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□取捨選択
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「ダメだよチェスター、クラースさんは僕と買い物に行くんだから」
「残念だったな、俺はもう予約済みなんだよ」
「僕だってちゃんと約束してるよ! ねぇ、クラースさん?」
「旦那、この間約束したよな? 今度俺の特訓に付き合うって!」
右手をクレス、左手をチェスターに掴まれ、年若い青年二人に挟まれたマッハ中年ことクラースは疲れきったように溜め息を吐いた。
何故こんな状況になったのか、思い返そうとしたものの疲れが倍増しそうなので止めておく。
確かに約束はしたのだ。
それは間違っていないのだから、二人の言い分も正しいといえば正しかった。
四日前、チェスターに「今度精霊と一緒に特訓に付き合ってくれよ」と言われた時も。
三日前、クレスに「今度買い物に付き合ってもらえませんか?」と言われた時も。
クラースは確かに頷き、それぞれと約束を交わしていた。
だからこそ自分を間に挟んで子どものような言い合いを続ける彼らに対し、うんざりとしながらもあまり強く言えずにいるのだった。
しかしどちらと交わした約束も『今度』というものであり、そこに明確な日にちは含まれていなかったはずだ。
どうしてよりにもよって久しぶりの休日に、朝っぱらから、しかも二人ともが揃ってやって来るのか。
深い深い溜め息を吐いて項垂れるクラースの頭には、休日だからこそ彼らがやって来たのだという至極当然の理由は浮かばないようだった。
そんないつもより幾分老け込んで見えるクラースの様子に気付くこともなく、二人の睨み合いは更に加速する。
「特訓なら今日じゃなくてもいいじゃないか」
「お前こそ買い物なんか一人で行けばいいだろうが」
「僕はクラースさんと買い物に行きたいんだよ。今日みたいに時間がある日じゃなくちゃゆっくり見て回れないだろ!」
「俺だって旦那と特訓したいんだっつーの! こんな絶好の修行日和逃せるわけねぇだろ!」
修行日和とは一体どんな日和なのかと考えて、恐らくよく晴れて湿気も少ない過ごしやすい天気のことを指すのだろうと推察する。
そもそも行楽日和だの読書日和だのといった何とか日和というものは、大抵が静かでよく晴れた快適な気候を指すものだ。
結局のところはつまり、そういった日は人にとって肉体的にも精神的にも最高の状態を保つことが出来る条件が揃っていて、だからこそありとあらゆる行動に適しているということなのだろう。
そう思考を巡らせるクラースの行動は、本人は自覚していないが一緒の現実逃避である。
どんどん冷めていくクラースの意識とは反対に加熱の一途を辿るクレスとチェスターの言い合いは、その熱と勢いに煽られるかのようにやがておかしな方向へと進み始めた。
「お前、どうせ買い物に託つけて旦那とデート気分でも味わうつもりなんだろ?」
「なっ‥‥ぼ、僕はそんなこと考えてないよ!」
「途中カフェか何かに寄って旦那にパフェ食べさせて口についたクリーム舐め取ったり」
「そんな人が見てる所ではやらないよ!」
「挙げ句最後には妙な場所に連れ込んで」
「しないよそんなこと!!」
「はっ、どうだかな。どさくさに紛れて手繋ごうとかキスしちまおうとか、上手くいけばそれ以上とか考えてるんじゃねぇの?」
「そ、それ以上って‥‥僕は別にそんなことまで望んでるわけじゃ‥‥っ」
それはつまり、手を繋いだりキスをしたりというのは計画に入っているということだな?
それよりお前は人が見ていなければ私の口についたクリームを舐め取るのか?
すまんなクレス、お前との約束は取り消すことになりそうだ。
あくまで心の中だけでそう断って、クラースは自分の右腕を抱き込むようにしている少年へと視線を向けた。
頬を赤く染めてあたふたしながら弁解している様は年不相応で実に可愛らしいが、その内容は決して可愛いなどと言えたものではない。
というより、然り気無くとんでもないことを言っている。
そこにいるのは彼にとっても見慣れたクレス本人であるはずなのに何だかまるで別人のようにすら思え、クラースはぶるりと身体を震わせた。