book
□ハニージンジャー
4ページ/7ページ
「‥‥‥‥‥」
ショリショリと、どこかこそばゆいような音が静寂の中で控えめに響く。
目の前で先程から繰り広げられている光景を、クラースは呆然とした様子でただ見つめていた。
全ての精霊の頂点に立つかの精霊王オリジンが、机の上でショウガと呼ばれる食材をひたすら無心に磨り下ろしている。
その異常さはというと、例えばクラースですらこの世の終わりだろうかなどとぼんやり考えてしまうほどだった。
腕が二本多いことを除けば、どこかその辺りの家にでもいそうな料理好きの男性のように見える。
やがて小皿の上に黄色い山が出来上がると、オリジンは小さく息を吐いてクラースを振り返った。
「主よ、待たせたな」
「あ、いや‥‥」
呆気に取られながらオリジンの姿を見つめていたクラースにとって時間の感覚は無に等しく、待たせたと言われてもあまり実感は持てなかった。
白いクロスで指先を拭うと、役目を終えた下ろし金を邪魔にならないようトレイの隅へと移動させる。
鼻の奥がつんとするような未知の匂いにひかれて興味深そうに覗き込むクラースの隣で、オリジンの手がゆっくりとポットを傾けた。
音も立てず丁寧に注がれた紅茶は、しかし幾分蒸らされ過ぎたのか色が濃い。
もう一方のポットを取り湯を足して薄めると、オリジンは皿の上のショウガの山を躊躇いもなく全て投入した。
ボチャッと重い音が響いたものの、本人はさして気にする様子もなくスプーンでぐるぐるとその中身を掻き混ぜる。
入れすぎなのではと思いはしたものの平均的な分量を知らない自分が言うのもおかしいと思い直し、クラースは差し出されたそれを素直に受け取った。
未だゆったりと回り続ける中では、紅茶に混ざってたくさんの繊維質なものが浮き沈みしている。
林檎の磨り卸しとは幾分異なる形状のそれに興味を惹かれつつ、クラースは口を付けたカップをゆっくりと傾けた。
「‥‥‥‥‥‥」
こくこくと喉を上下させて三口ほど飲み込んだ後、一旦カップを離したクラースは舌に感じる独特の辛味に眉を寄せた。
ピリピリと痺れるようなそれはカレーの辛味とはまた違った風味であり、成る程これなら香辛料として重宝されるはずだと納得する。
使い方によっては料理に深みやアクセントを加えることも出来そうだと感心しながら、クラースはしかしどうしたものかと頭を悩ませた。
カップの中身は当然まだほとんど減っていないが、全て飲むのは少々きついと思える辛さである。
とはいえ、オリジンがわざわざ採ってきた上に自ら磨り卸すという精霊らしからぬ行為をしてまで用意してくれたものを残すというのも気が引けた。
「どうした、主の口には合わないか」
「あ、いや、そういうわけじゃないんだが‥‥」
カップの中身をじっと凝視したまま何も言わない姿に、オリジンが不思議そうに声を掛ける。
慌てて空いている手を振って否定してみせたクラースに、彼は宥めるようにその目を細めて優しく言葉を続けた。
「無理に飲む必要はない」
「いや、無理などしていないさ。その、なんだ‥‥少し熱くて‥‥」
そこまで言ってしまってから、初めてクラースは己の失言に気付く。
薄めなければならないほど時間を置かれた紅茶が、飲むに苦労するほど熱いわけがない。
ろくに考えもせず口にした言い訳はあまりにも浅はかで、クラースは己の迂闊さに内心頭を抱えた。
聡い彼が、その矛盾に気付かないはずはない。
しかしそんな彼の不安を他所に、オリジンにはその言葉を不思議がる様子も追及する素振りも全く見られなかった。
「そうか」
納得したように頷くと、クラースの手からやんわりとカップを取り上げる。
そのままこちらに背を向けて机へと戻る彼の姿に、クラースは追い縋るように慌てて身を乗り出した。
悟られてしまっただろうか。
こちらが無理をしていると勘違いさせてしまっただろうか。
そんな不安に押されるように反射的に伸ばした手は、しかしその背中に届くはずもない。
「オリジン‥‥?」
どこか悲しげな色を乗せたその呼び掛けに、まるで答えるかのようにカチャカチャと音が響く。
やがて振り返った彼の手には、先程のカップに加えて小さな金色のスプーンと、それから夕食のトレイに乗せられていた手拭き用の小さなタオルがあった。
何のことはない、早くも沈殿を始めた中身を掻き混ぜるためにスプーンを取りに行っただけの話だったのだ。
ほっと安堵するクラースの視界には、すぐ傍らのサイドテーブルの上のスプーンの存在は入ってこなかった。
新たに持ってきたスプーンも同じくトレイの上に置き、カップとタオルを手にしたオリジンは椅子に腰掛けることはせずベッドの上へと片膝を乗り上げる。
不思議そうに自分を見上げてくるクラースを見下ろすその瞳には、どこか愉快そうな色が浮かんでいた。
「一度何か他の物を介すれば、幾らか温度も下がるだろう」
「何かって‥‥」
まさかそのタオルに染み込ませて首に巻くとでも言い出すのかと身構えるクラースの肩が、オリジンの手によってしっかりと掴まれる。
次いで後頭部に手を添えられ、更にタオル越しに顎を掴まれぐいと上を向かされて、いよいよクラースは彼の意図を理解した。
「おい、オリジン‥‥?」
「せっかく我がわざわざ用意したのだ。主には残さず飲んでもらわなければな」
「いや飲む、自分で飲むからこの手を離せ!」
「熱くて飲めないのだろう?」
「それはっ‥‥ちょ、待て‥‥ッ」
延々と続きそうな押し問答は、互いの口が塞がれたことで強引に終わりを告げる。
唇に触れる柔らかさを認識した直後には、無防備なままのそこが容易く彼の侵入を許していた。
「んっ、は‥‥オリ、ジ‥‥ッ」
抵抗の声はまともな言葉にもならないまま、吐息ごと混ざり合い飲み込まれてしまう。