ループ
□序章
7ページ/15ページ
数ヵ月前 ―――――― 。
「…そこの娘さん…悪いが、給仕をやってくれないか…。俺は少し前から足が悪く、この調理場から出られない。茶や食い物は俺が作るから、運ぶだけ手伝ってくれないか…?」
物心付いた頃から、頼まれると断れない性質だった…。
そして私は、正直、渋々…という感じで店主の頼みを引き受けた。
軽い気持ちで係わった手伝いだったが、予想以上に大変だった。
私は裏口から店に入ると、無造作に置かれた白い前掛けを着けて、次々に出されるお茶や料理を忙しなく、ひたすら運び、お客の注文を聞き、それを店主に伝え、運び、とにかく頑張った ―――――― 。
「…ふぁ〜〜…疲れたぁ……」
「ご苦労さん…お陰で助かった…。これは礼だ…」
そう言って、調理場から店主が何かを台に置いた。
私は目を丸くした。
なんとそこには、小判が4枚もあったのだ…。
「ッ…そんな…!要りませんよ!!」
「そんな事言わないでおくれ…。本当に嬉しかったんだ…。…少し前には女房がいたが、どういうわけか前掛けを置いて居なくなっちまって…。客はいきり立つし俺は足が動かねぇし…、どうにも困ったところに、娘さんが居てくれた。…ありがとう…」
「いいえ…。私でお役に立てるなら、嬉しいです」
「あんたは、いい娘さんだ……」
結局、放っておけなくなってしまい、未だにこの店で『手伝い』をしている。
それから店主とは、一度も顔を合わせたことはない。
足が動かないという店主は、店を閉めた後も、眠る時も、調理場に篭っていた。
その事を奇妙に思ったりしていたが、人それぞれ、事情があるんだろうと気にしない事にも慣れてきていた。
店主の寝床は店の調理場、転がり込んだ私は、店主が以前に奥方と住んでいた平屋を借り、私はそこで寝起きしていた。
「じゃあ、住まいは別で?」
「…やっぱり、見ず知らずの男の人と一つ屋根の下…っていうのは抵抗ありますし…」
「あぁ…成程…」
ニヤリと哂う薬売りの表情に、色々と見透かされたようで無性に腹が立った。
「ちょっと…薬売りさん?!」
「いやいや…なんでも…」
私は頬に熱がはしっていくのを感じながら、ふん…と横を向く。
「…だから、私はただ運ぶだけ。店に来るお客さんに運ぶだけです」
「店主に会ったことがないと…言っていましたね」
「えぇ…。足が悪いんだそうですよ」
「しかし、一度もない、というのも…妙な話でしょう?」
「…確かに…そうですけど…」
私は、店の奥にチラリと目を向ける。
そういえば、こんな時、店主は調理場に篭って何をしているんだろう?
調理場は、恐らくそんなに広いわけでもないと思う。
「店に来た客に、何か気になる事は…」
「お客さん……?」
あぁ…そういえば……。
「別に大した事じゃないですけど……。皆さん、ウチの店主の出す水をとても喜んでくれますよ。何の果実を絞ったのかと訊かれます」
「果実…ねぇ…。あんたも…飲んだのか…?」
「いいえ…。その頃には、私の分はもう無いんですよ。ここまで歩いて来た人達に出す物ですからね。本当は飲んでみたいけど…」
「飲んだ客に…、何か、変わったことは…?」
「えぇ〜…?そんな事訊かれても…。――――― そうですねぇ…皆さん、清々しい顔で歩いていかれますよ。疲れなんて本当に吹き飛ばしちゃうみたいです」
歓喜するように笑い、自分の事の様に言う私を見る薬売りの視線は、秋の夜風のように冷ややかだった……。
.