02/08の日記

02:59
時の流れというものは。※めちゃめちゃ長いです
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時の流れというものは。


お久しぶりでございます。
更新するとかなんとか言って
結局、三日坊主以下、と言いますか
とにかく、忙しいとか言い訳して
全然何もできてないのです。
足を運んでくださる皆様、
こんな私で、本当に申し訳御座いません。


祖父の口癖と言いますか、昔から何度も聞いていた、
●●が二十歳になるまで生きていたいなぁ、という言葉。

当時、まだまだ小学生とかで、歳とか、成人になることとか、私にとっての一年と、祖父にとっての一年の違いとか、
なにも分からなかったのですね。
というか、わかるようになったのも極最近の話で。

本当に時の流れは早くて、気がつけば12月で二十歳を迎え、先月地元で成人式も無事終え、祖父、祖母、父母弟に晴れ着姿を見せてあげることができ。
家族に感謝すると言うこともわかるようになり。

小中学校時代の地元の友人にも会って、
水泳部で集まることもでき、
楽しい時間を過ごせました。

しかし、本当に、時間というのはあっという間に過ぎてゆくのですね。


ここから重たい話ですのて、
気分を害される方はお戻り願います。

実家に帰る度に、祖父の老いというものを感じます。
私の家庭は、祖母以外、祖父と仲が悪く特に婿としてきた父と仲が悪く。
私はずっと、父の味方というか、肩身の狭い思いを父がするのはいやだし、なぜそんなにも祖父が父を嫌うのか今でもわからないのですが、。
だから、母も、自分の親である祖父と仲も悪くなり、祖父のことももちろん本心では大切だけど長男なのに養子にきてくれた父の肩を持つ形で、
20年間、過ごしてきました。
でも。私が18で実家を出て、学校長期休みなどに帰省すると、
昔よりもっと、祖父と、父母弟の隔てが大きくなってるような気がします。
気のせいじゃないのです。
弟2人ももう高校生と、小6、反抗期、思春期、習い事などもあり友達付き合いもあり
帰宅時間も遅くなったりで、早く寝る祖父祖母と顔を合わせるどころか会話すらしない、できる時間があっても、祖父母のいる部屋にいかない。

一緒に暮らしてるのに、
本当に、なんというか、
祖母は母とも仲はよく、父とも仲悪いわけではないのですが、
祖父は、話す相手が祖母しかいなくて
目が見えないからやれることもどんどん減っていき、
プライドが高い、というとあまり良いイメージではないのですが、とても強い人で、
だからやれることが減っていく、思うように動かない身体に苛立ちを感じているんです。
なにもかも思うようにいかず、家族とも不仲で、それでもなお、人を頼ろうとしない。
祖父はそういう人間なんです。
もっと頼ってほしいと思う反面、
そんな祖父が、人を頼るようになってしまったら、それは本当に、老いというものを目の当たりにすることになるわけで、
それが私は怖くてたまらないのです。
いちばんきっと、怖かったり悔しかったりするのは祖父自身なのに。

考えたこともなかったのに、この年になってやっと、考えられるようになって、でもそれじゃあ遅いというか、もっとはやく気づくべきで。
会う度に、私は、切なくなるというか胸が締め付けられるような思いで辛くて
●●が心配でしかたない、●●がおらんと寂しいっていう祖父は、本当に、私が実家を出る前とはかなり変わったとおもいます。
実家を出るべきじゃなかったのかもしれません。
たしかに、本当に私が実家を出てから、父母弟の生活リズムも変わって、祖父母とのすれ違いも格段に増えたし、孫と会話する機会もなく、楽しみも減ってしまっただろうから。

幼い頃から、まだ祖父の目が見える頃から、長女の私はたくさん祖父との思い出があるはずなんです。思い出せないくらいそれが当たり前の日常だったし、父を嫌う祖父に、父に気をつかいながら接してたりしたこともあり、思い出があるはずが、良い思い出があまりないというか、思い出せないことばかりなんです。当たり前の日常すぎて。
幼い頃の私はまだ色々理解できない状態で、
もう理解できる年になった頃には何をどうすればいいかわからない状態で
ずっと祖父、家庭のことから目を背けてきました。

オーディションが終わった金曜日、
母に、なんとなく、祖父母は元気にしてるか聞いて、
祖父は、成人式で私が帰った時からさらに弱ったかなと聞いて
いてもたってもいられず。
本当に苦しくて、怖くて、どうしようもなくて
幸い土日なにも予定なかったので
急遽実家に帰りました。


祖父母は、本当に嬉しそうにしてくれました。
でも、私は、もちろん会えたり、喜んでもらえたことは嬉しいのですが、
祖父母の老いを見て改めて実感することが怖くて仕方なかったです。
本当にこわいんです。いつか失ってしまうかもしれないことが。
本当に時の流れが早いということが。
1ヶ月の間にこれほど変わるものだということが。
私にとっての1ヶ月と祖父母にとっての1ヶ月の違いが。


成人式で祖母が祖父のこと、若い頃の話から最近の話まで話してくれてから
ずっと気がかりで、盲目のことに加え、足腰が弱って、よく転倒したりぶつかってしまうことを聞いていたので
衝撃吸収材の入った帽子を前に送ったのですが
祖父は入浴時以外ずっとそれを被っててくれているらしく、嬉しかったです。
それより、ホッとしました。すこしでも危険性が減るのなら。
それから、今回帰省した一番の目的は柱の角や危険な家具に衝撃吸収シートを貼ることでした、
すこしでも怪我したりするリスクを減らせるように。

もっとはやく気づいてもっとはやく行動すべきだと思いました。
もちろん、これで心配がなくなったわけでは全くありません。
常に危険は付きまといます。

すごく自分勝手で傲慢だとおもいます。
心配なのは本当に心配です、でも自分が、老いていく祖父を見るのが辛いとか、後悔したくないとか、怖いとか、安心していたいとか。
それで自分が救われたいとか自分を守る為の感情なのかなとか思ったり。
今までずっと、祖父の気持ちなんて考えず、ようやくこの期に及んでなにかしようだなんて、
本当に勝手だとおもいます。

それでも、祖父に、生きてて良かった
生きてるって楽しいって思ってほしい
お節介かもしれないです、でも私がいることで喜んでもらえるなら、元気でいてくれるなら、
私が今からでもできることしてあげたい。

家族の問題なのに、父に気持ちが言えない歯がゆさ、弟たちにも気持ちが伝わらないもどかしさ、母も最近になって、祖父を本当に気にかけるようになったものの、父の手前、気持ちに行動が伴わなかったり長年不仲な関係を急に変えるなんてできなくて、それがどうしようもないことである母の葛藤。
なにもかも、私は変えられない。

夢を、やるべきことを放りなげて
実家に帰るなんて勇気も私にはない。
だからせめて月1‥2週に1度、帰りたい。
私がいることで少しでもなにか変わるのなら。

私は、家族は、どうするべきなんでしょう。

祖父の心配をしだしたら、とまらなくて眠れなくなって、苦しくて気が狂いそうになって涙とまらなくて、
こんな状態で夢を追う不安、でも私には、投げ出すこともできない。

こんなこと書くようになることが、
もっと、この現状を突きつけられることを実感して、

ほんとは、こんなこと考えるべきじゃない、いつか失うかもしれないとか縁起でもないし、失礼だし、。
でも現状から目を背けることもできなくて。

つらい。どうしたらいいのかな。
祖父は昔から本当にどんなにつらくても思うようにいかなくても、逃げずに一生懸命働いて、定年退職してからも病気と戦いながら自分の威厳も保ちながらわざと嫌われるような発言をして孤独をつくって生きてきて、
そんな祖父に、私は少しでも笑ってほしい。

何言ってるかわかんない。

ごめんなさい、こんなところで。
他に、言えるところがなくて。
聞いてほしいわけじゃないんです、
ただ、何かに、言葉にできない気持ちを記したくて。


もう逃げてばかりじゃダメなんだ。
向き合いっぱなしでも良くない。

真っ先に自分が潰れそうです。
なにもかも中途半端になりそうです。
不安なこと怖いことだらけです。
本当に弱いです。

くよくよ考えて心配して悩んでばかりいるから、
三年前からの原因不明の不調も良くならないんだ。
なにもかも悪循環で、うまくいかない。私にはなにが足りないの。
本当にどうすればいいの。






もし、もしも、これを読んで頂いた方で、なにかご助言頂けたら本当に嬉しいです。
意見でも結構です。
ただ、誹謗中傷だけはしないで下さい。


幽遊白書と関係なくてすみませんでした。



幽白に染められて、このサイトを開設してもう5年、ですね。
だって、15歳のときですから。
小説もその頃書いたものばかりですし、過去の日記なんてホントにガキみたいな内容しかなくて情けなくなりますね。

しかしもう5年経つとは。

もう、専門学校も卒業とは。
ついこの間入学したのに。

もう体調崩して3年とは。
死ぬほど苦しくて寝てもさめてもつらかった当初から、なにも変わってない気が。

地元離れて、とっても大切な友人と
意に反して疎遠になっていく寂しさ
私だけがどれだけ仲良くしていたいと思っても
愛知と東京という距離が摩擦を産んでしまうのですかね?
気持ちが相手に伝わらないもどかしさというか、せつなさというか。



東京にきて2年‥。

はやいなあ
いろんな経験して、いろんな人に出会って、いろんなこと考えて、笑って、悩んで、苦しんで、驚いて‥

実家にいたら気づけないままだったであろうことにもたくさん気づいて、
地元じゃ経験できないこともたくさん経験して
お金を稼ぐ、生活するたいへんさも分かって


二年間に四つもそれぞれ全然違うバイトを経験して
社会の恐ろしさ、大人の世界の汚さも知って

なにかと、悩んで苦しんだりしたことの方が
20年間生きてきて、多いです、本当に。
特にここ数年は。

大人になるつてそういうことなんですかね。
もっと気楽に、鈍感に生きられたらいいのに。
なぜ私はこんな神経質の心配性でネガティブなのでしょう!


とにかく、
私は、しっかり現実と向き合って
自分の人生は自分ひとりのものじゃないことを、もっとよく考えたうえで、
納得のいく行動をしていくべきなのですかね。

どんどんまとまらなくなっていくので、
これで失礼します。


ここまでお付き合い頂き
ありがとうございます。
近いうちにまた、きます。

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