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□ハニージンジャー
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クレス率いる旅の一行が今夜の休息場所として選んだ、この広い街を象徴するかのような大きな宿。

その一室にて、パーティの年長者であるクラースは眠くもない身体をベッドに横たえ、布団を被ったままぼんやりと天井を眺めていた。

例えばこれが深い闇に包まれた深夜であったのならば、覚醒状態を保ったまま休息へと明け渡そうとしない脳と身体を無理矢理遮断させるべくベッドに潜り目を閉じることは、夜更かし癖のある彼にとってそれほど珍しいことではなかった。 

しかし未だカーテンが両端に待機している窓からは部屋の中を十分に照らすほどの光が射し込んでおり、その色も漸く幾らか夕暮れの気配を乗せ始めたかというものであった。

何しろまだ夕食すら食べていないのだ。

何故まだ日が出ている内から、しかも眠気を感じているわけでもないのに布団に入っていなければならないのか。

全く以て時間を浪費しているとしか思えない自分の行動に、クラースは何度目なのかも分からない溜め息を吐いた。










きっかけは、魔物との戦闘を終えた後のミントの一言だった。

「クラースさん、もしかしてどこかお身体の具合が悪いのではないですか?」

クラースが何かを答えるよりも早く、耳聡くその言葉を聞き付けたクレスが剣を鞘へと収めながら駆け寄ってくる。

よりにもよって厄介な二人に目を付けられたと内心で焦りながら、クラースは至って自然な様子で彼女達へと微笑みかけた。

「いや‥‥何ともないが?」

細心の注意を払って発したはずの声は、しかし努力も虚しく常と比べると幾分低い上に掠れてしまっていた。

言葉と全く逆の事実を表すそれにミントが眉を寄せ、クレスは慌てた様子でクラースに詰め寄った。

「どうしたんですかその声! 風邪でもひいたんですか?」

「いや、そういうわけじゃない。熱もないし‥‥」

「でも、ひどい声じゃないですか」

クラースは決して嘘を言ってはいなかった。

しかし所々掠れてきちんと音になっていない言葉は説得力も信憑性もなく、眉間に皺を寄せて彼に迫るクレスの行動も仕方のないものだった。

こんな声で風邪でもないし体調も悪くないと言われたところで、素直に信じる人間などほぼ皆無に等しいだろう。

「喉が痛むのですか?」

見上げるようにクラースをじっと見つめながら、ミントが静かに問い掛ける。

口にこそ出さないものの嘘は許さないとその瞳が雄弁に語っていて、クラースは沈黙することで肯定を表した。

敢えてクレスの顔は見ないようにしたが、恐らく彼もミントと同じような表情を浮かべていることだろう。 

「‥‥今朝コーヒーしか召し上がらなかったのは、そのせいだったんですね」

尋ねるというよりは確認するような響きを含んだミントの言葉と彼女らしくない険しい表情に、クラースは諦めて小さく頷いた。

三日程前から始まった喉の痛みはその内治るだろうという彼の予測を裏切って着々と悪化し、今朝はとうとう唾液を飲み込むことすら苦痛に感じるほどになっていた。

試しに発声をしてみれば通常よりも低い上に掠れていて、とにかく今日一日は極力喋らないようにしようと彼は決意した。

というのも、喉が酷く痛む以外はこれといって何の異常もなく、熱もなければ身体のだるさといったものも感じられなかったのだ。

それでも、もしこの状態を知られたりすれば今日の出発が延期されてしまうだろうことは容易に想像がついた。

他は至って健康なのだから問題ないと説明したところで、このお人好しと心配性の揃った集団が相手では通用するはずもない。

しかし彼にとって、そんな些細な不調の休養のために一日を犠牲にすることはあまりにも無駄に思えたのだ。

とにかく声を発することを必要最低限に留め、喋る必要がある時はなるべく小声にして悟られないように注意を払い、出発前にこっそり購入したのど飴で場を凌いだ。

勿論常とは違うクラースの様子にパーティの面々は気付いていたのだが、アーチェの「なんか今日のクラース機嫌悪いよね」という言葉もあり、敢えてそこには触れず普段通りに接していたのだった。

しかしクラースは、彼らの旅路にほぼ必ずといっていいほど付随する魔物との戦闘という事態を完全に失念していた。

その攻撃手段の特性上、戦いの中で声を発しないということは彼にはどう考えても無理な話だった。

召喚の儀式において呪文の詠唱は必要不可欠である。

悟られないよう出来得る限りの小声で術を行使し戦闘を終えたのだが、すぐ隣でサポートにあたっていたミントの耳まではさすがに誤魔化せなかったようだった。

その後の展開はもはや言わずとも知れていた。

街に近い位置にいたこともあり、すぐにクレスから今日は休養と買い出しにあてるという判断が下された。

一応クラースは先に進むことを提案したが、事情を聞いた他の三人も加わったパーティ全員から却下されてしまい従わざるを得なくなってしまったのだった。

「私は隣の部屋にいますから、もしお熱が出たりしたらすぐ呼んで下さいね」

「風邪は万病の源といわれます。今日は休養に専念して下さい」

「旦那最近夜更かしが続いてただろ? 今日はとにかく寝てろよな」

「お見舞いに来た時ベッドにいなかったらイラプションだからね!」

「いいですか? 夕食も僕達がここまで運びますから、絶対に温かくしておとなしく寝ていて下さいね。本を読むのもダメです。とにかく寝て下さい。約束ですからね?」

街に着いて早々入った宿でわざわざ一人部屋まで取って自分をベッドに寝かしつけた彼らの言葉と、一様に心配そうにしていた表情が脳裏に浮かぶ。

彼らに悪意など勿論なく、そこにあるのは仲間への純粋な好意と気遣いである。

だからこそクラースも大袈裟だとは思いながら、彼らの言い付けに従いこうしておとなしく横になっているのだった。

チェスターに指摘された通り、確かに最近は新たに手に入れた魔術書の解読のためにほとんど眠っていない日々が続いていた。

あまり認めたくはないが、もう若さの盛りは過ぎてしまっているのだ。

いくら徹夜慣れているとはいえ、連日の睡眠不足で身体の抵抗力が落ちてしまっていたのだろう。

これ以上時間を無駄にしないためには、今日一日しっかりと休んで体調を元に戻すことが最も有効で的確な策である。

そう自分に言い聞かせ、クラースは睡魔を手繰り寄せるべく全く重くない目蓋を閉ざすのだった。







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