短編

□ひそやかな夜に含む
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私がその人を見つけたのは、偶然だった。

夜もとっぷりと更けた頃。どうにも寝付けず、仕方なく寝台から身を起こす。
このまま横になっていても眠れそうにない。
城内の散歩でもしたら気分転換になるだろうか。まだ構造を覚えきっていないし、ちょうどいいかもしれない。

そう思って、廊下へと出る。
しかし最低限の照明しか灯されていない暗い城内は昼間とはまったく様相が違い、知らない通路を下手に歩くと迷いかねない気がした。
探索は次に回し、とりあえず覚えてる通路を散歩がてらのんびりと歩く。夜闇に冷やされた空気は静かで心地よかった。

調子よく歩を進め、いくつかの角を曲がったところで…灯りが漏れている部屋があることに気付いた。
歩いてきた道順と記憶を照らし合わせ、大食堂のある場所だと思い当たる。誰かまだいるのだろうか。
気配に敏い騎士の多い城である。黙って歩いていて不審者だと思われるのも遠慮したかった。食堂内にいるのが誰であれこちらから挨拶しておくべきかな。
ちょうど少し喉も渇いてきたところだった。ついでに水でも貰おう。そんな判断で、私は気軽に食堂へと足を踏み入れる。

中にいた人物を目にした瞬間、もう少し心の準備をしてから入るべきだったと心底反省した。



≪ひそやかな夜に含む≫



「…ボールスさん」


断罪の騎士、そう称される彼は呼びかけに驚く素振りもなく視線を上げた。やはり気配に気づいていたのだろう。
食堂の入口に佇む私の姿を認めた彼は、こちらに軽く目礼してくれた。私も慌てて頭を下げる。


「こんばんは」

「……ええ、こんばんは」


会話が続かない。というより続けられない。
敵概視されてるワケではないが、友好的なワケでもない。そういう微妙な空気が私たちの間には流れていた。
静謐でありながら苛烈な眼差しに射られると、落ち着かない気持ちになる。身の置き所を見つけられない、そんな気分。
彼の底は知れず、恐ろしかった。騎士王が抱かせる畏怖とは違う、しかし他人を畏縮させる何かがある。
だから、気軽に会話ができなかった。

そうは思っていても、会話をしたくないのかと言えばそんなこともない。
話せるのならば話してみたかった。共通の話題が見つからないような気もするが、それでも…彼の纏う冷厳な空気、私の知らないその世界に、惹きつけられている。

緊張しているのにその場を去りがたく、しかし気軽に踏み込みきれない。
どうにも動けず食堂の入口で固まっていると、黙ったままだった彼が静かに口を開いた。


「何か用事でも?」


向けられた声は、思っていたよりも冷たくなかった。少なくとも突き放すような色は見えない。
そのことに背中を押され、縮こまっていた喉を叱咤して返事を絞り出す。


「あ、の…。水を貰おうかと思って」

「なるほど」


鷹揚に頷いた彼が、ひらりと一度だけ手招きをした。


「おいで。水ならある」

「え」


思わず聞き返すも、二度は繰り返されなかった。
逡巡して、しかし彼の方から招いてもらえたのだからと意を決して食堂へ踏み込む。


「失礼します…」


いくつも並べられた十数人が同時に腰掛けられる長テーブルの方ではなく、壁際や食堂の端などの空いたスペースに点在している二、三人掛けの小さな丸テーブルの一つに彼は座っていた。
テーブルの上には、数本のボトルといくつかのグラスや皿。それから、そういった食器類を避けるように少し隅に寄せられている何かの盤。
周りを囲む椅子も、他に比べ多少雑然としているように見える。先程まで誰かと一緒にいたかのようだった。
テーブルを挟んでボールスさんの正面にあたる席には、使用された形跡のあるグラスと取り皿らしき小さな皿が置かれている。人がいたのは間違いなさそうだ。

近くまで歩み寄り、座っていいものかと悩んでいると、誰も使っていないのであろう椅子をボールスさんが引いてくれた。


「ここへ」


彼の左手側、さして離れていない席を示されおそるおそる腰を下ろす。
改めてテーブルと近くなったことで、ふとその香りに気付いた。


「お酒を飲まれていたんですか」


盆の上に伏せられたままだったタンブラーを私の前に置いてくれたボールスさんは、透明なボトルに手を伸ばしながら浅く頷いた。


「陛下に誘われ、その付き合いで」

「えっ」


反射的に彼の正面、誰かがいたと思われる席に目をやる。つまりあそこには、騎士王アルフレッドが座っていたのか。
そう思うと、急に畏れ多くなった。肩に力の入った私に気付いたのか、タンブラーに氷を入れながらボールスさんは静かに言葉を続ける。


「陛下は既に休んでおられる。緊張する必要はない」

「は、い…」


頷いて気持ちを落ち着けるのと、置かれたタンブラーに半分ほど水が注がれるのはほぼ同時だった。


「ありがとうございます」


頭を下げる。彼は黙ったまま、静かに目を伏せるようにしてその礼を受けてくれた。
注いでもらった水をゆっくり一口含む。透明度が高く、柔らかな味だった。
ほっと人心地がつき、改めてテーブルの上を見やる。ボールスさんの前に置かれているグラスが二種類あるのに気付いたのはその時だった。


「それは…」


琥珀色の液体が満たされている小さなグラスと、氷の浮かんだ…水が入っているように思えるタンブラー。
先程感じた香りは、どうやらその琥珀色の液体が醸しているようだ。思わずしげしげと眺めてしまう。


「いい香りがしますね」

「わかるのか」


短い言葉に、ほんの少し楽しげな響きが滲んでいた。視線を上げると、冬の湖のような色をした彼の瞳が細められる。
機嫌良いのかな。そう思える雰囲気。


「お酒の味はわかりませんが、この香りは好きです」

「飲んでみるといい」

「え」


いいのだろうか。
一瞬そう考えるものの、彼が推薦するお酒だ。是非とも飲んでみたい。


「お言葉に甘えます」


先程のタンブラーに手を伸ばすが、そういえばまだ氷水はほとんど減っていない。
空けるべきかどうか逡巡する。時間が経ってより冷やされた水は一気に飲むには冷たすぎるような…。
タンブラー片手に動きを止めていると、並んだボトルの中でも一際(ひときわ)色の濃いものを手にしたボールスさんがすっと私の手からタンブラーを取り上げた。
改めて目の前に置かれる。


「そのままで構わない」


言って、静かにボトルを傾ける。タンブラーに近づいた注ぎ口から、琥珀色の液体が流れ落ちて。


「うわぁ…!」


水と混ざるのかと思ったが、それはゆっくりと水面に浮かびあがる。
澄んだ透明の上に層を成すようにとろりとした琥珀が広がって。


「凄い、ですね…。こんな綺麗な注ぎ方が…」


まさか二層になるとは思わなかった。灯りを照り返す氷のつややかさも相まって、もはや一つの芸術ではないかと思えるほど美しい飲み物に見えた。
感動のままじっとタンブラーを見つめていると、くつりと喉の奥で笑われる。視線を上げると、ボトルを元通りに戻したボールスさんが微かに口端を上げていた。


「見惚れてくれて光栄ではあるが」


そこで言葉を切られ、はっとする。そうだ、氷が入っている以上溶けてしまえば味は変わるだろう。まさに今でなければわからない味と香りがあるはずだ。
私がそういったことに気付いたと理解したのか、彼はそれ以上言葉を続けなかった。さぁ、と手だけで促される。


「頂きます」


振る舞ってくれた彼に軽く一礼をしてから、タンブラーに手を伸ばす。
層を崩さないように注意しながら持ち上げ、口に含むよりも前にその香りのよさに手が止まった。
深く息を吸い込むようにして香りを楽しむ。お酒に明るくないせいで何の香りなのかわからないのが残念だが、それでも心地いいと思えた。
それから、ゆっくりと一口分含み。


(強っ!)


その度数の高さにぎょっとした。喉を灼くような強さ。胃に流れ落ちて行くのがはっきりとわかる。温かいとさえ感じるほどだった。
想像を遥かに上回る度数に少しばかり気が動転したものの、考えてみれば水と混ざらず二層になっているのだ。浮いていた琥珀がストレートなのは当然だろう。

もう少しタンブラーを傾けることで、下層を口に含む。清涼な水がお酒を追いかけるように胃に辿り着き、強烈なアルコールが緩和されるのがわかった。
ほっと息をついた時、ふわりと鼻に抜ける香りに気がつく。燻した木のようなほのかな香り。強さが緩和されれば、喉を通り過ぎた余韻はむしろ心地よく楽しめた。


「おいしい…」


素直な感想を呟く。語彙もなければ知識もないので、それ以上の言葉が何も出て来ない。なんという素朴な感想しか言えないのかと自分にがっかりするものの、それでもおいしいものはおいしい。
良いお酒に巡り合わせてもらえたのだ。思わずへらりと口が緩む。とても嬉しい。
もう一度口に含む。今度は慎重に上層だけを。氷が少し溶けたのか、冷えた琥珀はとろりと柔らかく舌の上を流れる。水と混ざったところはまろやかだった。
やばい、これはハマりそう…。
なんておいしいのだろう。さすがボールスさん推薦なだけある。

そこまで考えてはっとした。むしろ血の気が引いた。
ちょっと今私完全にボールスさんの存在を忘れていたような…。

慌てて彼の方へ視線を向けると、目が合った。もしかしなくとも明らかに一挙一動を見つめられていたようだ。
しかしそれよりも、彼の瞳が柔らかい色を宿していたことに驚く。親しみさえ籠もった眼差し。

思わずじっと見つめ返すと、ふ、と彼が笑った。


「そこまで喜んでくれると、また共に飲みたいと思える」

「えっ」


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