深海少女
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「そういえば、精市が話していた」
書庫に入り、本を所定の位置に戻し初めておよそ10分
慣れている羽音と、理由はわからないが何故かスムーズな柳の2人により
やるべき本の量はどんどん減っていく。
2人して、最近の部活の様子や読んだ本の話など
とりとめもない雑談をしながらの作業だったのだが
突然話題転換をした柳の言葉に
ここで初めて、羽音の表情に戸惑いの色が乗る
「ええと・・・何を?」
「俺の声が気に入っている、と」
「ああ、あれか・・・幸村君」
羽音は頭痛を堪えるように頭に手をやり天を仰ぐ。
予想していた事とは違ったけれども、これも中々に言って欲しくなかった話題である。
「光栄だな」
「・・・それはどうも」
やられてばかりじゃいられない。
羽音の中に、不意に過ぎった悪戯心
この立海テニス部が誇る参謀相手に、やめておけばいいのに
やめておくべきだとわかっているのに
この時の羽音は好奇心に勝てなかったのだ。
「まぁ、でも私は柳君の声というよりも・・・」
羽音は手に持っていた最後の一冊を所定の場所に置くと、柳との距離を詰めた
「この香りが好ましい、かな?」
柳が腕を動かせば抱き締めてしまいそうな至近距離
案の定、不意打ちに弱いデータマンは
目を開けて驚きを露にしていた。
その様子に勝利の感触を掴んだ羽音は、悪戯めいた顔でさらに続ける
「柳君のは匂い袋よね。安物の香水なんかじゃ太刀打ちできない・・・良い匂い」
そうして、柳の胸元に擦り寄り---
「この香り、すごく好きだよ」
ささめごとを言うかのように、甘い言葉を口に乗せた。
一瞬で硬直した相手の気配に気を良くし、だけどこの辺が引き時だろう、と顔を上げようとした所で---
「・・・・・」
「!?」
ぐっと強い力で引き寄せられた腰
同時にガラッと鳴る、ドアが開けられる音
羽音は咄嗟に顔を隠そうと、柳の胸元に顔を埋めた。
「し、失礼しました!!」
バタバタと慌しく駆けて行く足音が、どんどん遠ざかっていく
上擦った声は、女子生徒のものだった
「・・・謀ったわね」
「お互い様だ」
ニヤリ、と笑んだのは柳
一瞬の判断が、ギリギリの所で羽音を救った。
柳の胸元に埋められた羽音の顔は、恐らく逃げた女子生徒には見られていない。
「・・・はぁ」
敗北を感じつつ柳から離れようとした羽音の腰には、それを阻む手が添えられたまま
何のつもりか、と柳を見上げれば
そこには心底愉しそうに、策士めいた笑みを浮かべる参謀の姿があった。
「この香りが気に入ったなら、やろう」
「え?」
「この香は白檀を基調にしたオリジナルの調合で、少なくとも立海では2つと持つ者はいないだろう」
「なら・・・」
「密やかに、同じ香りがする2人・・・さて、何人が気付くだろうな」
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「どうした?柊」
「?」
教室に戻った羽音を見て、隣の席の真田が眉を寄せる
「顔が赤いぞ。まだ調子が悪いのではないか?」
「だ、大丈夫だよ。ちょっと、その・・・暑くて」
「?そうか。それならばいいが」
季節は初夏を過ぎて夏本番へと変わってきている
暑い、という羽音の言葉を、真田は何の疑いも無く受け入れた。
「流石、策士の名がピッタリだわ」
いつか反撃してやろう。と心に報復を誓うものの
とりあえず今は火照った頬と、予想外に高鳴る心臓を落ち着ける事に精一杯な羽音だった。
2011/11/15