短・中編小説
□迷宮に眠る星
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この小説は神話を基に、自己解釈を織り交ぜたものです
この迷宮に暖かさはない。建物であるのに風が吹き抜け、この醜い身体を更に冷たくしていく。
この世に生まれ出でた時から、私は怪物だった。人間と雄牛の間に創られた、人とも牛とも言えぬ牛頭人身のこの身が憎かった。
腹を痛めて私を産んだ母を恨んでいるわけではない。神との誓いを破り、母を呪いに晒した父が殺したい程に憎かった。
成長するにつれ、父への憎悪は増した。激情に胸は爛れ、自分でも抑えられない怒りは灼熱と化した。そのせいか、この迷宮に閉じ込められた時、私は確かに安堵した。
これでもう、母を傷付けてしまうような暴力を振るうこともなくなる。だからこそ、存外単純な造りのこの迷宮に留まったのだ。
食料は少々少ないものの、生きてゆけるだけの供物はあった。
しかし、供物として迷宮へ送られてくる人間達は、皆絶望と恐怖が支配した表情ばかりだった。私が恐ろしいのか、食われることが恐ろしいのか。どちらにせよその表情は、私には酷く残酷なものに見えた。
私がいかに歪な生き物に見えようとも、半分は人間の血が流れているのだ。人間の持つ感情というものだって、この心に持ち合わせている。
食うことは生物の本能だ。捧げられた人間達が魚や木の実を食むように、私は生きる為に食事しているに過ぎないのだ。
九年毎に七人の少年と同じ数の少女が私に捧げられ、今回でもう三度目だ。九年前と同じように、またあの目を向けられなければならないのか。
いっそ、供物が私を見てしまう前に食い尽くしてしまおうか。しかし、そうなれば残りの長い年月を空腹で過ごすことになってしまう。もしかしたら、餓死してしまうやもしれない。
誰か、私のこの醜悪たる身体を貫いてくれれば、私は易々と終焉を迎えることが出来るだろうに。
供物は、やはり私をあの目で見た。なぜさっさと食わなかったたのだ、と自分を責めたくなった。
「随分、死にたそうな顔をしているな」
そう、人間の一人が話しかけてきた。私は驚愕した。端正な顔立ちのこの若者は、他が恐れ慄く中、悠然とした態度で私に面向かっていたのだ。
「あぁ、強ち間違いではない。ここにいるのも、いい加減飽いてきたものだ」
気が付けば、私は若者に返事をしていた。嬉しかったのやもしれない。こんな私に臆せず声をかけ、苦笑さえ零した若者は自らをテセウスと名乗った。
「ミノタウロスよ、私がお前を葬ってやろう」
瞬間、私の身体を何かが貫いた。テセウスの手から伸びたそれは、紛れもない立派な剣だった。
「こんな化け物でも、血は赤いようだ。テセウスよ、ありがとう。お前がいなければ、私は己の血の色さえ分からないままだった」
傷口から止め処なく溢れ出る鮮血は、私の母と同じ色だった。それを知った時、私は涙した。
「……何か、言いたいことはあるか?」
「…………名を、私の名を呼んでおくれ……。ミノタウロスでは、ない。本当の名、を」
母が名付け、母だけが呼んでくれた私の名前。
「あぁ、それでは良い眠りを。アステリオス」
そして、私の世界はゆっくりと霞んでいった。
決して光が入ることのない迷宮に、日が射したような気がした。
迷宮に眠る星
・アステリオスはミノタウロスの本名。星の名
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