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□エイプリルフールログ
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【にょクレクラ】





昨夜から降り始めた雨は夜が明けても変わらず、朝が来たのかどうか疑わしいほどの暗雲が空を埋め、まさにバケツを引っくり返したかのような土砂降りが続いていた。

その勢いといえば、あまりの雨音がもはや騒音にすら感じられたほどであった。 

当然のように一行は宿に留まる以外の選択肢を奪われ、外に出ることは叶わないながら、各自それぞれが思い思いに休日を過ごしていた。

その雨が嘘のようにぴたりと止んだのは、ちょうど昼時を過ぎた辺りだっただろうか。

それまで抑圧されていた鬱憤を晴らすかのように真上に昇った太陽が惜しみ無く光を注ぎ、ひんやりとしていた空気は途端に汗すら滲むような陽気に変わった。 

例によって読書に没頭していたクラースがそれに気付いたのは、同室のチェスターが早速とばかりに部屋を出ていったためだった。

手持ち無沙汰げに弓の手入れを殊更丁寧にやってみたりベッドに寝転んでみたりと暇を持て余していた彼は、雨が上がったと見るや否や弓を片手にすぐに出ていった。

出掛けてくると言葉を濁してはいたが、鍛練に行ったであろうことはクラースの目にも明らかだった。

恐らくクレスも誘われて喜んでついて行くのだろうと、クラースはチェスターと同い年の剣士の姿をふと脳裏に浮かべた。

男女の間に友情は成立しないとはよく言ったものだが、それを否定し得るに十分な存在がクラースの傍にはあった。

男女特有の微妙さや危うさを全く孕まない、見ている側まで清々しく穏やかになるような理想的な友情が二人の間には確かにあった。 

二人の得意とする武器は性質が異なるため、共に鍛練をする時は専ら組み手で勝負することは知っていた。 

互いに遠慮なく、それでいて楽しげに取っ組み合う姿を想像して小さく笑いながら、クラースは次の本へと手を伸ばすのだった。







ノックの音に気が付いたのは、分厚いそれを半分ほど読み進めた時だった。

特に相手を確かめずドアを開ければ、そこにいたのはチェスターと出掛けたものとばかり思っていたクレスの姿だった。

宿の中であるため普段のように鎧は身に付けておらず、黒いインナーのみのその姿はどこか危なっかしくも思えた。

「なんだ、チェスターと出掛けなかったのか?」

「はい、誘われはしたんですけど‥‥ちょっと用事があったので」

「ミント達はまだ部屋にいるのか?」

「いえ、ミントはアーチェと一緒にお茶に行きましたよ」

部屋に招き入れて先ほどまで自分が使っていた席の向かいの椅子に座らせながら、クラースはクレスの言葉に首を傾げた。

ミントとアーチェが彼女を誘わないはずはないだろうに、何故わざわざ一人で残っているのか。

その疑問を口に出そうとして、ふとクラースは「用事があった」という先の彼女の言葉を思い出した。

わざわざ二つの誘いを断るほどの用事がもう終わったとは考えにくい。

となればこれからその用事とやらを済ませに出掛けるのだろうに、こんな場所で寄り道をしていていいのかと今度は違う疑問がクラースの中に浮かんだ。

一刻も早く済ませてミント達なりチェスターなりに合流したいと考えるのが普通だろうに、何故だろうかと。

「どうした、私に何か話でもあるのか?」

「は、はい‥‥その‥‥えっと‥‥」

そんな疑問を込めて、自分も椅子に腰を下ろしながらクレスへと声を掛ける。

クレスはぴくりと肩を跳ねさせると、何故か言いにくそうに俯いて言葉を濁してしまった。

そわそわと落ち着かなそうに視線を泳がせ、膝の上で組んだ手の指先を握ったり開いたりと忙しない。

そんな様子から何か言いにくい相談事でもあるのだろうと判断したクラースは、特に急かすこともなくただ静かにクレスの言葉を待った。

責任感が強く遠慮深い彼女はその性格故か、クラースに甘えて頼りにしてしまう自分自身に対して微かな後ろめたさを感じているらしい節が以前からあった。

一回りも歳が離れている相手に何を遠慮する必要があるのか、子どもは大人など好きなだけ甘えて利用すればいいのだと言ってやったこともあったが、そう簡単に変えられるものでもないらしい。

自身の過去を振り返ってみれば確かに、この年頃は頼りたくない自立心と頼らざるを得ない現実との間に揺れる難しい時期なのだろう。

そう考えあるがままの彼女を見守ることに決めたクラースは、それに従い今回も何も言わずに待った。

クレスが漸く口を開いたのは、窓ガラスの向こうに居座り日向ぼっこをしていた小鳥のつがいが仲良く飛び去った頃だった。

「あのっ‥‥い、一生のお願いがあります!」

意を決したように顔を上げたクレスは、真っ直ぐにクラースを見つめながら叫ぶようにそう言った。

その両頬は随分と紅潮してしまっていたが、クレスの勢いと並々ならない言葉に気を取られていたクラースは幸か不幸か気付かなかった。

「‥‥また随分と大袈裟だな。一体どんな無理難題を言い出すつもりなんだ?」

アーチェのように「一生のお願い」が数日に一度飛び出すような人物の発言なら気にもならないが、クレスのように生真面目な相手からとなると自然と受ける側も身構えてしまう。

どれほど切羽詰まっているのか、それほど困難な願いとは何なのか、皆目検討もつかないクラースは眉間に僅かに皺を寄せた。

しかしクレスから発せられた言葉は、クラースの考えていたようなものとは全く異なっていた。

「あの‥‥ク、クラースさんと、デートに行く時に着る服を、買いたくて‥‥その買い物に、クラースさんにも付き合ってもらいたいんです‥‥!」

その言葉は辿々しくはあるが、語尾が震えるようなことはない。

そこからクレスの言葉が本気であることを否応なしに感じ取り、クラースは思わず頭を抱えたくなった。

先を急ぐこの旅路でゆっくりデートなどに行く時間があるのか、たった一回のために買った服はその後明らかに邪魔になるだろうにどうするつもりなのか、聞きたいことは幾つもあった。

しかし何よりもまず確かめなければならないのは、決してそんな些細なことではなく。

「‥‥私とのデート、と言ったか」

「はい!」

痛むこめかみを指先で押さえながら静かに問い掛ければ、いっそ清々しいくらい元気な声で肯定される。

クラースは遠慮なく盛大な溜め息を吐きながら、こめかみに留まらずとうとう片手で顔を覆ってしまった。

クレスはさも当然のように言っているが、デート以前にそもそも二人は付き合ってなどいない。

クレスから告白をされた覚えも、もちろん自分から告白などした覚えもクラースの記憶には皆無であった。

クレスが自分に向けてくる眼差しや好意に、年長者や仲間を慕うそれ以上のものを感じなかったわけではない。

しかしクレスから行動を起こす様子はなく、思春期にありがちな憧れと恋の履き違えなのだろうとクラースは結論付けていた。

この旅が終われば自然に消えて彼女自身すら忘れてしまうものだと、そう思うが故に気付かぬふりを通すことにも然程罪悪感はなかったのだ。

ところがそんなクラースの思惑を余所に、クレスの想いは彼の与り知らぬところで着々とその歩みを進めてしまっていたらしい。

一般的な手順というものを三段跳びで跳び越えてしまったかのようなクレスの申し出に、クラースは一つ息を吐くと真っ直ぐに彼女を見つめた。

この初恋を持て余し振り回されているような少女には、まず誰かが基本の基から教えなければならないのだろうと内心で頭を抱えながら。

「確かに一緒に選んだ方が相手の好みに合わせられて失敗はないがな、男からすれば恋人がどんな服を着てくるのかも大切な楽しみなんだぞ」

「え、そうなんですか!?」

「自分のことを想いながらどんな服を選んでくるのか、当然気になるだろう」

ぱちくりと目を瞬かせるクレスはまるで、目から鱗が落ちたと言わんばかりである。

相手を驚かせたいというよりは失敗をしたくないという、その選択がまた彼女らしいとクラースは頭の片隅で納得した。

年頃の少女だと言うのに目を向ける先は専ら剣術ばかりで、自らを着飾ることに何の興味も関心もないように見えたクレスにも、やはり多少なりそのような気持ちはあったのか。

デートの件は別として、クレスの発言はそういった意味ではクラースにとっても喜ばしいものだった。

そしてそんな自分の思いを考えれば、やはり自分が彼女に向ける眼差しは決して異性としてのものではなく、いわば保護者としてのものに近いのだろう。

そんなことを改めて実感しながら、クラースわざと少しばかり意地悪そうに口角を上げた。

「もう一つ言えば、一生のお願いなんてものを使うなら、私にはデートそのものを頼むべきだな」

「あ‥‥」

そこで漸く気が付いたのか、クレスは途端にかあっと耳まで赤く染める。

これだけ初心な少女が告白も何も飛び越えて、約束すらしていないデートの服を一緒に選んで欲しいなどと言い出すのだから全く困ったものだ。

こちらに心臓に悪い、とはクラースの声にならない苦言である。

「とりあえずお前は今から出掛けて、チェスターに男心について聞くなり、ミント達に恋愛の手順について教わるなりしてくるんだな」

さあ、そうと決まれば善は急げだ、行った行った。

そう言いながら手を振って促せば、きらきらと目を輝かせたクレスは素直に立ち上がり、わざわざお礼まで言って駆け出すように部屋を後にした。

彼女の想いを遠回しに肯定するような言葉になってしまったことに気付き一瞬焦りを感じたものの、あの鈍感なクレスに限ってそれはないとすぐに胸を撫で下ろす。

恐らくはただ純粋に、自分がアドバイスを与えたことについての礼だったのだろう。

さて、動かないとばかり思っていた相手が動きを見せた以上、こちら側も何かしらの対応策を打ち出さなければならない状況になってしまった。

基本的な動きそのものはとても慎重で及び腰でありおまけに反応も鈍いときているが、時折こちらが予想もしないような突拍子もないことを仕出かしてくる、非常に厄介な相手である。

机に積み上げられた未読の書物の山を横目に、クラースは溜め息と共にクレスが開け放していったドアをぱたりと閉めた。

せっかくの休日の残り半分はどうやら、緊急の作戦会議に潰れそうである。







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