ年上の彼は抜きん出てテニスが上手かったので、私は覚えていたのだが
徳川君は大人しい---といよりむしろ寡黙で、言葉を交わすのは挨拶ぐらいだったと思う。
私が一方的に彼を知っているだけだと思っていたため、こうして声を掛けられて---名前を覚えられていて驚いた
徳川君はラケットを持ち、スポーツウェアを着ている
彼は、テニスを続けているのだ
「打っていかないか?」
「え?」
「昔から、柊とは試合をしてみたいと思っていたんだ」
「そうだったん、ですか・・・」
「ここで会えたのも何かの縁だ。もし時間があるなら、相手をしてくれないか?」
「その、私・・・」
無性に、後ろめたくなった
徳川君が私を覚えていてくれたからだろうか
私とテニスをしたいと言ってくれたからだろうか
「テニスは・・・止めたんです」
夏の暑さのせいではなく、喉が渇いた
「どうして・・・怪我でもしたのか?」
「いえ---違います」
「ならどうしてやめたんだ!!」
「!!」
突然、大きな声を上げられたことに驚いた
その相手が、徳川君だということにも驚いた
テニスのことで責められるのは---嫌だった
「・・・悪い」
「いえ・・・」
急上昇した怒りは、一瞬で冷めたらしい
気まずげに、罰が悪そうに謝る徳川君は、怒られた私よりも動揺しているようにも見える
「テニスを止めた、のは・・・」
飽きた、とか
実は身体を悪くした、とか
適当な嘘はいくらでも思いつくし、これまで知り合いに聞かれた時はそう言って乗り切ってきた。
だけど私を、私のテニスを見てくれていた彼に、嘘はつきたくなかった
「私に、テニスをする資格がなくなった---ううん。最初から無かった」
「資格?」
それだけを言うのに私がどれだけの勇気を必要としたかは、誰にもわからないだろう
「すいません、失礼します」
「おい、待っ・・・!!」
逃げるように私は駆け出した
+++++
それから約1週間
何事も無く、だけどどこか心に重石を抱えたまま時は過ぎた
塾からの帰り道
あの時のテニスコート
彼に会える気がした
「柊・・・」
「・・・徳川君、こんにちは」
今日の彼は、テニスウェアではなく制服だった。
しかし、隣にはテニスバック
ストテニ近くのベンチに座っていた徳川君は、私を見ると正面に歩み寄った
「この間は、ごめんなさい・・・」
「・・・・・」
何も言わないその沈黙が、私を責めているようで恐い
しかしいろんな可能性を考え、覚悟をしていた私に掛けられた言葉は、意外なものだったけれど…
「来週の日曜日・・・」
「え?」
「来週の日曜日、俺の試合がある」
夏も終盤
中学3年生の彼
これが引退試合だろう
「見に来ないか?」
2011.5.26