小話0
□ないものねだり。
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(MARCO)
「…お嬢さん、どちらにいらっしゃいますか?」
六十に届きそうな初老の男が甲板を杖をつきつつ彼女を探す。
海賊船に乗るには老齢、それに海の荒事とは無縁な穏やかな顔に渋く落ち着いた声。
紳士然とした、それでいて枯れた余裕溢れる存在はここじゃ目立つ。
「カスタネットさん、ここです!」
「ああ、そちらでしたか」
よくこの距離で声が届いたもんだと思うが、彼女は甲板の洗濯物の隙間から顔をのぞかせ大きく手を振っている。
連れ添った妻を見つけた夫よろしく、カスタネットは悠然と杖をついて歩み寄り彼女の元へ。
「お洗濯ですか、今日はいい天気ですからよく乾くでしょうな」
「はい。でも光が強いので日焼けしてしまいます。気をつけないと」
「…貴女が太陽の下にいるとお日様が二つに増えたようですよ」
ふ、と笑うとより深くシワが刻まれた。
俺があのくらいの年になったら、余裕と貫禄の溢れる男に…なるのは無理だろうか。どんな場数を踏めばと思うくらいに落ち着き払って見えるよい。
「…なあマルコ。カスタネットさんてオヤジと同じくらいなんだろ?見た目も性格もすっげえ違うな。だけど二人とも格好いい」
「海賊と学者じゃそもそも大違いだろい」
何でか喋る時、思わず敬語が出てしまうと笑うエースに同意してしまうのは俺だけじゃない。
「あの人って次の島で引受人に頼む手はずになってんだろ、マルコも今のうちに喋っとけば。勉強好きだろ?あんた」
「……そうだねい」
俺とはジャンルが違うんだよい。
博識でウチの阿呆にも理解できる説明をしてやれる語彙力と例えの上手さは、聞いてるだけで自分の粗暴さや短気なところが浮き彫りに見えてきて迂闊に近寄りがたいのだ。
視線の先では洗濯を終えた彼女がカスタネットにエスコートされ、日陰へと移動し始めた。手慣れた女の扱いにも満更でもないどころか満面の笑み。
「さて、お嬢さん。昨晩の冒険譚の続きを聞かせて貰えないかな?気になって仕方ない」
「ふふ。あたしの失敗話なんて笑わずに聞いてくれるのカスタネットさんくらいですよ、学者先生ってみんなそうなんですか?」
「先生ではなく、どうかカスタネットと呼んでくだされ。貴女の声で名前を呼ばれたいのです」
…サッチが言えば高速の裏拳食うだろう、それ。
人が変われば口説き文句もセクハラ感は皆無で、彼女の方もしかめ面とは正反対の照れ顔を惜しげもなく晒す。
その顔を拝めたのは俺の手柄じゃなくて別な男のもの。
俺の内心の葛藤など届くはずもなく、さりげなく足の悪いカスタネットを支え、彼女はゆっくりと甲板を歩いていく。
「…ちょっと書庫に行ってくるよい」
俺は興味なさそうに欠伸をして彼女たちとは別な入り口から船内に入った。背中にかけられたエースの声に片手を上げて返事として。
カスタネットを保護してからというもの俺は自己嫌悪に陥ってばかりだ。
たった数日、彼女と過ごす時間が減っただけでこの有様は何だ。阿呆か。
「…失礼、お嬢さんの隣にかけてもよろしいでしょうか」
「…っ、はい!どうぞ」
体格のいい海の男たちに囲まれてもカスタネットは平然とし、粗暴な男とも成り立つ会話術にナースも彼女も一目置くのはあっという間で。
丁寧な物腰、分け隔てない態度。洗練された初老の紳士にオヤジ趣味の彼女が靡かないはずがない。
「あの、カスタネットさん。良かったらあたしの隣部屋を使いませんか?階段の登り降りないから楽だと思うんです。何かお困りならあたしを呼んでください」
時間はかかるが杖があれば平気だと言うカスタネットを、むしろ彼女が強く望む形で部屋を決めた。
カスタネットさん、カスタネットさんと頻繁に話しかけて付いて回る彼女に紳士は嫌な顔一つしない。
彼女は嵐に折れぬナントカっていう花のようだとか言ってたぞ、とエースから教えられた時は頭を抱えそうになった。
戦闘で一部の変態が悶え転がるような言葉の刃で、筋骨隆々な男たちを踏み躙っている所を見てからどんな花に見えるか言って欲しいよい。
「なんだ、お前も調べ物かい」
「…んー、そんなところです」
書庫の奥の棚へ文献探しに行くと彼女の姿があり、カスタネットは居ないようだった。彼女一人ならと安堵して声をかけたが、本から目は逸れない。
「カスタネットさんから花言葉の話を聞いて、どんな花なのか気になって探しにきたのです」
「…花」
近寄ったら彼女はメモに走り書きをしつつ熱心にページをめくる。
そういえばこいつを花にたとえて褒めてたらしいな。俺も知っている花だろうか。
「お前、花に興味なんてあったのかい?」
「興味が出たの。海にいる時間が多いから花を見るとしたら上陸の時くらいだし、贈ってくれる人もいないでしょう?君は花のようだ、なんて言ってもらえたらどんな花なのか気になるに決まってるじゃありませんか」
「…そんなもんかねい」
優しそうな眼差しも、その表情も誰を思ってだい?
包容力のあるオヤジみたいな渋い男以外お断り、ってのが口癖だったが。彼女のお眼鏡に叶う男を目の当たりにする日が来るなんて考えたことがなかった。
どうやっても早く年をとるなんて出来ねえ。阿呆な願いが浮かんで胸が悪くなる。
「…………」
「え?何て言ったのですか?」
彼女へ向けた言葉は届かなかった。
届かないようにわざと声を小さくしたのだから当然と言えばそうだ。
『あと何年経てばお前の隣に相応しくなれるんだろうな』
…答えを彼女に任せるなんて、それこそ頼り甲斐もへったくれもねえだろい。苦く残る嫌悪を繰り返す気になれず、俺は軽く目を閉じた。
「…いや。独り言だよい」
「初めて会った時から隣にいたくせに、いつまでウジウジ言ってるのですか」
「!?」
ぐり、と俺の足を彼女が踏みつけて鈍い痛みが走る。
脳が言葉を咀嚼をする前に、辛辣な響きの尖った声が甘く耳朶に落ちてきた。
「マルコがもっと情けなく、あたしを好きだって縋ってくれたら隣を空けといてあげてもいいですけど」
…唇を寄せられた耳と俺の浅はかな思考は炎に焼かれたように焦がされた。
戯れて
甘噛む
彼女の牙。
(さあどうぞ?あと五分なら待ってあげます)
(…〜〜待ってくれ短すぎだろい!)
→(THATCH)