短編

□素っ気ない追悼
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めきり、と軋む音。
自身を覆う鎧装が変化していく様に、竜は静かに目を閉じた。
深淵の黒に混じる金。昏きに沈んだ己に今更光に似た色が生じるとは。
苦い嘲り。微かに笑う。

シャドウパラディンの居城には存在しないはずの地下。
どこからも繋がらないそこで、奈落竜はひっそりと蹲っていた。
四つ足の獣がするように、地に伏せながら蹲る。眠る直前に似ていた。

事実、竜は眠りに落ちかけていた。
変化は激痛だった。耐え難いそれに摩耗し、ゆるりとした安息に踏み込もうとしていた。
微かに笑ったその息を、深く吐き出した――その時。

竜しかいなかった空間に、不意に響いた声。


「随分としんどそうだ」


闇から染み出した死の気配。
さも初めからそこにいたかのように佇む悪魔。
銀環を纏う黒の双角、燻った炎のような暗い赤の髪、揺らぎを見せない金の瞳。
闇に溶け込む鎧と、闇に浮かび上がる仄白い肌。
『残酷な死』とただそう呼ばれる一人の悪魔が、奈落竜に寄り添う。


「貴様か…」


うっすらと瞼を持ち上げた竜が、悪魔の姿を認め息を吐いた。


「誰も来るなと言ったはずだが」

「俺は含まれない」


横たえられた竜の頭、その顔のすぐ横に腰を下ろし悪魔はそう言った。
一拍置いて、ふ、ふ、と竜が笑う。静かに空気を揺らす。


「悪びれもせず、よくもぬけぬけと」

「事実だから」

「ほざきおって」


喉を鳴らすように笑う。いっそ機嫌が良さそうに。
そんな竜の顔を見つめ、悪魔は金の瞳を細めた。


「奈落は馬鹿だ」


ゆるく立てた両膝の間に、大鎌の柄を抱きかかえ。
湾曲した刃を前方に落とし、長い柄を肩に掛けるようにして、悪魔は己の大鎌を斜めに抱いた。目前に置かれた鎌先に竜はじっと視線を向ける。


「馬鹿な奈落…」

「知っていて貴様は来たのだろう」

「そう」


鎌の柄を撫でて、悪魔は一つ頷いた。
めきり、とまた軋む。竜は口元を歪めた。笑みの形に歪めた。


「私は憎い。奴らの甘さが、愚かさが、弱さが、憎い」

「うん」

「理想などありはせぬ。深き闇に光は届かぬ。影は払えぬ」

「うん」


悪魔の静かな相槌を聞きながら、竜はそっと目を閉じる。
思い出すのは遥かな昔。太古より連綿と続く営み。
始まりと終わり。

それはただの始まりと、ただの終わり。

ずっと昔、竜たちは確かに慈しんでいた。
世界を。見守る聖域を。そこに生まれた命を。

竜が慈しんだ命もまた、聖域を慈しんだ。
竜から見れば短い命、小さな手、脆き理想。
それらを振り絞って、聖域に生きる命が、自ら聖域を守り始めた。

ひとがひとを守ると決めたのなら、竜たちは見届けるだけだった。

守るためには、血が流される。
誕まれたての世界に未だ平穏は訪れておらず、大陸統一を目論み国家が乱立する中で。
拓かれたばかりの聖域を維持するということは、すなわち対外の争乱を示した。

争い生き残ることでしか、確固たる意志の確立はされなかった。
絶え間なき淘汰。それはきっと必要な流れだった。
存在の証明。意思の宣言。国家の形を成す為の痛み。
乗り越えねばならない時代の流れ。

その最中、一振りの剣がひとに託された。
それは技術だった。形なき想いを、力に、剣に変える技術。
託したのはひとりの竜だった。最も近くでひとを見守り案じていた、優しい白の竜。

その技術はひとを支えた。
彼らが掲げる理想を支えた。支える力となった。
理想の為の想いを律し、貫く意思を固め…騎士がうまれた。己が決めた道に殉じる騎士という形が成された。
やがて騎士の中から心強き統率者が現れ、聖域はひとつの国家となる。


――そして理想は血にまみれ、泥に汚れたのだ。


理想とはすなわち綺麗事である。
掲げるに容易く、実現するに難しく。

清く生きようとする意思。
普遍的平和への望み。
何人も幸せであれという祈り。

聖域の掲げる理想とやらは眩しく、美しく、どこまでも甘く。
ひたすらに、ただの綺麗事であった。

綺麗なものは扱いが難しい。
ましてやそれが、その綺麗事が、まさに血を流させるのだから。
実現しようと貫くことで、実際に血が流されていたのだから。

ひとの命は短く、ひとはあまりに不器用であった。
どれほど血にまみれようと、どれほど汚れようと、理想は理想であったはずなのに。
掲げることに意味があった。掲げ続けることに意味があった。

そこに近づこうと努力するために掲げるものが理想だった。
ただの、指針のひとつの形だったというのに。


「理想は絵空事にすぎぬ」

「奈落…」


悪魔の声はとても静かだ。
己が声に知らず熱が籠もっていたことに気付き、竜は小さく笑う。
笑って、力を抜く。過去に感情を揺らしたとて最早意味はない。


「絵空事のために死ぬのは、ひどく恐ろしいものだ」

「平気な奴もいる」

「平気ではない者もいるのだよ」

「知ってる。弱い奴はそうだろう」

「ああ…」


竜も悪魔も、知っていた。
一つの事柄――それが物質的なものでも、精神的なものでも同様だが。
それに耐え得る方が「強く」、耐えられない方が「弱く」分類されがちである。
しかしそれは事象としての事実でしかない。善悪ではないのだ。

……善悪では、なかったはずなのだ。

だのに、ひとは、自ら背負い込んだ。
己が弱さを許せずに。

あまりに潔白にすぎた。それは既に歪みであった。
瓦解するのは、遠くなかった。


「死は恐いだろう。恐くない奴もいるが、…笑いながら死ぬ奴なんて滅多にいない」


ふと悪魔が落とした呟きに、竜は視線を向ける。
鎌の柄を撫でながら、悪魔は続けた。


「死は暗い。本質が暗い。明確な終わりの形だから」


焔に似た髪が揺れる。


「その死をまるで綺麗なもののように、理想は見せる」

「愚かなことだと思うか」


問うと、意味がわからないと言いたげに首を小さく傾げられた。


「別に。受け取りたいように受け取ればいい。…ああ、でも」

「でも?」

「難儀な性質で、苦労性。そう思う時はある」

「苦労性…」


不覚にも、笑いが漏れた。く、く、と竜は喉を鳴らす。
痛みを堪えて口端に笑いを乗せた。


「まったくだな…、本当に」


ひとはなんて愚直なのか。
理想を掲げ、綺麗であろうとし、そうあれないことを嘆く。
そこから遠い自分を、そこから遠い周りを嘆いて…。
いつしか絶望して、憎悪を生む。

繰り返し、繰り返し。


「難儀なことだ…」


剣に認められなくとも、よかったろう。
白い竜が与えたのは方法であって、剣が全てではなかった。
綺麗事にそぐわなくともよかったろう。
それは目指す先だった。誰かを苦しめるための理想ではなかった。
甘受するべき死があるはずもなかった。
無理に受け入れるものでも、躍起になって遠ざけるものでもなかった。

絶望を凝らせる必要など、どこにもなかったのに。


「ずっと見てる奈落も相当だけど」

「……何」

「繰り返しひとつひとつを見る、物好き…?」


自分で言っておきながら、悪魔は首を傾げる。
語呂を確かめるように口の中で音を転がしていたが、やがて再び口を開いた。


「いつも同じことだろう。同じように始まって、同じように終わる」


太古からの営み。同じ繰り返し。
古い竜は、古い古い時代から世界を見てきている。
歴史の盛衰、とただ一言で表せるそれを。


「別に奈落が背負うことでもない。今の光が生んだ闇も、いずれ光が消す」


どうせそういう流れ、と呟いた悪魔はじっと竜を見つめる。
何も浮かんでいない金の瞳で。


「でも、絶望を一纏めにして闇を濃くしたら、きっと光は眩しくなる」


今の闇に届かない今の光でも、きっとそうしたら。
本当に真っ暗な中では、どんな微かな光でも煌めくものだから。
それは奇跡みたいな明るさになる。一つの光でも闇を払拭できる。


「そこまで面倒見なくても、勝手に流れはそう巡ったろうけど」


でも、奈落はもうそこまで面倒見たし。
呟きを重ね、悪魔は鎌の柄を撫でた。めきりと竜の鎧装が鳴る。

どうして、そのことを。口に出さず目で問うと、再び悪魔は首を傾げた。


「俺がいつから居ると思ってる」


竜は答えられなかった。身体に走った激痛に、口端を歪める。
低い唸り声。閉じられた竜の目。
悪魔はそっと手を伸ばした。


「実は奈落より年上だから、俺」


始まりは終わりを予感させる。
その終わりが実際に起こり得るものであるかどうかは関係がない。
予感した終わり、終焉の可能性、しばしば死に例えられるそれ。思われた死。
悪魔は、死の概念そのものであった。本当に古い概念であった。

ぽんぽん、と竜の鼻先を撫でる。穏やかに悪魔の手は動く。


「奈落、お前は本当によく死を思った。漠然とした概念ではなく、確固たる終焉を、明確な死を思った。だから俺は近くにいたんだ」


ゆっくりと撫でる。
それは友へのねぎらいだった。


「絶望が駆逐されることを、願っただろう。絶望を全て食らった自分が死んで、聖域に希望が残ることを祈っただろう」


お前は、お前たちは、本当によく死を思った。
悪魔が呟く。ゆるく首を傾げるようにして、言葉を紡いでいく。


「…まぁ、奈落も馬鹿だけど。周りも相当馬鹿だ」


死の概念。死を思うこと。
それはすなわち、生を思うことに他ならない。


「聖域の騎士団なんて…特にいつも馬鹿だ」


苦悩や嫉み、絶望を生じさせるほど光に溢れて。
けれど絶望をはらえる光があるとさらに信じている。
絶望ごと掬い上げることができると本気で信じている。
筋金入りだ。…本当に。

だけど、だからこそ、竜が思うような結末はまだ来ない。

もう一度竜の鼻先を撫でて、悪魔は立ち上がった。
鎌を携え、竜に背を向ける。


「じゃあ、奈落。あとは生きろ」


生を思え。


「……、グリム」


掠れて紡がれた名に、悪魔は一瞬振り向く。
振り向いて、口を開く。


「ここが別れ」


悪魔の言葉に。
竜は数度呼吸を繰り返し、ふ、ふ、と笑った。
言葉の少ない友の言葉を思い、小さく笑った。


「……ああ。しばしの、別れだ」


竜の返答に。
金の瞳を細め、悪魔は微かに口端を上げる。

生を思い、なお死を忘れないと言った竜。


「だから、奈落は馬鹿だ…」


そして悪魔の姿は消えた。
さも初めからいなかったかのように。



【素っ気ない追悼】


2011.3.11.惑星様に提出


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