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□表と裏
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何もかもが、違っていた。
正確に言えば、違っているなんてものじゃなく。
何もかもが反対だった。
僕は剣術にはそれなりに自信はあるけれど、勉強だとか、そういうものははっきり言ってしまえば苦手で。
あの人は学者の名に相応しく博識で頭が良くて、けれど剥き出しの両腕は大人の男性にしては細く柔らかくて。
それから。
僕はミルクと少しの砂糖を入れたほんのり甘いコーヒーが好きだけど、あの人がいつも好んで飲むのは苦いブラックコーヒーで。
感情に流されてしまいやすい僕とは対照的に、あの人はいつも冷静に物事を見つめていて。
僕は昔からあまり夜遅くまで起きているのは苦手だけど、あの人は新しい本を開いてしまったりすれば徹夜なんて当然で。
食べ応えのある肉料理の方が好きな僕とは違って、そもそも少食なあの人はどちらかというとあっさりとした料理が好きで。
それから。
それから。
数えればキリがないくらい、両手の指を使っても足りないほどにあの人と僕との間には『反対』がいくつもあった。
久しぶりに街―――人がいて宿や店のある場所―――へと辿り着いたというだけでも十分なのに、野宿続きだった上にやたらと魔物との遭遇も多く戦闘の絶えない日々だったという事情も重なると、アイテムの類は言うまでもなく更には薬や食料等、必要なものは驚くほどたくさんあった。
自分の荷物を確かめて、共有の道具袋の中身を確認して、皆にもそれぞれ必要なものを聞いて回って。
その結果、メモ代わりの小さな紙は裏側までびっしりと買い物リストで埋まってしまった。
青空が広がっている内に出掛けたはずなのに、一通り買い物を終えて帰ってきた今こうして夕焼け空にいくつか星が瞬いているのは、いわば当然の結果だった。
時計は持ち歩いていないから正確な時間は分からないけれど、街中に美味しそうな匂いが溢れていたからもうすぐ夕飯時なんだろう。
今日の夕食は何が出るんだろうと想像を膨らませながら、扉を開けるため両手を塞ぐ荷物を何とか片手に抱えようと宿の前で四苦八苦していると、扉に嵌め込まれたガラス越しに気付いた主人が慌てて駆けてきて中からさっと開けてくれた。
僕のお礼の言葉に「いえいえ」と手を振った彼はいかにも人の良さそうなその笑顔を裏切ることなく、僕の両腕を占領する荷物を見ると部屋まで一緒に運ぶと申し出てくれたけれど、その気持ちだけを有難く受け取っておくことにした。
この忙しい時間に手を煩わせるのは申し訳ないし、何より僕自身も心配してくれたあの人に一人で大丈夫だと言い切った手前、誰かに手伝ってもらいながら戻るのはさすがに恥ずかしかったからだ。
何かあったら遠慮なくどうぞと言ってくれる主人に感謝を込めて深く頭を下げ、抱えた荷物を落とさないように気を付けながら慎重に階段を上る。
出掛けようと同じ階段を下りた時にはそんなことはなかったのに、今は一歩踏み出す度にぎしりと重そうに軋む音がした。
並んだ客室の中から覚えた番号を見つけてそのプレートが取り付けられたドアの前に立ち、そこで漸く重要な問題に気付く。
宿の入り口の扉の前で直面したばかりのその問題に、僕は再び向き合うことになってしまった。
「‥‥どうしよう‥‥」
一応もう一度頑張ってみるけれど、やはりどう荷物を持ち替えてみても右手も左手も空きそうにはなかった。
回すタイプではなく下に下げるタイプのドアノブだから、これでも身体は柔らかい方だし足で開けようと思えば出来ないこともない。
でも、さすがにいつ誰が通るかも分からないこんな場所でそんなマナーの悪い行動をするのは純粋に嫌だった。
たとえ誰にも見られなかったとしても、やはりそれはやってはいけないことだと思う。
幸いこのタイプなら、曲がったままの肘を使えば何とか開けることは出来そうだ。