book
□タイムカプセル
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クラースがそれに気が付いたのは、全くの偶然だった。
何故かふと目が覚めて、カーテン越しにほとんど光の入らない室内にまだ真夜中であると理解した。
珍しく規則正しい時間にベッドに入ったりしたからだろうかと考えながら、覚醒しきらないまま再び眠りへと落ちていこうとする意識に逆らわず、重い目蓋をそのまま閉じようとして。
極端に狭くなっていく視界の中でふと、向かいのベッドが全くの平面であることに気付いた。
そこに寝ているはずの人物は、確かに自分と同じ時間にベッドに入ったはずだった。
思わず身体を起こし、サイドランプをつけて辺りを確認する。
暖かなオレンジ色に照らされた布団はきっちりと整えられていて、トイレか何かだろうというクラースの想定は一気にその信憑性を失っていく。
そしてその推察は、壁に立て掛けられているはずの彼愛用の剣が見当たらないことにより完全に撤回を余儀なくされた。
彼が自身の獲物を携えていくということは、つまり街の外に出ていくということを意味している。
反射的にベッドから降りようと布団を捲りかけて、しかしふと思い止まり彼は手を止めた。
厄介なことに、親切とお節介とは常に紙一重の関係にあるものだ。
小さな子供でもないのだし、大抵の魔物には十分対抗出来るだけの実力を備えているのだから、そんな彼が部屋にいないからといってわざわざ探しに行く必要もないように思われた。
彼も十七という難しい年頃なのだから、夜空の下で一人静かに物思いに耽っていたい夜もあるだろう。
或いはなかなか寝付けずに、鍛練を兼ねて素振りでもしているのかも知れない。
そう自身に言い聞かせ再び布団を被ったものの、結局数分後には、幾つかの指輪を手にクラースは部屋のドアを開けていた。
昼間は活気に溢れるアルヴァニスタの城下町も、夜中ともなればまるで時が止まったような静寂に包まれていた。
どこかの部族はこのくらいの時刻を草木も眠る丑三つ時と表現するのだと昔何かで読んだような気がするが、さて何処で見かけた本だったか。
そんなことを考えながら、いかにも大国の城下町らしい立派な門を抜け石畳の階段を下る。
見上げれば今日の双子月はいつもの神秘的な蒼さを手放し、正反対の緋に染まっていた。
幾つかの条件が重なった単なる自然現象だと理解しながら、しかし背筋をひたりと何かが這うような恐怖に似た感覚にクラースは思わず身体を震わせる。
それは魔物と対峙した際の命の懸かった恐怖とは違う、人智を超えた計り知れない何かに対する圧倒的かつ絶対的な恐怖だった。
胸騒ぎがする、とはよくいったものである。
胸の中で得体の知れないものが蠢くような不快感に顔を顰めながら、クラースは見えない何かに押されるように知らずその足を速めていた。
「‥‥クレス?」
探していた人物は、その白銀の鎧のおかげで暗がりの中でも目についた。
街を出て橋を渡った先に広がる、広大な深い森。
日の高い時間ならば木漏れ日が優しく地面を照らし、時折吹き抜ける風がさわさわと耳に心地好い葉擦れの音と共に瑞々しい緑の匂いを運ぶ清々しい場所だった。
しかしただ昼夜が逆転するだけで、そこは全く別の場所へと姿を変える。
深く生い茂る木々は黒い影のように行く手を阻み、微弱な月明かりは殆どがそれに遮られ力を失う。
底の無い奈落のような真っ暗な大地が続き、時折吹きつける風に揺られた葉が立てるざわざわとしたその音は言い知れないおぞましさを連れてくる。
そんな森の中へと、クラースは導かれるように足を踏み入れた。
何の確証があるわけでもなかったが、彼がこの先にいるような気がしてならなかったのだ。
さすがに目の方も闇に慣れ始めていたが、月という唯一の光すら遮られたこの空間では数歩先までの安全を確認するので精一杯だった。
一歩一歩を慎重に踏み出しながらしかしその足が止まることはなく、クラースは奥へ奥へと進み続けた。
果たしてそれは虫の知らせというものだったのか、随分と入り込んだ森の奥に探し求める彼はいた。
傍らの地面に剣を置き、常の様に鎧とマントを身に付けた背中が規則的に上下する。
その動きに合わせて、ざくざくと、何かを削るような音が辺りに響く。
それらと連動して控えめに揺れるバンダナを蝶か何かのようだと思いながら、クラースは驚かせないよう抑えた声で呼び掛けた。