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□タイムカプセル
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「もうこの時代には戻って来られないから、今日の内に埋めておこうと思って」
「‥‥成る程な、確かにそれも一理ある」
あまり物欲のなさそうな彼にもそんな考えが浮かぶのかと思いながら、その尤もな意見にクラースは同意するように頷いた。
良く出来すぎたクレスの中のいい意味で人間臭い部分を垣間見たようで、嬉しさや安心感にも似た感情がふわりと彼の胸を包む。
しかし、こんな大きな穴を掘って一体何を残そうというのか。
好奇心に駆られるまま、クラースはその疑問をクレスへと投げ掛けた。
「で、お前さんは何を埋めるんだ? 武器か? 防具か?」
クレスの性格から考えれば、やはり彼が価値を感じるのは己の剣技を磨くためのものだろう。
そう判断して問い掛けるクラースの言葉に、しかしクレスはその口を閉ざしたまま何も答えることはなく、相変わらず顔を上げることもしなかった。
あまりにも彼らしくないその態度をどう受け取ったのか、さして気にしていない様子でクラースは更に言葉を繋げていく。
「ワインや食器類もいいと思うぞ。この時代では価値の低い安物でも、100年も経てば立派な年代物だ。工芸品の類いも‥‥」
「クラースさん」
どこか楽しげな調子のクラースの声を遮るように、漸く口を開いたクレスが彼の名前を呼んだ。
それは呼び掛けにしてはどこか不自然な力が込められていて、違和感を覚えるその響きにクラースは思わず彼を凝視する。
その怪訝な表情と視線に応えるかのように、クレスはゆっくりと顔を上げクラースへと向き直った。
その表情は確かに柔らかく微笑んでいるというのに、何故かクラースの背筋に冷たいものを走らせる。
思わず後退りかけた自身の足を、しかし彼はすんでのところで押し止めた。
何故彼を恐れる必要があるのかと、これが二度目であることも忘れて再度自分に言い聞かせる。
クラースはこの言い知れない恐怖に対し、自分達が今いる場所の状況と、いつもは温かさを感じさせる鳶色の瞳が今は暗闇の色に染められているという事実とにその原因を求めた。
どくどくと嫌な音を立てる心臓には気付かなかったのか、或いは気付きたくなかったのか。
それは彼自身にも分からなかった。
「クラースさん」
もう一度、クレスがその名前を口にする。
やはりその声音は、呼び掛けとしては明らかに不自然だった。
どこがどう不自然なのかと自分自身に問い掛けるが、そう言われると何も答えられないことにそこで初めて気付く。
しかし確かに、どこかが、何かが不自然なのだ。
解決の糸口が見つからない疑問は焦りを生み、焦りは恐怖を煽る風となる。
必死に抑え込もうとする彼の懸命さを嘲笑うように、その心の内を恐怖が黒く蝕んでいく。
やがてそれは心を伝い、瞬く間に彼の身体をも取り込んだ。
次第に浅く短くなっていく呼吸の中で眉を顰めるクラースの手が、不意に伸びてきたクレスの手に掴まれる。
グローブの嵌められていない指先は土と泥に塗れ、彼がいかに懸命に穴を堀り続けたかを物語るようにひどく汚れていた。
触れた五指と掌はぞっとするほどに冷えきり、無に等しいその温度に驚いて反射的に引き戻しかけた手は、しかし反対側の彼の方へと強く引き寄せられたため叶わずに終わる。
「僕は、クラースさんを埋めたいんです」
真っ直ぐにこちらを見つめる瞳は双子月の光を映し、暗く淀んだ色の中に狂気に満ちた緋を浮かべていた。
→後書き