少し困ったような深刻そうな顔で彼は小さく呻いた。
分厚いカーテンの隙間から漏れる薄い朝の光に彼のきちんと纏められた金糸がきらきらと反射して綺麗だと一瞬思った。
(実を言うとそれどころじゃない)
もう行かなくちゃなんねーんだ、彼は困ったように言う。
一夜を過ごした部屋の静かな空気を割るようなノックの音が(本当はそんなに大きな音じゃなかったかもしれないけど)廊下へ続くドアから鳴った。
「ボス、急いでくれ」
低い男の声が急かす。
あぁと短い返事をして彼は私の方に向き直った。
そんな困った顔をしないでよ、私が言うと彼はますます困った顔をする。
お前が泣きそうな顔するからだろ、と彼は小さく呟いた。
そもそもの原因は私にあるわけで、マフィア間の抗争の加勢に行く彼に私が行かないでなんて馬鹿な事を言ったから。
いつかこの日が来るとわかっていた筈なのに。
私は元々ボンゴレに所属していた経歴がある。
(今キャバッローネに居るのは、ボスが9代目から10代目に変わったとき、彼がボスに頭を下げて私をキャバッローネに引き抜いたから)
ボンゴレでは情報部担当だった事もありマフィア間の事情には精通しているつもりだったし、今回の抗争の事も予期はしていたのだけれど。
「ディーノ」
ここで別れたらこの死ぬほど愛している人とはもう二度と逢えない気がして。
遠い日本で闘ってこの飴色の柔らかい髪や白い頬や桜貝のような綺麗な指先を鉄臭くどす黒い血に染めてしまうのだろう。
硝煙や血や炎の匂いを嗅ぎながら誰かの苦悶の表情や悲痛な涙を見て、ピクリとも動かない血の気の失せた頬や目も当てられない生々しい傷口から目を逸らし、敵や仲間の断末魔を聞きながら唇を噛み締めて鞭を振るうのだろう。
この人が、優しいこの人が。
そして弾丸飛び交う戦場、その一つが彼の胸を貫かないとは限らない。
彼が死なない保証はないのだ。
「必ずまたお前の所に帰って来るから」
だから頼む、と彼は大きな手で私の髪をそっと撫でた。
その手がするりと降りてきて、頬を包むと同時に唇が触れる。
視界いっぱいに広がる陶器のような瞼と金の睫、触れる頬の熱と甘い唇。
こうされると私が何も言えなくなる事を知っているのだろう、狡いとは思いつつ、行かなければならない彼のボスとしての役割の重大さを、今更ながら教えられた気がした。
そっと目を閉じ無事で帰ってきてと囁くと、勿論、と彼は微笑う。
「約束する」
ありがとうと小さく言って彼は踵を返し、赤いソファに掛けたジャケットを手早く羽織りながら部下の待つドアへ向かった。
行かないで、なんてもう言えない。
ただひたすら無事を願う事しか私にはできなくて。
油の差されたドアの閉まる静かな音が、独りきりの部屋に虚しく響いた。
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