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□タイムカプセル
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「――――クレス?」
真夜中に、月明かりも届かない深い森の奥で、脇目もふらず一心不乱に何かを削る。
対象がよく見知った相手であっても狂気じみたその光景への恐れは拭い去れるものではなく、クラースの声には微かながらも確かな震えがあった。
「あれ、クラースさんじゃないですか」
手を止めて振り返ったクレスは、しかし拍子抜けするほどいつものクレスだった。
持っていた物――どうやらそれは大きなスコップのようだった――を一旦地面に置くためにわざわざしゃがみ込む、その丁寧さもいかにも彼らしい。
そのままの体勢でクラースを仰いだ彼はあどけなさの残る目を丸くさせた後、いかにも人の良さそうな笑みを浮かべて首を傾げてみせた。
「どうしたんですか? こんな所で」
「‥‥それは私が聞きたいさ。こんな夜中に何してるんだ」
いつもの通り穏やかなクレスの声音にほっと緊張が解れるのを感じながら、クラースはそう言って大袈裟に肩を竦めた。
強く優しく信頼の置けるこの少年の、一体何を恐れる必要があるというのか。
一時でも仲間を相手に恐れなどを抱いた自分が馬鹿馬鹿しく、クラースは気を取り直すように鍔を下げる。
クレスは暫く不思議そうにクラースを見上げていたが、やがて静かに立ち上がると促すように自分の足元を指差した。
「穴を掘ってたんです」
隣まで歩み寄り同じように彼の足元を覗き込んだクラースは、そこに広がるものに思わず目を見開いた。
彼の言う通り、視線の先の地面には穴が掘られていた。
言われてみれば先程の音は確かに土を掘り返すそれだったと納得したものの、クラースを驚かせたのはその大きさだった。
かなりの幅と深さのあるそれは穴を掘ったと言われて想定するレベルを遥かに超えていて、一体どれだけの時間堀り続けていたのかと思わず当人を振り返る。
その顔に驚愕の色をありありと浮かべたクラースに、クレスはまるで安心させようとするかのように微笑みかけた。
「ねぇ、クラースさん」
例えば地図を広げて経路を相談する時のように、或いは難解な言葉に出会してその意味を尋ねる時のように、いつもの調子でクレスはクラースへと呼び掛ける。
聞き慣れたその声音に幾分表情を和らげたクラースは、いつものように小さく首を傾げることでその先を促した。
「明日、トールに行くんですよね」
「ああ、ある程度の場所の見当はついたからな」
「そこに時空転移の装置があれば、僕達の時代に戻ってダオスと決着をつけるんですよね」
「そうだな」
彼が話している内容は、宿で眠りにつく前に二人で向かい合い確認したものそのままである。
心優しく誇り高い魔術師が託してくれたその研究結果は本来、ダオスを倒した後にクレスとミントを元の時代へ送り届けるためのものだった。
まさかこの時代に生きる自分とアーチェまでもが時を超えることになる等と、恐らくは彼も予想していなかったに違いない。
心の内でそう独りごちるクラースの隣で、一方のクレスは足元の穴を見つめるように俯いていた。
「どっちにしろ、僕はもうこの時代に帰ってくることはないんです」
どこか寂しげに呟かれた言葉は、しかし変えようのない事実だった。
時空転移が成功すれば、今度こそダオスとの決着をつけることになる。
それは0か1か、端的な言い方をすれば倒すか倒されるかの世界だった。
前者であれば、100年後の人間であるクレスとミントはそのまま本来の時代に残る。
後者であれば言わずもがな。
結果がどうなったとしても、確かに彼がこの時代にやって来ることは二度とないだろう。
そして同じように、結果が0と1のどちらであったとしても、それは自分達の別れを意味していた。
分かっていたことだが、それでも改めて認識してしまうとどうしようもない淋しさと切なさに呑み込まれる。
今は、そんなことを考えていてはいけない。
とにかく勝つことだけを、全員で生き残ることだけを考えなければならない。
明確になった別れに皆同じ想いを抱えながら、それでも明日の戦いに全てを懸ける覚悟でいるのだから、最年長たる自分はその筆頭でいなければならないのだ。
何度も繰り返したその言葉を、クラースは再び自身に向けて言い聞かせた。
「‥‥タイムカプセルって、知ってますか?」
ふと、クレスが小さな声で問い掛ける。
それにつられるようにクラースはクレスへと顔を向けたが、金色の髪に隠されその表情を見ることは叶わない。
一応答えとして頷きはしたものの、果たして俯いたままの彼に伝わったのかどうかはクラースには分からなかった。
「そのままにしておけば、なくなったり、消えちゃったりするから‥‥だから土に埋めるんです。未来でも、それを手元に残せるように」
クラースの答えが見えたのか或いは気にしてもいないのか、クレスは顔を上げることもなく淡々と言葉を続けていく。