アマ燐

□花を尽くして
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瞼の裏が明るい。白い朝の光によって眠りの底から這い上がる意識。寝ぼけた燐がベッドで身じろぐと、ふわりと甘い、花のような香りが鼻孔を擽った。


「う、ん?」


いつもと違う朝だった。

弟に起こされなければ何時までも惰眠をむさぼっている所だけれど、今日は甘い匂いに釣られて素直に目覚めを迎える。霞む視界の向こうに、白くて小さいものが見えた。


「ふぁ……っ、はな?」


むくりと起き上がって残る眠気を振り払うように欠伸をすると、視界も思考も徐々にクリアになっていく。枕元にあったものもはっきりと認識することができる頃になると、漸くこの花の存在を疑問に思った。


「誰が置いたんだ?」


ひょいと花を拾うと、くたりと頭が垂れた。花屋に置いてあるような立派なものではなく、道端に生えている花を強引に引きちぎったような不格好な花束。茎の部分には無残に引きちぎられた跡が残っている。

少なくとも雪男は自生している花を摘む時でも丁寧に摘むだろう。しかしそれはない。雪男は任務で数日間不在の筈だから、ここへと戻ってくるのはもう少しかかる。クロも雪男に付いていかせたから可能性ゼロだ。


「……まあいいか」


どう考えても怪しすぎるだろ、兄さんちょっとでもいいから考えて!

雪男がいればそんな言葉が飛び出してるところだが、生憎しっかりものの弟は不在だった。特に考えるでもなく、燐は朝食を食べる為に部屋を出る。

少し後、白い花は茎の部分を整えられ小さな花瓶に飾られた。綺麗な水の中に入れてやったから、これで少しは元気なるだろう。

棚に置かれた小さな花を見て、何故だか微笑ましい気分になった。不思議な事があるものだ。今日はほんの少しだけいい日になる。そんな気がした。







こんな不思議なことも一日で終わるだろう、そんな燐の考えとは裏腹にその日から一日も休まず花は枕元に届けられた。流石の燐も不思議に思い、よくよく考えてみるとこれはまずいんじゃないかということに気がついた。

なぜなら燐は部屋の中で尻尾を隠していない。寝ている時だって勿論丸出しのまま寝ているから、薄い毛布一枚掛かっているとはいえ、見られていない保障などどこにもなかった。

もしも侵入者に悪魔だとばれてしまったら、雪男に怒られる。

実際怒られるどころの騒ぎではないだろうが、今の燐に正常な思考力を求める事は無理だ。時刻は真夜中の0時過ぎ。常であれば就寝している時間だ。つまり眠いのである。

明日には雪男が帰ってくる。如何せんこの異常に気付くのが遅すぎた燐は非常に焦っていた。もし雪男が帰って来て、自体がばれれば大事になってしまう。その前に侵入者を捕まえなければ燐に明日は、いや明後日はない(多分)


部屋の中は真っ暗だ。燐は侵入者が早く来る事を祈りながらタオルケットを頭まで被っていた。もうどのくらい時間が立っただろうか、秒針の規則的な音と外から聞こえる虫の鳴き声が燐を眠りへと誘っていく。

このまま眠ってしまった後の事を考えると本気でぞっとする。弟に恐怖心を持つのは兄としていかがなものかと思うが、本気で切れた雪男は恐ろしいのだ。サタンすら越すのではないかと内心思う。

早く来て下さい!と天に祈りをささげようとした時だった、ガタリと窓ガラスが音を立てた。そういえば夜はいつも窓を開けて寝ていた。キシリと古い木が音を立てる。誰かが入ってきた音だ。


来た!


がばっとタオルケットを放り投げる。そして侵入者を見た途端、燐の心臓は3秒ほど止まった。深緑の髪に、特徴的なとんがり。尋常じゃないくらいに裾がぼろぼろになった服。思い出すのが嫌になる位に身に覚えのある人物――いや、悪魔がそこにいた。


「アマイモンです。こんばんは、奥村燐」

「あ、こ、こんばんはー……ッてそうじゃなくて!!」


こんなときでも礼儀正しい挨拶に、つられて燐も思わず挨拶を返してしまった。


「おおおおおま、何しに……!」


驚いているのは燐ばかりだ。当のアマイモンと言えば、感情のない瞳で燐をじっと見つめるばかり。見つかってしまったというのに、慌てることなく落ち着き払っていた。あたかもばれる事がわかっていたかのように。

不意に、白い色が目に入る。よく見ると、アマイモンは何かを持っていた。それはヤケに見覚えのある色と形をしていて。


「その花、」

「燐にあげます」


はいどうぞ、と差し出された白い花はいつも枕元に置いてあったものと全く同じもの。今、本棚に飾られている白い花と同じ香りを放っている。

まさか、今までずっと枕もとに花を置いていたのは目の前の悪魔なのだろうか。


「好意を抱く人物を口説く時、人間は贈り物するんでしょう?ですが何を贈ればいいのか分からなかったので、花を君に」


反射的に受け取った花。それと同時に囁かれた告白めいた言葉に呆然としていると、急に腕を引かれてベッドの上にいた燐はアマイモンの方へと倒れ込んだ。

ぽすりと頬が胸にあたり、顎を掬われた。


「なん、っ」


言葉を紡ぐ前に、柔らかいものが唇に触れる。見開かれた燐の瞳のすぐ近くにアマイモンの顔があった。キスされた、と分かった瞬間にアマイモンはそっと離れていく。


「君の事が好きです。大好きです。どうすれば僕のモノになってくれますか」


ぱくぱくぱく。燐は口を動かすけれど、あまりの出来事に言葉を紡ぐ事が出来ない。悪魔にからかわれている、そう思うにはアマイモンの眼差しはあまりにまっすぐ過ぎた。


「そ、ん、急に、んなこと言われてもよぉ」


燐は涙目だった。

こんなにも直球に好意をぶつけられるなんて初めての経験だ。相手が悪魔だろうが、男だろうが、こんなにもまっすぐな想いをぶつけられて、生来流されやすい燐は完全に拒むことなど出来る筈がない。


「では毎日贈り物をして、毎日君に愛を囁きます」


だから僕のモノになって下さい。
表情とは裏腹に、グリーンの瞳は情熱的だった。囁かれた言葉に、燐は思わず頷いてしまう。




侵入者を捕まえる筈だったのに、燐はものの見事に侵入者に捕まえられてしまった。




部屋にはアマイモンが摘んできた花の香りが満ちていた。











END






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