短編

□恋の降る音
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たまに思うんだ。
もしかして僕ばっかりが好きだったりしないかな。

ねぇ、僕はきみの恋の相手ですか?



≪恋の降る音≫



冬の雨は、少し寒い。
特に日暮れともなると、後はもう暗くなる一方だと思うせいかなおさら寒く感じる。

本当は、よく晴れた時の日暮れより気温は下がらないらしいんだけど。

雨が運ぶ水のイメージのせいか、気温はともかく肌に触れる風の冷たさのせいか。
どうしても少し寒いような気がする。


(きみがいないから余計に、かな…)


胸中で一人ごちて、自分のセンチメンタリズムに思わず赤面する。これまた一人で。
あーあ、何やってんだろ僕。

校門の近くに立ち尽くし、差している傘をくるりと回す。
遠心力でぴっと飛び散った滴を見送り…、はぁ。

ちょっと遅いなぁ。何をしているんだろう。

忘れ物をしたから少しここで待ってて、と。
言い残した彼女は校舎に走って行き、まだ戻ってこない。

忘れ物が見つからないのかな、とか。
何を忘れたんだろう。僕も探すのを手伝った方がよかったかな。
でも、手伝ってとは言われなかった。ここで待ってて、と言われた。

どう、しようかな。どうするべきかな。

溜息をついて、再びくるりと滴を飛ばす。
なんだか僕、考え込んでばっかりだ。

ちらりと校舎を見上げる。
放課後になり、人もまばらで。灰色の空を背景に佇む灰色の校舎。
彼女を中に飲み込んだまま、じっと威圧感を放っている。


(一緒に帰るようになってから、何日経ったんだっけ…)


あの校舎を並んで出るようになってから、まだ少ししか経っていない。
か、彼氏と彼女、そういう関係になってから、本当にまだちょっとしか。

だから、どれくらい近づいていいのかわからない。

待ってて、と言われて。走っていく彼女を黙って見送って。
あれ、この距離をどうすればよかったんだろう。ふとそう思った。

わかった、待ってるね、と微笑めばよかったのか。
僕も手伝うよ、と一緒に走ればよかったのか。

どうしよう、と思った一瞬の間に、彼女は走って行ったのだ。

そして僕は一人で溜息をついているワケで。
本当に…何やってるんだろ。

彼女の隣に並ぶようになってから、そういう「一瞬の間」が多くなった。
どうしよう、と考えてしまう。距離を考えてしまう。

保つべきかな。近づいていいのかな。

そんな葛藤ばかりだ。ドキドキしてしまう、というのもあるかもしれないけど。
どうにか好感を維持したまま距離だけ近くならないかな、と考えているワケだから。

…もしかして僕、性格ちょっと悪い?

好きだから近づきたいけど。
嫌われたくないから、許されるギリギリの距離を探してもがいている。

いや、もがいてもいないか。

まだその段階ですらない。怯えて、じっと様子を窺っているだけだ。
だって自信がない。
僕がきみを好きなように、きみは僕を好きでいてくれるのかな。

同じだけの強さで同じだけの想いを向け合いたい、とまでは思わないけど。
一方的にぶつけたいわけでもないから。
どうすれば、どこまでなら、ってそんな葛藤ばかりだ。

あーあ、鬱陶しいなぁ。

雨も、自分の思考回路も。
はぁっ、と一番大きな溜息をついて、校舎へ視線を向けた時。
ぱしゃぱしゃ、と水を含んだ土を鳴らす音。


「…あ」


知らず、声が漏れる。彼女だ。
水溜りが跳ね返るのを気にも留めず、昇降口を飛び出した彼女はまっすぐにこちらへ走ってきていた。

息を切らして駆けてきて、息も整わないうちから口を開く彼女。


「ご…、げほっ、ごめん、ごめんねアイチ! こんなに待たせるつもりはなかったのに!」


荒い息もそのまま、何度か唾を呑みこみながら言葉を紡いでいる。
雨のせいかひんやりした空気の中、彼女の顔は上気していて。

あ、と思った。

ああ、そうか。
もしかして、今の昇降口からの距離だけじゃなく。


…僕と、離れてから、ずっと走っていたの?


自分の傘の下で、必死に息を整えながら、彼女は謝ってくれる。
委員会で受け取った書類を忘れていた、とか。
自分の机に忘れたのかと教室まで行ったのにそこになくて、委員会が開かれた教室まで探しに行った、とか。

こんなに待たせるつもりはなかった、本当にごめん、と。何度も。

隣に、彼女の息遣いと熱が戻ってきて。
なんだかじんわりした。
胸の凝りがほどけるような、やわらかであたたかい気持ち。

それはとても単純な。


「うん。…うん、待ってたよ」


これからもきっと、距離を窺うようなずるい打算は僕の中で働くだろう。
でも、それも含めて。

単純に、嬉しく思えたから。


「走ってきてくれて、ありがとう」


隣に立ってくれて、ありがとう。
ねぇ、本当にきみが好きだよ。
きみがそこにいるだけで、僕は嬉しいんだよ。

そんな想いを込めて、微笑んだ。
言葉にするのはなかなか恥ずかしいけれど。行動も、もちろん恥ずかしいけど。
想いを込めるくらいのことなら、今の僕でもできるから。

そんな素直な気持ちで微笑んだら…、彼女が真っ赤になった。

真っ赤になって、でも嬉しそうに僕の顔を見て笑い返してくれた。
…あれ。
もしかして、そんなに…。
僕が思うほど、距離ってそんなには開いてないのかな。

お互いに開いた傘の下、雨が隔てる距離が横たわっているけれど。
この距離を詰めることだって、僕が思うほど、難しくはないのだろうか。

傘を、閉じる。
二つ並んだ傘の片方を、閉じる。

僕は思い切って、彼女の傘の下へと踏み込んだ。


「…アイ、チ…」


閉じた傘の先から落ちる滴よりひそやかに、僕の名前が呼ばれる。
少しの驚き、それが過ぎて…はにかみながら。
そっと僕の名前は紡がれた。まるで、とても大切なもののように。

僕も、ゆっくりと手を伸ばす。
傘の柄を支える彼女の手に、自分の手の平を重ねる。
指はちょっと震えてしまっているけど。

彼女に触れたくて。

触れる距離に、立ちたくて。

両の手のひらでそっと包み込む。
彼女の手、指の長さ、爪の形、僕と違う体温。
そういう全部が、今ならわかる。

僕はとても、きみが愛しい。


「このまま…」


照れて、少し恥ずかしそうにしていたけれど。
僕の手の下で、もぞもぞと指を動かした彼女が傘をしっかり握り直す。
それから、まっすぐ僕の目を見つめて笑った。


「このまま帰ろう。一緒に帰ろう、アイチ」


傘を叩く雨は、やけに優しい音をしていた。



2011.11.19.


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