小話 6


□湯煙の中で。
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(MARCO)




寒い季節。冬島では地からお湯が湧き出る場所がいくつかあり、それは島の特産品の一部で大事な観光資源だ。

地域の住人が組合を作り管理する『お湯の資源』…つまり温泉街がある。

オヤジのシマの定期視察に来た俺はせっかくなので金を落としていこうと宿を一つ取った。


「…あー、美味い…」


趣のある宿は広く、部屋の中には空調機の他にコタツという暖房器具が備え付けられている。
運ばれた食事は山の幸たっぷりの鍋と川魚の塩焼き、何より地酒。

最高に美味い。
窓の外にちらつく雪さえ酒の肴になる。


「…ん?」


しっとりと降る雪。
静かで、時折聞こえる風の音をBGMに浸っていた俺の耳に雰囲気ぶち壊しの足音が聞こえた。

スリッパが廊下を慌ただしく駆けてきたと思えば部屋の前で止まり、ノックもせず扉が開く。


「マルコ、マルコ大変デスッ!」

「…俺の静寂を返せよい」


転げるように入ってきたのは同じ偵察任務についた彼女だった。

走っているうちに乱れたのだろう浴衣からは胸がこぼれ落ちそうだ。眼福なので指摘はしないが。


「見てください、これ!」


俺の手からお猪口を取り上げて代わりに乗せたのは一つの果実。
黄色い皮のそれは何故か温かい。


「…オレンジ、じゃねえな。レモンとも違う。何で温かいんだい?」


香りは柑橘系。なんだったっけこれ。

デザートにしては丸ごと持ってくるのはおかしいと彼女をみれば、ものすごい目を輝かせていた。


「お風呂!お風呂に入ってたんですよ!これ!ユズって果物!!」

「落ち着けよい、語彙力取り戻せ」


なんでも『季節風呂』という浴場の暖簾を潜ればいい香りがして、服を脱いで足を踏み入れれば湯の中にたくさんの『柚子』という柑橘類が浮かんでいたらしい。


「…なんで風呂に果物入れてんだよい?飲めってか?」

「香り!楽しむ!ハダキレイ!!」

「片言やめろ」


相当気に入ったらしい。
たしかに彼女の肌からは柑橘の淡い香りが漂うようである。


「ねえマルコも入ろうよ!本当にいい香りなの!」

「あー、これ飲んだらな」


変な風呂に入るより酒だ酒。
燗した酒に手を伸ばすも彼女が先に奪い取ってしまった。


「おい」

「個人風呂も柚子入ってるって、フロントで言ってた。空いてたから予約した。ほら今、行くの!」


個人風呂って何だ?
と腕を引かれるまま廊下を進み、一つの暖簾を潜る。

脱衣所は狭くどうやら大浴場とは違ったスタイルの風呂場らしい。


「っ、おい何で脱ぐんだよい!」

「お風呂入るから脱ぐんですが?マルコも早く脱いで」

「やめろ!脱がすな何で一緒に入ろうとしてんだお前は!!」


腰紐を互いに掴んで綱引き状態。
彼女の方はすでにパンツ一枚である。こんなのオヤジにバレたら俺の命がない。


「恋人の可愛いお願いくらい叶えてよ、情けない男ね!」

「可愛い恋人なら着てるもの毟り取るな、情けのねえ女だねい!」


諦めて自分で脱ぐからと彼女を先に浴室に追払い、溜息ついて浴衣を脱いだ。どうせ脱ぐなら寝床で脱いで欲しい。
一応タオルを持って浴場のドアを開けると柚子の香りが強くなり、朧な湯気の向こうで彼女が笑むのが見えた。


「はい。お酒飲むんでしょ?」


盆に徳利と盃が二つ。
柚子の群れに紛れて浮いている。
桜色の頬と肌の彼女が揺れる水面の下に肌を晒して。

天窓には雪と月。


「…はー…極楽だねい」


手にした盃には照明が反射して、肩の触れるほど近くに彼女が居る。

部屋で飲んだ時より酒は格別に美味かった。








生きてる

味がする。






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