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□暖かな悪夢
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うっすらと開けた視界には、空を覆い隠すように生い茂る森の姿。

不規則なジグザグに縁取られた狭い空をぼんやりと眺めながら、果たして自分は生きているのだろうかと考える。

しかしその疑問は、直後に全身を襲った激痛によってあまりにも容易に解決された。

「ぐ、うぁ‥‥ッ」

意識の全てを持っていかれるような強烈な痛みは全身を支配していて、痛まない箇所を探す方が困難に思えるほどだった。

浅く短い呼吸を繰り返しながら、抉るような痛みを訴える胸に反射的に手を添える。

押さえつけるように服を力任せに握り締めてみるが、何の気休めにもならないと実感してすぐにやめた。

自分が生きているのならば、とにかくまず状況を確認しなければならない。

そう思い肘を支えにしながらゆっくりと起き上がろうとしたが、上体をほんの少しでも動かす度に胸に走る激痛に諦めざるを得なかった。

恐らく、肋骨を何本か負傷しているのだろう。

たかが呼吸一つにも酷く痛み、息を吐く度にひゅうひゅうと喉が鳴る。

加えて、先程からどんなに動かそうとしても左足が全く動かなかった。

力を込めようとすれば咎めるように痺れるほどの激痛に襲われ、この様子では折れてしまっているのだろうと溜め息を吐く。

右足は辛うじて無事なようだが打撲と傷とでやはり痛みは酷く、とても動かない片足を庇って歩けるようなものではなかった。

落下中に木々の枝で切りつけたのか剥き出しの両腕は傷だらけで血に汚れ、肌に描かれた紋様は本来の役目を果たせるのかどうかも危うい。

一体今の自分はどれほど酷い格好をしているのだろうかと、クラースは自嘲の笑みを浮かべ息を吐いた。

戦闘の結果はどうなっただろう。

彼らに怪我はないだろうか。

そう考えて、しかしすぐに無用な心配だと思い直す。 

確かに手強い類の魔物だったが、数はそこまで多いわけではなかった。

あの五人なら大丈夫なはずだ。

それよりも、今自分が置かれているこの状況を何とかしなくては。

そうは思っても、起き上がることすら出来ないクラースには何をどうすることも出来ないのが現実だった。

そもそも元いた場所からどのくらい落ちたのか。

確認することは叶わないが、木々の高さと自分の負傷具合から見てもそれ相応の距離はあるのだろう。

よく生きていたものだと改めて感心しながら、クラースは四肢を投げ出したままゆっくりと瞼を閉じた。

運が良ければ彼らに見つけてもらえるだろうし、運が悪ければここで終わる。

こんな状況にも関わらず落ち着き払っていられることにクラース自身驚いたが、人間とは案外そんなものなのかも知れないと結論付けることで終わりにした。

風に揺らぐ木々の柔らかな葉擦れの音。

高く響く小鳥の囀り。

穏やかに温もりを分け与える木漏れ日。

痛みに疲弊していく精神を優しく癒すようなそれらに意識を集中させようとした、その刹那。

それは前触れもなく現れた。

「――――!?」

突然感じた確かな『気配』。

遠くから次第に近付いてくるわけでもなく、例えるならばまるで時空転移でもして来たかのようにそれはあまりにも唐突だった。

どう考えても人間や、まして野生動物の成せる業ではない。

となると、考えられる相手は魔物しか有り得なかった。

どうやら、運は自分には向いていなかったらしい。

あっけないものだと心の内で自嘲しながら、すぐ傍らまで近付いてきたその気配にクラースはゆっくりと瞼を持ち上げた。

緩く波打つ、風に揺れる豊かな金糸。

クレスを彷彿とさせる赤いバンダナと、鮮やかな緋色の外套。

無感情に自分を見下ろす蒼い瞳とぶつかって、クラースは自分の状況も忘れ慌てて立ち上がろうとした。

「ッ、ぐぁああっ!!」

途端、鋭利な刃で切り裂かれるかのような激痛が身体中を稲妻のように駆け抜ける。

足の先から手の先までもれなく支配するその痛みに一瞬思考は遮断され、喉から絞り出すような声で呻きながらクラースは草の上をのたうった。

「‥‥‥哀れだな」

そんな彼の惨めな姿を、侮蔑と憐れみの浮かぶ眼差しで冷徹に見下す男。

世界の脅威であり、一行の追い求める宿敵―――魔王ダオス。

その言葉は自身の状況に対してなのか、或いはこれから待ち受ける自身の結末に対してなのか。

どちらでもあるように思えて、クラースは緩く口角を上げた。

たとえ万全の状態であったとしても、詠唱に時間を要する召喚士一人では全く勝ち目のない相手。

腕の一本すら満足に動かせないこの状態で、己の行く末など考えるのも馬鹿らしかった。

世界を担う通称『英雄』の結末としては、本当にあまりにもあっけない。

「‥‥‥‥‥」

ふと、気だるげに自分を見上げてくるクラースを映していた瞳が白い瞼に閉ざされる。

代わりに小さく動く形の良い唇に、声は聞こえないもののそれが何かしらの詠唱であることをクラースは悟った。

それは同じ術者としての勘なのか、或いは状況から導かれる当然の推論なのか。

そんなことを考えるのも億劫だった。

ゆっくりと、軽く開かれた右手がクラースへと翳される。

過程は予想外だったものの結果は覚悟出来ていたからだろうか、確実になっていく自らの死の予感に対し彼はどこまでも落ち着いていた。







「―――ナース」







小さくもよく通る声。

直後に感じた、胸元を包む日溜まりのような優しい温もり。

「ッ―――!?」

それは決して未知の術ではなく、クラースにとっても慣れ親しんだものだった。

しかしそれは、あの聖女という言葉をそのまま表したかのような清らかな少女によって紡がれるもの。

祈りによってもたらされる、神聖なる癒しの力。

目の前で自分を見下すこの男がこの状況で行使するには、あまりにも不自然で不可解極まりない力だった。





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