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□あぁ、まさか
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熱が、身体を灼いていた。鈍く響くそれは、まるで甘美な猛毒のようで。
思いが、心を妬いていた。醜く叫ぶそれは、まるで爛熟した果実のようで。
だからだ。
火照った心身を冷ますのに、ベッドのシーツは温過ぎた。全然鎮まってくれない鼓動に、嫌気が差して柔らかい枕に顔を伏せた。
鈍痛が収まらないうちは、仕事に集中することは出来ないだろう。
俺が動かないうちは、松永も仕事に戻ろうとはしない。本人自身、脱力感があるんだろうが、ちょっとした優越感を感じる。
何と安いものだろうか。
一言、口には決して出さず、舌で言葉を転がした。
機嫌が良かったからかも知れない。
頭の螺子が外れていたのかも知れない。
兎に角、俺の頭は正常では無かった。
だからだ。
「松永、」
俺は、
「好きだよ。」
軽々しくも、そう吐いてしまった。
心の奥底に沈ませていた筈なのに。
酷く重い錘を付けていた筈なのに。
吐いた言葉は存外軽かった。
あぁ、何て。何て簡単に崩れてしまったのだろうか。
熱に浮かされた所為か。それとも情事後の、いつになく甘ったるい雰囲気の所為か。
松永は黙っている。一言も、一文字も、一息すら、その整った唇から零れていない。
逃げることは到底叶わない。
怠く力の抜けた身体では、仮眠室から這い出ることすら。
更に深く、頭を沈める。自分のものではないのではと思う程重い腕で、枕を力一杯握り締め、両耳を覆う。
これなら、松永の声を聞かずに済む。
「里賀。」
けれど、そんな虚勢は、何の意味も成さなかった。
心地良い低音が、この身を焦がすのがはっきりと分かる。
「里賀。」
肩が、小さく跳ねる。
けれど、枕を抱いたまま、俺は顔を上げない。
枕が濡れているなんて気のせいだ。
俺は泣いていない。
「……秋名。」
聞き慣れている筈の、自分の名前がいやに懐かしく聞こえた。
乾いた髪の毛を梳く手が優しくて、ゆっくりと枕から顔を出した。
「何回呼んだと思ってんだ。」
僅かに眉間に皺を寄せた松永は、随分冷静だった。
髪を梳く手は止まらない。
「何泣いてんだ。」
「泣いて、ないっ」
嘘を吐くな、と溜め息を漏らされた。
違う、と反論しようとガバリッと上体を起こす。軋んだ身体など知るものか。
次の瞬間、目の前は真っ暗になった。
緩い香水の香りと、早鐘を打つ鼓動を間近で感じた。
違う筈がない。松永の香水だった。
「五年間。中等部から、五年間もだ。」
頭上から聞こえた松永の声。低さは変わらずだが、囁くようなそれに、耳が擽ったい。
息苦しさを緩和しようと身を捩るが、松永の腕の力が益々強くなったので早々に抜け出すことを諦めた。
「我慢できる筈ねぇし。クラスもずっと一緒な上に生徒会までとか。マジで生き地獄だったんだよ。」
この学園の中高等部クラス分けは単純に成績順。簡潔であるが為に、突き付けられる現実はシビアだ。
そんな分け方をしているから、クラスのメンバーは殆ど見慣れた人間ばかり。俺と松永も、学年主席・次席という並びで、中等部から同じA組。
「理性利かねぇし、ダメ元で誘ってみりゃ頷くし。それでも素っ気ねぇし。」
つらつらと文脈なんかお構い無しで話していく。
言葉の端々に、何とも都合の良い甘味を感じて、都合の良いように拾っていく。
もう喋らないで欲しい。
もう触れないで欲しい。
馬鹿みたいに屈折させて、松永の言葉を捉えてしまっているから。
これ以上、は。
「ずっと、好きだったんだよ。秋名。」
何を。
何を言っているのだ。
「な、に……を」
あぁ、ほら。
馬鹿みたいじゃないか。
小刻みに震える唇も、小さく音を立てる歯も、ベッドのシーツを皺が出来る程強く握っている拳も。
「ずっと秋名が好きだった。仕事している時も、教室にいる時も、抱いてる時もいつだって焦がれてた。」
熱が、身体を灼いていた。
鈍く響くそれは、まるで甘美な猛毒のようで。
思いが、心を妬いていた。
醜く叫ぶそれは、まるで爛熟した果実のようで。
全身が、歓喜に震え叫びを上げる。
「ほ、んとう、に…」
「あぁ。嘘なんか吐いてどうする。」
ゆっくりと視線を合わせると、松永が蕩けるような笑顔を見せた。
どちらともなく合わさった唇は、深く深く、絡まるように。
吐息さえ、唾液に混ぜて嚥下した。
あぁ、幸せというのはきっとこのことを言うのだろう。
俄かに高ぶる気持ちを抑えられないのは、どうやら俺だけではないようで。
気持ちが通じて行う行為は、こんなにも甘いのか。
脈打つ松永の熱を確かに感じて、俺は幸せを噛み締めた。
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