(※サッチ)
(※ランダム3種)





唯一の収入源だったバイトをクビになった。
再就職は難航し住んでいたアパートの家賃滞納で強制退去、お金を頼れるような親しい人もなく親とは断絶状態。あたしの人生に終止符が打たれるのも秒読みだ。

僅かばかりの最後の給料もすでに小銭のみ。
雨を避けた店と店の隙間の路地、カバン一つで途方に暮れても現状の改善は見込めない。真夏ならまだマシだけどこの季節にこの時間。冷えた身体に震えが走る。本格的に死が見えてきた。


「…ねえねえ、君。こんな雨の中でどうしたの。風邪ひいちゃうよ」


濡れて縮こまるあたしに黒い傘をさした一人の男が話しかけてきた。スーツ姿はサラリーマンのじゃなさそうなデザインで、ど深夜に冗談みたいなでかい花束持ってるとか異常以外何者でもない。関わりたくなくて聞こえない振りしたあたしにお構いなく、男は路地に入ろうとしてきた。ガタイの良すぎる身体は細めの隙間に手狭で肩をぶつけている。


「帰らなくていいの?」
「家族が心配して待ってるでしょ?」
「迎えにきてくれる人はいないの?」

「…そっかー、それじゃァ俺んち行こっか!ご飯作ってあげるね!お花もあるよ!」


尋ねられた全てに頷きだけで応えた。
金なし、職なし、貞操…奪われて困るも心当たりもない。寒いしお腹空いてるしもう何も考えたくない。おいでおいでと手招きされて呼ばれるまま男の傘下へ。これ以上悪い事なんか起きないだろうと匙を投げ。









「遅くなってごめんね、お腹すいてるよね?すぐにご飯にするから。はい、これ君に似合うと思って買ってきちゃった。それから気にしてたお店の限定スイーツ、食後のデザートにしようね」


冷たい外の空気を纏った大きな男が賑やかに部屋へと舞い込む。上機嫌な声と芝居がかった仕草は驚くほど様になっている。


「お、お帰りなさいサッチさ…ごほん!『もー、遅いよお兄ちゃん!』お腹すいたー」


この部屋の正装、前髪に留めたお花のヘアピンとセーラー服で棒読みのセリフを吐き出す。大根役者のあたしにデレッデレの笑みが向き、すぐに作るからごめんねえ、とスーツを脱ぎエプロン着用。シャツの腕を捲り上げ無駄のない動きで食事の支度を始めた。

…何人用の想定なのかワンフロア丸ごと部屋っていう目の眩む住居の持ち主、サッチと名乗った男と過ごし始めて三ヶ月程が過ぎた。
貞操も命の危険も一切なく衣食住を保障してくれるサッチさんからの要求は一つ。彼の求めた『妹』でいる事。演技下手でも名を呼び間違っても構わないとの条件にどん底のあたしが頷かないはずはない。


「…はぁー、やっぱり君と食べる食事は格別だ!いやご飯だけじゃなくて一緒に居られるのがまず幸せなんだけどねー、えへ!」


死ぬ気で飛び込んだ生活は夢に見たほどの快適さで全てが眩しかった。誰かに世話をして貰う生活なんていつ振りだろう。


「ん。服の丈も丁度いいね、それに本当この色って君によく似合うな。くるって回って見せて…可愛い!最高!俺の女神様ァーーッ!!」

「…もう!お兄ちゃんはそればっかりだね。あたしもっと大人っぽいのが着たい。あと明日はお出かけしたいの、いいよね?」


食後のデザートタイム、向かいのソファに座るサッチさんにワガママを言って見せれば、
目元の深い傷跡を歪めてニコニコと眦を下げた。服を脱いだこの人の肌にびっしりと残る傷跡の数々を思い出し思わず視線を逸らす。
『仕事』の数時間以外は常にあたしを連れ歩き遊び回るサッチさん。何をするにもあたしが考えてる幾つも先まで先回りして買い与え揃えて、際限なく尽くして底なしに優しい。



「うん勿論!君の行きたいところにどこでも行こうね、欲しいものは何でも教えてね…、電話だ。ちょっとごめんね」


真夜中に、明け方に、真昼間から。不特定に時折かかってくる電話を受けるサッチさんは、無表情になる。柔和さが削ぎ落ちれば痺れるほどの悪人顔だ。絶対にまともな人じゃないだろう。端的な言葉を幾つか返し電話を切るとスイッチ入ったみたいにニコニコ顔をあたしに向けるのだから。


「…えへへ、明日はどこ行こうか?お買い物?遊園地?水族館?雑誌に載ってたあの場所の食べ歩きもいいなあ。君のしたい事を何でもやろうよ。俺が全部叶えてあげるからね」


あたしはバカそうな顔を意識して喜んだ。
満ち足りて微笑む男の顔は憐れむほどに幸せそうで。可哀想だと言われ続けたあたしよりずっと、この人は。


「……お兄ちゃんは。なんであたしに優しいの。あたしバカだし手際悪いし役立たずだし、迷惑かけてばっかりなのに」

「うん?君は君の良いところ全然わかってないねえ、そんな所も好きだけど。元気で、生きてて、俺のそばに居てくれるじゃん。笑ってくれて俺の作ったご飯を美味しいって言ってくれて。ねえ、俺、本当に幸せだよ。全部君のおかげだよ。ありがとう」


サッチさんはあたしを大事に扱って宝物みたいにしてくれる。気に入られているって思うけど理由はさっぱりわからない。気味が悪いほどに性的な何かも暴力も微塵も感じさせず、長閑な家族ごっこが続くだけ。実在したのか妄想の産物なのかもわからない妹を演じる日々は歪だ。
ああだけど、休みなく働いて家賃と食費でギリギリみたいな生活に比べたら。


「いつまでも居てくれて良いんだからね。帰るところないって言ってたもんね。嬉しいなァ。俺の妹だ。俺の家族だ。今度はずっと、もっと、幸せになろうね。何も心配ないよ。俺が全部するからね」

「…え?今度って…」

「そうだ、そろそろお引越ししよっか。この部屋飽きちゃったし、最近寒いし。君が風邪ひかないように何処か暖かい土地が良いかな。プールじゃなくて海に行きたいって前に言ってたよね」


あたしの疑問はたくさんの提案に流されて
埋もれていく。
…サッチさんに連れられて来た部屋は三ヶ月の間に五回の引越しをして、これで六回目になる。住んでいる部屋からは携帯端末一つも持ち出さず、その時一番気に入った服に身を包み、サッチさんに手を引かれ、行き先もわからずに唐突に連れ出される。案内された先には家電も身の回りのものも娯楽用品も新品が揃って並んで、冷蔵庫の中もクローゼットの中もぎっちりモノが入ってて、すぐに暮らせる状態で。ずっと暮らしてたみたいな口振りでサッチさんは言うのだ。お腹すいたよね、すぐにご飯作るね、と。

あたしの胸を満たす幼い喜びに、きっと彼は気が付いて黙っているんだろう。彼があたし以上に喜びで胸を焦がしてるのを知ってて黙っているように。







楽園、天国、

極楽浄土。





(うわー、バイク!?大きい、あたし乗るの初めて!すごいピカピカしてる!)

(待って落ち着いて危ないから、俺が乗せてあげるから、まずヘルメットつけようか)




拍手をありがとうございました!
感想などいただけると私が悶えます。




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