赤い涙

□幼少期
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それは突然の出来事で。





――――――――キキーーーーーーッッッッ!!!!!






『イヤアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!』


「ダメよ名前!!!!!!」


『イヤ!!!!!!イヤァアアアアア!!!!パパァアアアアアア!!!!!!』


6歳の女の子が受け止めるには重すぎる現実だった。

苗字直樹、享年30。

6歳の小さな女の子を娘に持つ父親、短すぎる人生であった。
近所からも評判な程仲がよく、休みの日には近所の公園で遊ぶ姿がよく見られた。
死亡原因は偶然な交通事故。
脇見運転をしていたトラックにはねられ、頭を強く強打し即死であった。
そして最悪なことは、その現場を、小さな女の子が目撃をしてしまったということであった。
目の前で、人が死ぬ。
誰もがトラウマになりかねない事象。
6歳の小さな女の子、名前は、その日から『血』というものを見るだけで意識を失ってしまうようになってしまった。

『血』というものであれば視界に映ってしまえばもう皆一緒であった。
小さな切り傷であったり、かすり傷であったり、ほんの些細な怪我を見るだけでも名前は遠のく意識に抗えずにその場に倒れてしまっていた。
幼稚園の先生も、周りの友達も、そんな名前を哀れんで何も言わなかったが、その哀れみがこもった目で見られるのが、名前にとって一番堪えることには誰も気がつかなかった。
ただ、唯一、同じ境遇に立つ名前の母親、杏里だけは気がついていた。
杏里はそんな名前を気遣い、家を越すことを決意する。

旧姓、赤司杏里。

彼の有名な、赤司財閥の後継者の赤司譲の妹である。
彼女はそんな兄に名前と同じ歳の男の子がいると思い出し、自分が昔住んでいた実家とも言える家の近くのマンションの一室を借りることにした。
…間違っても兄を頼ろうとは思わなかった。
何しろ、杏里は兄である譲を嫌悪していた。
人間性としては完璧である兄だが、感情性の面ではどこか欠落している部分があった。
そんな人間でありながら人間らしい感情を持ち合わせていない兄を杏里はあまり好いていなかった。
そして、もう一つ、嫌悪している理由があった。
…譲の妻のことである。
当然、譲に名前と同じくらいの歳の男の子の息子がいるということは以前は妻がいたということは容易に想像ができることだろうと思う。
だが、現在、彼の家にその妻である女性はいない。
…5年前、息子を産んですぐに自殺をしてしまったからだ。
彼女が死んでしまう前、杏里とその女性は姉妹とでも言えるような仲であった。
杏里はその女性のことを本当の姉のように慕っていたし、その女性も杏里のことを本当の妹のように接してくれていた。
兄である譲もその女性と結婚した直後は今までに見たことがない位、感情が豊かだった。
だがしかし、息子が生まれてから譲は元の冷徹な彼に戻ってしまったのである。
元々頭のきれる譲は物理的な暴力ではなく、言葉の暴力で息子を追い詰めていった。
その息子を庇うその女性にも、例外なくその言葉の暴力は襲いかかった。
…最終的にその暴力に耐えられなくなり、彼女は自殺をしてしまった。
その後の赤司家でどうなったのかは杏里にも全くわからなかった。
彼女が自殺をしてしまった後、逃げるように杏里は実家へと足を運ばなくなった。
…最後に行った際に、どこか悲しそうな顔をしてこちらを見てきたあの男の子の顔は今でも忘れることができない。
心配ではなかったといえば嘘になる。
一度はあの男の子を引き取ると兄に抗議したこともあった。
だが、「あれは赤司家の跡取りだ。」と一蹴されてしまった。
その言葉に杏里は何も言い返すことができず、ただ歯噛みをしていただけであった。
あの頃の未熟な自分が今となっては憎い。
もし、あの子があの時のような言葉の暴力を受けていたとして、精神的に今大丈夫なのだろうか。

この、決心はあの子の様子を一目見たいという思いもあった。
リンゴン、と久しぶりに実家のベルを鳴らす。実に5年ぶりのことであった。
「はい」と呼び鈴に応じたのは杏里が幼いころから仕えている使用人で、顔を見た瞬間に「杏里様…!ようこそおいでくださいました…!」と涙をポロポロと流されてしまったのには杏里も流石に驚いた。
彼女はすぐさま、杏里とその隣にいる名前を応接間へと通し、お茶を出してくれた。
そして目の前にカタンと腰をかけて、心底申し訳なさそうな顔をした。


「すみません、杏里様。生憎譲さんは海外に出張中でございまして…。」


「あら、それならそれで構わないわ、私があの人のこと苦手だっていうの、あなたも知ってるでしょう?」


「…やはりお代わりありませんか…。」


その杏里の言葉に、使用人はホッとしたような、それでいて少し悲しそうな顔をした。
小さいころから私たちを見ている彼女にとっては、兄妹で啀み合うなんてことは本当ならばして欲しくないのだろう、と杏里は心の中でそっとつぶやいた。
今回の目的は譲ではない、その譲の一人息子であるあの男の子に会いに来たのである。
杏里はそのことを彼女に伝えると、彼女は微笑み、「すぐに連れてくるので待っていてください」と言い、扉の向こうへと消えた。


『ねぇ、ママ…。』


そこで不安そうに名前が言葉をこぼし、杏里の服の裾をぎゅっと掴んだ。
いきなりこんな広い場所へと連れてこられたのだから、名前も少々緊張しているのだろう。
そんな幼い娘の頭を優しく撫で、母親はやんわりと微笑む。


「大丈夫よ名前、ここはママが小さい時に住んでいた家でね、今は兄が住んでいるの。あと今さっきのおばさんと他に何人かの使用人がいてね、あとあなたと同じ歳の男の子もいるのよ。」


幼い名前には少し難しかったのだろうか、だが彼女なりに把握はできたのだろう。
少し怪訝な顔をしながらもコクリと頷くと、「ママの昔住んでいたお家なんだね。」と様子を見るようにあたりをキョロキョロと見回していた。
そんな時だった。



「征十郎様、こちらですよ。」


「あぁ、ありがとう。」


6歳児とは思えない程、しっかりしていて、気品あふれる子供であった。
目の前に立つ赤い髪の毛を持つ男の子は、人形のように綺麗な顔立ちをしていた。
名前も、杏里も、そんな彼の容姿に思わず見入ってしまい、何も言うことができなかったが、大人である杏里はすぐに切り替え、目の前にいる男の子を改めて頭の先から、足のつま先までを眺めた。


「…大きく、なったのね…。」


思わずこぼれそうになる涙をぐっとこらえ、どこか子供らしくない雰囲気を醸し出す彼を見て、やはりここに置いていかなかったほうがよかったという後悔の念も押し寄せてきた。
そんな杏里の気持ちを悟ったのであろうか。
名前はその男の子から視線を外し、クルリと向きを変えて杏里の方を見る。


『ママ…大丈夫?』


「うん…平気よ、大丈夫。」


そんな親子の姿を見て、征十郎と呼ばれた男の子はどこか不思議そうにしていた。
…それもそのはず、物心がついてから母親と触れ合っていないのである。
そして使用人の女性に聞いたところ、保育園なるものにも通っていないらしく、外に出ることもあまりないらしい。
少し前に譲が仕事から帰ってきて、征十郎に帝王学を叩き込んでいたと聞いたときには杏里はめまいがした。
まだ、こんなに小さな子にあの男はなんてことをしているのだろう。
確かに、赤司家を継ぐ立派な後継者にしたいという一心かもしれない、だがまだ小学校にも上がらない子にそんなことを覚えさせるのか、と杏里は腸が煮えくり返りそうであった。
自分の他に子供がいない環境で育ったであろう征十郎には、名前が珍しくて仕方がなかったらしい。


「君、名前はなんていうの?」


ごくごく自然に、彼から名前に話しかけていた。
話しかけられた名前も人見知りすることもなく、彼の質問に律儀に答えていた。


『苗字名前って言います、えっと…。』



「…赤司征十郎だよ、宜しくね、名前。」



『んと…よろしくね、征ちゃん。』


それが、名前と征十郎の出会いであった。

杏里は少しでも名前の心の傷を癒せるように、事故のことを何も知らないであろう征十郎を相手に選んだ。
自分が征十郎の様子を見ていたかったのもある。だが、それ以上に名前のことが心配だったからでもあった。
杏里が思っていたとおり、新しい環境で生活するのは彼女にとっても、名前にとっても悪いものではなかった。
だが、所詮男と女。小学校低学年のうちに、お互いに友達ができたのだろう。
女の子である名前は女の子と、男の子である征十郎は男の子と遊ぶようになり、彼女たちの距離は少しずつ広った。
また、名前は『血』を見ると倒れてしまう、ということを学校の友達に隠し、生活をしているらしい。
それは一度倒れてしまうとまた、あの哀れみの目で見られてしまうのではないかという恐怖からのものだった。

…だが、事件は起こる。

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