魔法科高校の劣等生

□九校戦編1
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深雪は自他ともに認める優等生である。

今日も日付が変わるころまで勉学に励んでいたが、あまり眠気は起きていなかった。

安眠導入器を使うのは深雪も達也も好むところではないし、気分転換にでも紅茶を入れようと席を立った。

無論、兄と姉のためである。


兄は研究に勤しんでいるが、姉は地下の実験室で神楽の練習をしているのだろう。

姉は足音や物音を極限まで立てないので、部屋に戻ってきているかは分からないが、幸いにも明日は土曜日。

深雪たちのクラスの予定ではあまり比重が重い科目はないため、問題はないだろう

兄には暖かいものを、姉には冷たいものを用意しよう。

そう思って姿見の前を通り過ぎたときに、少しだけ深雪の中で考えが浮かび、悪戯っぽい笑みを浮かべた。










出雲流神楽、伊勢流神楽、巫女神楽、男装舞、等々日本には古来より多くの神楽が存在する。

現代にも通ずるそれは豊穣祈願や厄除けの意味合いの他にも、庶民の娯楽としても楽しまれてきた。

しかし、九重神楽はつい100年前まで庶民に知られることのない神楽だった。
一般向けの神楽も行われていた一方、国のごく一部の者しか知らない秘匿された神楽舞があった。

実際今でも知りえる者は同業の神職、華族の出身者や魔法師の中でも古式魔法を使うものが多い。

中枢に関わる政治家や官僚の一部も知ってはいるが、名前のみでその実際を知る者はよほど九重神宮に縁のある者だけだ。

一般の観覧はさらに難しく、裏では50万を超える値でチケットが取引されていたこともあるそうだ。

九重神楽を知っている者は皆口をそろえてこう言う。




幻想郷は存在した、と。



ではなぜ、九重神楽はそう言わしめるにも関わらず秘匿化され続けていたのか。

それは魔法という概念が一般に知られる以前から体系化された魔法を使った神楽のためである。

現代では廃れてしまった歩法による魔法の発動、器楽と詠唱、歌による精霊喚起、術者のもつ衣服も小道具もほぼ全て魔法道具からなる。

最古にして最上の神楽と言わしめる九重神楽。

CADを一切使用せず、世間一般では燃費の悪いと言われる刻印によって術式は主に発動するため、演者たちの力量は推して測るべきものである。

故に、日々の精進は欠かせず、雅も例外ではなかった。




地下二階分の広さを持つ実験場の中央では雅が静かに舞っていた。

もしこの場に誰かがいて、目を閉じていたならば、足音も、衣の靡く音も聞こえず、呼吸音だけがわずか聞こえる程度だろう。

重いはずの袴姿の練習着が、まるで重さを感じさせないように翻る。

軽やかで優美な動き、荒々しい動き、繊細な表情の変化。

無意識レベルに動けるようになるため、型を体に覚え込ませ、何十、何百と繰り返し動きを確認する

歩法による魔法は消耗が一際激しい。
歩いた形跡によって陣を描き、足からサイオンを流し込み地中の精霊を活性化し、術を発動させる。

サイオンは手で操作するものだと一般的に思われている。

移動魔法や加重系魔法など足元に作用する魔法も魔法の発動範囲を足元に指定しているため、足元で魔法が発生する。

しかし魔法師はサイオンの良導体であり、足からでも使おうと思えば使える。

感覚的に遠い足を使うより、手の方が正確にできるため廃れていった技術でもある。

雅は術を発動せずに舞っているが、小手先の魔法で舞そのものを誤魔化すことは不敬である。神様のように幻想的でも、その裏には血と汗のにじむ鍛錬を隠し、優雅に舞い踊るのだ。



雅は最後の一節を舞い終えると、刀を鞘に戻した。

全身から汗が流れ、高い位置で結上げた黒い髪も汗に濡れている。

雅は目を閉じて息を整えていると、不意に実験室の扉開いた。

「流石です、お姉様」

深雪が少し冷やされたタオルを差し出した。

「見ていたの?」

雅はそれを受け取るが、少し困ったような顔をしており、それに対して深雪はいつにも増して上機嫌だった。

「あまり練習は見せるものではないのよ」

「すみません。余りに美しいものでしたから、お兄様と一緒に見惚れていました」

この実験場には記録用のカメラがある。

それを通じて深雪たちは雅が何をしているのか実験室で見ていたのだろう。

「それより、こんな時間にどうしたの?」

雅は深雪がミラージ・バッドのコスチュームでわざわざ深夜にこの場に来たことに疑問を感じているようだった。

「お兄様はまた一つ、偉業を達成されたのです」

「偉業?ああ、飛行魔法が完成して、今から実験なのね」

「ああ」

「はい」

長い間研究してきただけあって、達也もこれからの試運転に期待できる様子だった。

深雪は早く試したくてうずうずしていた。

部屋の中央から少し離れて達也と二人壁際に寄った。

深雪がそのCADのスイッチを入れると、重力に逆らって宙に浮いた。

達也が出した答えは移動魔法の連続使用による重力制御の実現だ。

極限まで起動式を精錬し、少ない魔法力で飛行を維持する。

深雪にとっては普段の余剰サイオンに多少色を付けた程度のことだろう

魔法式の終了時間を正しく記録することで魔法式の重複を回避することがこの魔法の肝らしい


ミラージ・バッドは別名フェアリーダンスと呼ばれる

可憐な少女を妖精と例えることはよくあることだが、可憐な衣装で舞う深雪の姿はまさしく妖精そのものだった。


達也も実験の観察そっちのけで宙を舞う深雪を嬉しそうに見ていた。

また一つ、彼の夢が実現した瞬間だった


深雪は一通り満足したのか、ゆっくりと降下してきた。

「楽しかったようね」

「はい。実験であることを忘れてしまいました。お姉様もいかがですか?」

「私も?」

深雪は使っていた飛行デバイスを差し出した。

「ああ。あの無駄すぎる術式よりずっと疲れないはずだ。
踊った後で疲れているだろうし、無理はしなくていい」

「無駄すぎるって、一応古典上の再現実験だからね。
あまり、効率は求めていないわよ」

「分かっているさ。あれはそもそも飛行ではないだろう」


達也が言っているのは昼間の精霊魔法による飛行実験の話だ。

あれは飛行とも言えなくはないが、領域内の気流操作がコンセプトになっている。

「そうね。きっと此方の方が楽しいわ。ああ、でも今日は無理よ」

「無理をさせてまで実験につき合わせるつもりはないさ」

「疲れているとかその理由ではないわ」


雅は苦笑いを浮かべた。今ここでこの飛行魔法を試すことはできる。

先ほどの稽古はあくまで型の確認であり、魔法は使用していない。

体力的にも休憩を入れており、少し飛ぶくらいなら問題はない。

「どういうことでしょうか?」

「裾の絞っていない袴で重力に逆らって飛ぶとどうなるかしら?」


深雪の質問に雅は軽く、袴を摘まんだ。

スカートタイプの行燈袴ではなく、ズボンタイプの馬乗袴ではあるが重力に逆らえ言わずもがな。

流石に男性のいる前でそんなはしたないことをするわけにはいかない。

「………すまない」

達也は申し訳なさそうに視線を逸らした。

彼にとっては予想外の答えであり、自分の配慮が足らなかったことに気まずさを感じていた。

「達也も浮かれていたのね」

「そうですね」

深雪と雅にくすりと笑われ、達也は自分が舞い上がっていたことにようやく気が付いたのだった。







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