長編
□1993年 夏
1ページ/1ページ
比良境/宮田医院周辺
1993年/11時25分14秒
ジジ、と蝉が私の上を飛んで行った。
その羽音に驚いてしゃがみ込んだ。
「─あつい…」
私は今、おばあちゃんとおじいちゃんの住んでいる家へ向かっている。
おばあちゃんは足と腰が悪くて、歩くのがむずかしいらしい。
おじいちゃんはご飯が作れないから、こうして私やお母さんがご飯を作りに行くのだ。
「到着ー」
鍵を取り出して、差し込む。
ぐるりと回してドアを開けた。
─ハズだった。
何故だろう。開けたハズなのに、閉まってる。
と、言うことは。開いてたって事だ。
「不用心なんだからー…」
もう一度鍵をひねってガラガラとドアを開けた。
すると、玄関には見慣れない靴が、二足。…お客さんかな?
とりあえず靴を脱いで、部屋に向かった。
部屋に入る一歩手前で、中からお婆ちゃんの声が聞こえてきた。
「ありがとうございました、先生」
「また来週、往診に参りますので」
…どうやら、先生が来ているみたいだ。
診察も終わったみたいだし、先生が出て来るまで待ってよう。
そう思って、襖に伸ばした手を引っ込めようとした、丁度その時。
スッ、と襖が開いた。
「─あ…」
「─………。」
視界には、真っ白な白衣と、少しの薬の匂い。
ゆっくりと顔を上げれば、私よりいくつか年上に見える男の人が、少し驚いた顔で私を見つめていた。
「…あ、あの」
「あら、桜じゃないの…もう、そんな時間なのね。
先生、この子は私の孫でして。桜って言うんですよ。ほら、桜、先生方にご挨拶して」
そう言われ、私は慌てて名前を言ってペコリと頭を下げた。
おばあちゃんの側に立っている男のお医者さんと、私の目の前にいる若い人。
どちらも軽く会釈を返した。
「桜、この方はね、いつも私がお世話になってる宮田医院の院長先生なのよ。貴女の目の前にいる人は、お医者様見習いなんですって。宮田…司郎君って言ったかねぇ」
「…はい」
宮田司郎…という見習いさんは、もう一度頭を軽く下げてみせた。私も改めて会釈をする。
…なんだろう、宮田さんと、どこかで会ったことがある気がするんだけど…。
「あの、私たち、会ったこと、あります…か?」
「いえ」
初対面です、と宮田さん。
やっぱりそうだよね。気のせいだ。すみません、と謝れば、また短い返事で「いえ」と返された。
なんだか会話が続かないなぁ、と思っていると、院長さんが歩き出した。
「司郎」
「はい」
「では、次がありますので、私たちは、これで」
「はい、ありがとうございました、またお願いしますねぇ」
「あ、ありがとうございました!」
私は宮田さんと院長さんを玄関先まで見送ってから、おばあちゃんの昼食作りに取り掛かった。
***
刈割/不入谷教会
同日/15時12分22秒
「まーきのさん」
大体、いつもの時間通りにここに来た。
教会の扉を開け、中を覗けば牧野さんが座っていた。
八尾さんは、いないみたい。
「桜ちゃん…こんにちは」
「こんにちは!」
「今日も、元気だね」
牧野さんがニコ、と笑う。 それを見て、私もニッコリ笑ってみせた。
「今日は、クッキー焼いてきましたよー!」
ジャーン、と綺麗にラッピングされた包みを差し出す。
それを見て、牧野さんは小さく笑う。
「桜ちゃんのお母さんが、焼いたんだよね」
「そ、そうですけど!ラッピングは私!です!…どうぞ!」
差し出したクッキーを受け取ると、少し困ったような顔をした。どうしたのかと頭にハテナを浮かべると、「解くのが勿体ないな」なんて。
ほどかなきゃ、食べられないのに!私がそういうと、「そうだよね。…勿体ないけど、解くよ」とラッピングをほどいて、クッキーを口に入れた。
サクッと良い音が耳に入る。
「美味しい」
「お母さんも、喜びます!あ、こっちは八尾さんにあげて下さい!」
「ええ、分かりました」
* * *
しばらく牧野さんとお話をしていて、フと気付いた。
牧野さんの、顔……今日のお医者さん見習い……ええと、確か宮田、さん。
そう、宮田さんとソックリなんだ。
「牧野さんだ!」
「え…!?わ、私…?」
宮田さんを見て、会ったことがあるように感じたのは、牧野さんと似ていたからだ。
「牧野さんて、兄弟いますか?」
「ど、どうして、急に」
「今日、宮田医院の院長さんと、見習いの宮田、司郎さん、に会ったんです。宮田さん、凄く牧野さんと似ていて。
でも、名字違うし。でも、他人とも思えないくらい似てるし…」
そこまで言うと、牧野さんは黙り込んでしまった。
肩をすくめて、床へと視線を落とす。ああ、触れたらいけなかった内容だったんだ、と思って、私は腰を上げた。
「すみません、なんか、触れちゃいけない話し…みたいですね。私、帰りますね!また来ます!」
そう言って教会から出ようとした時だった。牧野さんのボソリと呟くような声が聞こえた。小さくて聞き取れず、思わず「え?」と聞き返すと
「……双子、なんだ。私と、宮田さんは」
私はポカンとした表情のまま、その場に立ち尽くしてしまった。
-続-