小話

□アルフォンスくんの夢と現実
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体を取り戻したら、なにをしようか。

長い夜がくるたび、一人でそんなことを考えては時間を潰していた。
すやすや眠る兄の寝言や歯ぎしりから逃げて真夜中の街を散歩して、目についた猫と遊んだりしながら。

そうだな、ペットショップとかいいなぁ。いや獣医さんになるのもいいかも。

未来の自分を想像するのは、ただの暇潰しから趣味のひとつみたいになっていた。
どんな未来を想像しても、どれもきらきら輝いて見えた。ボクはまだ子供で、今までよりもこれからのほうがうんと長い。無限に広がる未来の選択肢は、どれを選んでも期待を裏切らない素晴らしい将来を約束してくれていると思ってた。





「起きてください!遅刻しますよー!」
重厚なドアをがんがん叩き、ついでに蹴りまくる。そうしながら腕時計をちらりと見ると、もう迎えが来るまで時間がない。
「失礼します!」
乱暴にドアを開けて中に踏み込むと、広い部屋の真ん中にある大きなベッドでもぞもぞと蠢く大佐が恨めしそうにボクを見た。
「遅刻するってば!朝ゴハン食べて支度してください!」
「もうちょっと……」
「ダメです!早くしないと迎えが来ますよ!」
はぎ取る勢いで毛布を取り、情けない顔の大佐を洗面所に追い立てる。それから走って階下に降りて、パンを焼き始めると同時に玄関からチャイムの音。
「はいっ、ごめんなさい!もうちょっと待って!」
玄関ドアを開けて叫ぶように言うと、ハボック少尉がいつものごとく苦笑いして肩を竦めた。
「予想はしてたよ。オレにも朝メシわけてくんねぇ?」
「どうぞ、入ってください。ついでに大佐を急かすの手伝ってくださいね」
毎朝のことなので、少尉は特に気を使うでもなく入ってきて階段の下から上に向かってメシ全部食っちまいますよーとか怒鳴っている。唸るような返事が上から降ってくるけど、その不機嫌な響きにお構い無しな少尉はさらにいつまで顔洗ってんですかそれともお化粧でもしてんですかとか煽るようなことをニヤニヤしながら怒鳴っている。

大佐は少尉に任せて、お皿を並べて朝食の支度を整えて、バスルームに走って洗濯機を回し、それから朝刊を取ってきてキッチンに戻る。
その間に降りてきていた大佐に早く食べてくださいとトースターからパンを出してバターを塗り、ついでに少尉の分も塗ってあげて皿に乗せて、なにやら言い争いをしながら食べ始める二人を置いてまた二階へ。

あれだけの騒ぎなのに、いつもの通り大佐のベッドですやすやと寝息を立てる兄に呆れてため息をつき、おもむろにシーツをつかんでえいやっと引っ張った。面白いくらいころりんと、兄が床に転がった。
「なにすんだよアル!」
「なにじゃないよ!なんで起きないんだよ!あんだけ騒いでんのに!」
大佐の数倍寝起きが悪い兄は、なにやらぶつぶつ呟きながら床の上に丸まってまた目を閉じようとする。それへ枕で攻撃をしかけ、なにすんだと怒る兄を引きずるように洗面所に連行して顔を洗わせ、服を着せて階下へ連れて行った。下では食べ終えた大佐が玄関でこちらを向いて立って、新妻がいってらっしゃいのキスをしてくれるのを待っている。
「やぁ、目は覚めたかな鋼の」
「……なんとか」
兄は大佐に近寄って爪先立ちで頬にキスをして、いってらっしゃいと囁いた。その顔は仏頂面だ。
そんな顔で見送られることになにも文句がないらしい大佐は、溶けそうな笑顔でキスを返して行ってくるよと囁き返した。
外で待つ少尉が車のアクセルを嫌味をこめて何度かふかし、それからようやく大佐は手を振ってそっちへ歩いていく。走れよ。

車が出て行けば、とりあえず朝の戦争は終わり。ボクはほっと息をつき、コーヒーまだあるかなとか思いながらキッチンに引き返す。後ろからついてくる兄が朝ゴハンを要求するのがムカつく。大佐の残したレタスの切れ端でも食べれば?



未来は無限に広がって、どれもが輝いていると信じていたあの鎧の頃が懐かしい。ボクは椅子に座ってコーヒーを飲みながらため息をついた。

元に戻ったら結婚しよう、と言ったのは大佐で頷いたのは兄だ。ボクは二人を祝福し、今まで辛いことばかりだった二人が幸せになればいいと本気で願った。大佐が義兄になるのも嬉しかったし、これからも軍部のみんなと繋がっていられるのも嬉しかった。

けど現実はというと。

家事はどれもまったくダメな兄に、いくら教えても砂地に水をまくようなものだと思い知るのに時間はかからなかったし、大人でしっかりして見えた大佐が仕事以外はまるきり子供以下だということを知るのもまた同じ。
二人が同居を始めて一週間経ってから様子を見に来たときのこの家の惨状は、どう形容していいのかわからない。

結局ボクはそれからずっと、ここでお手伝いさんよろしく働いている。朝から晩まで忙しく動き回り、兄夫婦が人間らしい生活ができるように孤軍奮闘しているのだ。
ボクがいつか誰かと結婚してここを出たら、この二人はどうなるんだろう。いつだったか遊びに来たエンヴィーにそう愚痴ったら、試しに出てってみればいいじゃんとか言われた。ひと月もほっときゃエドだってどうにかするだろ、って。けどそれでひと月留守にして、帰ったときここがどうなっているか。想像できるから怖くて出れない。あの長い長い夜ボクを助けてくれた想像力は今も健在だから、そりゃもうリアルに目に浮かぶ。廃屋のほうがまだマシ、てくらいの家を片付けるのは間違いなくボク一人だ。兄も大佐もベッドに寝る隙間さえあればあとは気にしない連中だから。



夢は諦めたわけじゃない。空いた時間で少しずつ勉強してるし、いつかはきっと動物達に囲まれた幸せな生活を手に入れるつもりだ。なにしろ先は長い。ボクはまだまだこれからなんだ。


夜が更けてから玄関のドアがそっと開き、大佐がふらふらになって入ってきた。後ろからやっぱり足がもつれた少尉がふらふらとついてくる。そのあとから中尉がしっかりした足取りでついてきて、迎えに出たボク達を見て苦笑した。
「ごめんなさいね、飲み過ぎたみたいなの」
「いえ、遅くまですいません中尉」
車だというのに大佐と一緒になって飲んだ少尉の代わりに中尉が運転してきたらしい。へろへろになってソファに寝転んだ少尉はもう鼾をかいている。大佐は兄に付き添われて階段を這って上がっていった。

「大変ねアルフォンスくん。子供が二人もいて」
中尉にかかれば大佐も兄も子供扱いだ。ボクは首を振ってから笑ってみせた。
「慣れました。それに二人とも、一応感謝はしてくれてるし」
中尉と一緒にキッチンに入って、コーヒーを入れて座った。私服で髪をおろした中尉は正面から見るのが照れるくらいきれいで、ボクは誤魔化すみたいに急いでカップを口にした。
「そういえば、入学の件。大丈夫みたいよ」
「ほんとですか」
ボクは獣医になるための大学に入りたいと中尉に相談していた。学歴もなく親もいないボクには難しいかなと思っていたけど、学力テストは問題なかったそうだし大佐が後見人だということで申請は簡単らしいと中尉が笑顔で言ったから安心した。

「頑張ってね。あなたならいい獣医さんになれるわ」
「はい!」

ボクは負けない。どんな逆境でも、きっと夢を叶えてみせる。

中尉が帰ったあとリビングの少尉に毛布をかけて、ボクはこっそり外に出た。
いつか眠らない体で散歩していたときと同じように、星がたくさん煌めいていた。
でもそれへ向かって伸ばす両手はあのときと違う。
血の通った生身の手を見つめ、それを得るために兄と二人で旅を続けていたときのことを思い出した。
兄は幸せを見つけた。次はボクだ。

握り締めた両手は暖かくて、ボクは少しだけ泣きそうな気分になった。

「アルー!悪い、水ー!」

二階から兄が叫ぶ声がして、ボクは苦笑してまた家の中に戻った。






END.

アルかわいそう。

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