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□ハニージンジャー
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「ちょっと待て、まだ皆起きているだろう!」
「ほう。ならば夜が更ければ構わぬということか」
「そうじゃない!」
「主よ、あまり大声を出さない方がいい。それ以上痛める訳にもいかないだろう」
先程までのからかうような態度から一変して突然真剣味を帯びたオリジンの表情と声音に、大声を出させているのは誰なのだという文句をクラースは思わず呑み込んだ。
何だかんだでごく普通に会話をしてしまったが、相変わらず声は始終掠れたままだ。
加えて些か大きな声を出していたせいかチリチリと喉が痛むことに初めて気付き、クラースは反射的に小さく咳き込んだ。
軽く丸められたまま上下するその背を、伸ばされたオリジンの手が労るように優しく擦る。
ゆったりと上下するそれは思いの外心地が好く、クラースが半ば無意識の内に感謝を告げると彼は慈しむようにその目を細めてみせた。
「食事はどうする」
「いや、今はいい‥‥‥腹はそれなりに空いているんだが、あまり固形物は飲み込みたくない」
「そうか」
トレイに乗せられたスプーンを取り上げかけたオリジンを制する様に緩く首を振ると、彼は一つ頷いてその手を下ろす。
とりあえず横になっていようとベッドに沈みかけた身体は、しかし傍らから伸びた二本の腕によって押し留められた。
「‥‥オリジン?」
「主、これを試してみてはどうだろうか」
クラースの怪訝な声と視線に答えるように、オリジンが空いている二本の腕の内の一本を彼に向けて差し出した。
その手の中にある物を数秒凝視して、クラースはやがて首を傾げ彼を見上げた。
「‥‥それは何だ?」
繊細そうな白い指先に挟まれた、薄い黄土色をした見慣れないもの。
親指ほどの大きさのそれはゴツゴツと不恰好で、形だけを見ると何かの球根のようにも見えた。
「ショウガと呼ばれる、ジャポン族の間で古来から利用される香辛料だ。里の近辺に多く自生している」
「香辛料‥‥スパイスの一種ということか」
「薬としても用いられ、風邪や喉の痛みによく効くそうだ。忍び里の子供達から聞かされたことがある」
エルフ族やジャポン族の歴史は勿論のこと、それぞれの民族の信仰や文化、風習といったものにもこの精霊王は非常に詳しかった。
それぞれの里の子供達が石盤まで遊びに来ては色々なことを話していくので、暇潰しに耳を傾けていると必然的に知識がついてしまうのだと以前彼から聞かされたことがある。
聞いてもいないのに勝手に話していくのだと口では言いながら、とても優しい表情でその様子を語った彼の姿はクラースの記憶に未だ鮮明に刻まれていた。
「‥‥民間療法というわけか」
「毒になるものでもない。試す価値はそれなりに有るのではないか?」
「確かにな‥‥民間療法とはいえ、大抵は科学的根拠に基づいている場合が多い」
しかし、何故今彼がそんなものを持っているのか。
ふと浮かんだそんな疑問は、しかし間を置かずしてクラース本人の中で解決された。
恐らく詠唱を通してこちらの体調不良もとい喉の不調を察した彼は、記憶を頼りにわざわざこの植物を採りに行ったのだろう。
精霊王たる者が一介の人間のためにそこまでするのはどうなのかという懸念は消えないものの、胸の奥から込み上げてくる嬉しさと恥ずかしさが混ざったような複雑な感情はクラースの頬を熱くさせた。
「‥‥で、それはどう服用すればいいんだ?」
「通常は茶や湯に入れて飲むと聞く。先程あの法術師の娘に頼んだところだ」
そんなオリジンの言葉を見計らったように、部屋の扉が控えめにノックされた。
「クラースさん、オリジンさん‥‥私です」
「ああ、入ってくれミント」
素早く自分の身体に回された腕を払い除けながら、クラースが扉の向こう側へと優しく声を掛ける。
そっとドアを開けて入ってきたミントは、クラースの姿を見るなり心配そうに眉を寄せた。
「まだ、声は治らないんですね‥‥お熱は大丈夫ですか?」
「ああ、おかしいのは喉だけだからな」
年齢は十も下ではあるが、こうして体調を崩した仲間の様子を気遣う時のミントはまるで母親のようだとクラースは思う。
それは彼女自身が持つ全てを抱擁するかのような温かな雰囲気と、神に祈りを捧げ癒しの力を授かる法術師という生業のイメージとの相乗効果によって生まれるものなのだろう。
クラースの様子を見て本当に熱はないようだと理解したのか、ミントは安心したように微笑むと傍らに立つオリジンへと向き直り、持っていたトレイを差し出した。
「仰られた物は全て持ってきたと思うのですが‥‥これで大丈夫ですか?」
「ああ、すまない」
彼女の纏う清らかさが必然的にそうさせるのか、口元に微かな笑みを浮かべ優しい手つきでそれを受け取るオリジンの姿はクラースの目には妙に紳士的に映る。
心なしか頬を赤らめたように見えるミントは、オリジンに向かってぺこりと頭を下げるとどことなく慌てた様子で部屋を出ていった。
「‥‥ウブだなぁ」
「何か言ったか、主」
その微笑ましさに思わずニヤけながら呟くクラースに、聞き取れなかったらしいオリジンが怪訝な顔で振り返る。
何でもないと手を振りながら見上げると、紅茶の香りがふわりと鼻腔を擽った。
「紅茶と合わせるのか?」
「忍び里では白湯か煎茶を用いるようだが、ここでは紅茶しかないだろう。白湯では面白味がない」
果たして薬に面白味が必要なのかとは思うものの、この精霊なら頷きかねないと納得する。
サイドテーブルを占領する夕食のトレイを窓際の机に移そうと踵を返しかけたオリジンは、ふと先ほどミントから渡されたトレイの上にポットが二つ乗っていることに気付き感心したように呟いた。
「差し湯まで用意するとは、気の利いた娘だ」
「ミントだからな」
どこか自慢気なクラースの言葉に些かの疑問を感じながら、オリジンは片付けたサイドテーブルの上に新しいトレイを置くと件の民間療法の準備を始めるのだった。