群青の

□Hide-and-Seek
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重ねた食器を慎重に運び、洗い場でザッと流してスポンジを手に取る。
もこもこの泡で滑らないように、満遍なく汚れを落とし濯いでいけば洗いカゴに水を切って立てかける。
そして、後から後から運ばれる食器に同じように繰り返すこと数回。
溜まった食器を拭き取り用のタオルで小気味良い音を立て、食器棚にしまっていた千影に背後から不意に声が掛かった。

「感心だなぁ。お手伝いかな?」
「?あれ、刑事さん…。こんにちわ?」

振り返ったそこに、腕を捲ったシャツにネクタイの顔見知りの刑事が、穏やかな笑みを浮かべていた。
けれど今千影が立っている場所は従業員か身内だけが立ち入る場所だ。

その事に怪訝顔をする千影に気付いたのか、苦笑いをして外を示した。

「君のお母さんに用があってね。そうしたら奥に行って待つように言われたんだよ。決して、不法侵入じゃないからね。」
「…母に?ぁ、お茶いれますね!」

いやお構い無く、という言葉にそれとなく笑って返し、千影は店で出している冷たいお茶をグラスに注ぎコースターの上にそっと置いた。
少し恐縮したふうにそれを手にとった刑事の動きを、再び食器を拭きながら背中越しに見た。

カラリ、と氷が傾く。

「…今日は休みなのに、君は遊びに行かないのかい?」
「…今日は、用があったので…。」
「用事ってお手伝いの事かい?」

やっぱり感心だな、と笑う顔に振り向いた千影の視界の向こうから汗を押さえながら母親が洗い場兼休憩室に入ってきた。

「お待たせしてすみません。お茶お出ししたのね、ありがとう。千影は休憩して来て良いわ。塚内さんと話があるから。」
「分かった。…失礼します。」
「お茶をありがとう。」

ペコリと頭を下げてそそくさと奥へ下がった千影が、壁に隠れそっと息をついて影を伸ばした。
一体何の話をするんだ、とジワリと隙間を縫って聞き耳を立てる…。
はずだったそれは突然突き立てられた痛みに弾け飛んだ。
その衝撃に千影が声を上げずに蹲り、痛みに悶絶していた時、微かに壁の向こうから笑い声が聞こえた。

『ごめんなさい、ウッカリ手元が狂っちゃったわ〜!』
『いえ…、『うっかり』でペンが壁に突き刺さるの、初めて見ました…。』

高笑いする母親の声に身の危険を察知した千影は、余計な事しなければ良かった、と音を立てず一目散に逃げた。


壁に突き刺さったそれを引き抜きながら、千影の母親、鏡ヒカルは遠ざかる娘の気配に呆れつつ、密かに笑いくるりと自分のところに来た客人に向き直って笑った。

「失礼しました。じゃあ改めて…本題に入りましょうか?」





ほんのちょっと触れただけでも痛みの走る額の一部に涙目になりながら、いつものラフな格好に戻った千影が、少しずつ賑わい出した自宅周辺の道を歩く。

(っ、やっぱりママは恐い…!)

行く宛もないのに出て来てしまったのは、当然さっきの出来事があったからで、気になってしまうなら離れたほうが得策だと思い今に至るのだけれど…。

正直、千影は今の状況を持て余していた。

(こんな事になるんだったら皆の誘い断るんじゃなかったなぁ…。)

そもそも突然刑事がやってきたから予定が狂ったんだ。
刑事が、自分の母親に何の話があるのだろう。以前に来た時に言っていた深夜に来る男達の事だろうか…。それなら母親自ら解決してしまったし、この辺一体も自分が一人だった頃よりずっと安定している。
いや、安定しているなんて程度じゃない、と思いながらここに来るまですれ違っていった街を歩く人々、道路を走る様々な種類の車、そこかしこに目立つ修繕ネットの張られた建物。近日オープンの立て看板、のぼり旗。

(…なんか…昔に戻ったみたい…。)

それらを眺める千影の目に映る光景に、幼い頃に見ていた別の景色が重なった。






翌日の教室―――。

HR前の室内は一部の生徒の話を皮切りにざわざわと憶測が飛び交い、緑谷の傍には数人が神妙な面持ちで立ったまま話し込んでいた。
そして千影は、久しぶりに聞いた知り合いのその名前に口を閉ざしたまま、騒ぐ胸の奥の心地悪さに顔を強張らせる。

それはテスト明けの翌日。A組の数名が訪れていた『木椰区ショッピングモール』での出来事…。

そこで緑谷出久が『出会って』しまったのだ。

「(…死柄木さん…。)」

(ヴィラン)連合。主犯・死柄木弔―――。

麗日の通報によってショッピングモールは一時的に閉鎖され、緑谷も被害を免れたらしい。
特別捜査本部を設置し、(ヴィラン)連合を探す警察に事情聴取を受けた緑谷が、捜査に加わっている塚内刑事に死柄木弔の人相・その時の会話内容などを伝えたそうだ。

クラスメイトの不穏な言葉が、遠く聞こえる気がする。

「(…オールマイトが、あの人を造った…。私も、同じ。でも…私は、もう…。)」

そんな自分が雄英(ここ)に居るという事実に押し黙ったままの千影が、程なく始まったHRで淡々と話す担任の言葉に密かにその表情を曇らせた。

そして、合宿先の変更や諸連絡を聞かされた生徒から野次のような言葉が飛ぶも話は進み、前途多難な不安を抱えたまま数日を過ごすのだった。




ある夏の日の

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