03/25の日記

15:00
ノルウェイの森
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寂しい。

ノルウェイの森の読後感はただその一言に尽きる。
そして誰かに電話したくなるのだ。出来れば恋人に。

私はこの本に出てくる登場人物の中では、比較的ワタナベ君に近いと思う。異性だけれど、おかれている状況が、だ。
周りにはうつ病の知り合いが四人もいるし、体質なのか何なのか、育ちが複雑な人ばかりを引き寄せて友人にしてしまう。

自分はそこまで友達はいらない傾向だから、一人の時間は多いし、たまに淋しさを感じるけれどそれを苦に感じない。

でも自分にはワタナベ君のように近しい人を亡くしたことはないし、それにより生じた喪失感は想像するしか出来ないのだ。
けれど、彼が直子に対して感じていた不安感は、とても現実的な痛みを伴って私に襲いかかってくる。何故ならそれは、私が今現在感じているものであるし、人を失うかもしれないという不安感はたまに私を押し潰そうとしてくるからだ。

だからこの小説を読むと、ワタナベ君と共に迷って傷つくし、直子が死んだ時に圧倒的な寂しさを感じてしまうのだ。

ワタナベ君は電話ボックスから緑に電話した時、何処かに行けたのだろうか。緑の所に行けたのだろうか。

でも私が緑なら、ワタナベ君の事を受け入れるのはとても哀しみを伴うと思うし、会えば会うほど傷つくだろうから、もう会わないという選択をするだろう。


ワタナベ君がきちんと立ち上がって、何処かに行けますように。

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