Singing LOVE!(=1000%)

□リフレイン
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涙が止まらなくて、止まらなくて。
自分の感情が身体に追い付かず、戸惑いを隠せない。
ここ最近の私の涙の理由は、悔しさと感動の2つしかなかったように思う。だからこそ、探した。今私が抱くこの感情の名前を、頭は必死に探した。

そして、「悲しさ」だと知った。

「悲しさ」というのは、何かを「失った」から抱くものだということを再認識した。
失った瞬間は頭は真っ白で、状況を脳が理解することで精一杯だったと思う。感情なんて二の次で。ようやく「心」が「身体」に追い付いたのだと思った。実に10日遅れで。

まさか、仕事中に、彼が好きだったクラシックのあの曲がBGMで流れただけで。それだけで。精神がイカれたかのように涙が溢れて止まらない状況になるとは。
音響の仕事を担う自分が。いまさら。びっくりした。

チーフに休めと言われ、テレビ局の従業員専用の通路を歩いていた。休憩室でコーヒーでも飲もう。
自販機を見つけ、小銭を取り出そうとした時。
そういえばこの横の通路は、出演者の控え室、所謂楽屋になっているんだったな、と。
何の気なしに足を向け、今日の番組の出演者の名前の書かれた表札みたいなのを見ながら、通り過ぎようとした。ら、1ヵ所だけドアがちょっと開いていた。
誰だろうと思って名前の欄を見たら、「黒崎蘭丸」と書いてあった。ああ、黒崎さんか。シャイニング事務所の売れっ子アイドルだ。
なるほど歌番組か、と思いながら前を通り過ぎて、中から聴こえてきた音に思わず前に出した脚が止まる。

「―――――」

歌だった。それはただの。彼の歌。
さすがにうまいな、とか。いい歌だな。とか。思う頭の片隅で。その歌の歌詞が文字になって浮かび上がる。

「………」

仲間との別れを歌った曲だった。

「……やば」

アカペラで鼻歌のように紡がれる、そんな単純な旋律にさえも。狂った私の涙腺は、緩まって涙がポロポロと落ちる。
いや、黒崎さんの歌、好きだけど。もともと。いいなと思えばCDを買ってしまう程度にはファンだと思うが。

立ち聞きはよくないと理解しつつも、脚は動こうとせず、始まりそうな嗚咽を飲み込んで私は静かにその場にうずくまった。何故黒崎さんの楽屋横で。あとであの薄気味悪い事務所の社長に怒られるんじゃなかろうか。仮にも黒崎さんアイドルだし。
そうぼんやり思いながら膝を抱え、額をくっ付けた。
なんかもう動けないし。
どう思われてもいいよ。だって涙が止まらないんだ。
私だってこんなに自分の気持ちを制御できなくなった経験、久しぶりだった。思春期みたいだと思うわ。

止まらないんだ。



しばらくしてその気まぐれな音は止まる。
私は未だその場から動けず、最早ただの不審者なんだろうなと思った。
すると微かに開いてるドアの隙間から、声がした。

「おい」

誰かを呼ぶ声だった。

「………」

まさか私じゃないだろうと思い、俯いたまま沈黙を続けていると。
キィ、と扉の動く音がして。
やべぇ、と顔を上げたら、案の定中から黒崎蘭丸さんが姿を現した。

「てめぇだよ、おい」
「ふぇ?」
「ふぇじゃねぇ、なに人の楽屋の前でしみったれた顔してやがる。ふざけんな」

本物の黒崎さん。こんなに間近で見るの初めてだった。やっぱ噂通りでかいな。って思って。
あまりにもじーっと見る私に嫌気がさしたのか、黒崎さんはあれよという間に眉間に盛大なシワを寄せた。

「そんなトコで泣いてんじゃねーよ。おれが泣かせたと思われんだろが」
「あ、厳密に言うと違うんですけど、でも泣いたのは黒崎さんのせいです」
「ああん!?」

そんな会話をしていると、黒崎さんの目の前の楽屋からガタガタと音がした。

「! マズイ、お前ちょっとこっち来い」
「え? っ、!」

腕をぐいっと引っ張られ、黒崎さんが楽屋のドアを閉めたのと、向かいの楽屋のドアが開いたのが同時だったように思う。

「あっぶねぇ…!こんなトコ見られたら誰に何書かれっか…」
「間一髪でしたね」
「てめぇのせいだてめぇの!」

ガルル、と牙をむく黒崎さんにちょっと怯むと、黒崎さんはチッと舌打ちしてガシガシと頭をかいた。

「……なんで泣いてた。おれの楽屋の前で。」

そしてボソッとそう言う。

「………」

正直に言っても納得なんてしてもらえそうにないけど。嘘をつく意味もないだろうから、私は正直に言うことにする。

「すみません。黒崎さんの歌に刺激されて」
「…は?」
「ちょっと、悲しいことがあって。や、悲しいって自覚したの最近なんですけど。涙ばっか出て、でも自分がなんで泣いてるのか、感情の名前がわからなくて。でも今日やっとわかって。「悲しい」だって」
「………」
「偶然前通ったら黒崎さんの歌聴こえて。でも、別に黒崎さんの歌全部が共感できたわけじゃないんです。ポツリポツリ、歌詞が文字になって頭に浮かんでは消えるんです。」

黒崎さんは黙って私を見ている。

「ただ、いい歌だなって思っただけです」

それだけだ。
この人も形は違えど「悲しい」という気持ちをどこかで経験していて、たまたまそれを歌詞にした曲を作っていて、たまたまそれを今日歌っていて、たまたまそれを今日、私が聴いただけだ。
それだけのことだ。

「…そうか。」
「はい。だから、すみません。ご迷惑をお掛けしました」
「いや」
「私黒崎さんの歌好きです。これからも応援してます。頑張ってください」

そう言って踵を返そうとしたときだった。


「今日、命日なんだ」


小さな呟きが部屋に響いた。

「………」

動きが止まる。

「……そんだけだけどな」
「………」
「………」

じわり。

視界が滲む。

ああいけない、また感情の制御が。

「……、そう、ですか」
「………」

人の死というのは。軽く何か言っていいものではない。
だから何も言えないのだ。
お互いに。

「………ッ、」

ただ涙だけが流れる。
言葉にできないから涙だけが。
言葉にできないから音だけが。


「…、っ」


きっとパブロフの犬だ。私はきっとこの先黒崎さんのあの歌を聴く度涙を流すことだろう。

黒崎さんの手が私の後頭部に触れた。
ぽす、と頭は黒崎さんの胸におさまる。
ああやべぇ、アイドルなんですけどね、この人。

「くろさ、き、さ」
「いい。こんなときくらい黙って泣け」
「…………ありがとう、ござい、ます」


悲しみに同調してしまった、
他人と他人。
それだけだ。


今だけは、ありがたいと思える。


震えるその手が、生きてるって言ってる。


そんな2012年の12月12日だった。

















2012/12/12



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