小話

□秘密のバスタイム
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「あれ?大将、風呂入って来たの?」
傍を通り過ぎたエドワードからふわりと香った石鹸の匂いを敏感に嗅ぎとって、ハボックは思わず声をかけた。
「え?あ、うん、まぁ」
らしくなく言葉を濁しながら曖昧に笑って、エドワードは大量に抱えた書庫の本をわざとらしく見た。
「暑かったからさ。じゃ、これ返して来なきゃだから」
「……あ、そう」
慌てたように歩き去るエドワードを見送って、ため息をつく。
今の香りは、軍のシャワールームにある安物の石鹸じゃない。だいたいエドワードは面倒くさがりで、普通に毎日風呂に行くのも億劫がるほうだ。まだ昼下がりな時間、暑かったからって書庫に来るのを後回しにして風呂なんか入ったりするような奴じゃない。
……そういえば、今日は上司は夕方から勤務だった。
そう思うと納得がいくような気がして、ハボックは一人苦笑して肩を竦めた。
まぁ、幸せならいいさ。
けど、自分だって大将のことは好きなんだ。上司だってそれは知ってるはず。こうなったら、明日上司に嫌がらせをさせていただかなきゃムカつきが納まらない。



夕方、ハボックと入れ代わりに出勤してきたロイは、自分の執務室で書庫から持ち出してきた本を熱心に読むエドワードを見つけた。「あ、ごめん仕事の邪魔だよな」
「まさか。ずっといてくれて構わないよ」
遠慮するエドワードににこにこ笑顔を向けながら、ロイはさりげなくエドワードに近づいた。
横に座って、可能なら肩に手でも回そうかと顔をエドワードに寄せたとき。
ふわりと香った石鹸の香りは、ロイの動きを止めるのに十分な衝撃だった。
「…鋼の。どこかで風呂にでも入って来たのか?」
「え。あ、ああ。うん、ちょっと暑かったから」
どぎまぎしているように見えるのは気のせいではあるまい。なぜこんなに動揺するんだ。しかもこの香りは結構上等なものだぞ。軍のシャワー室にこんなものは常備していないし、エドワードがわざわざ持ち込むとも思えない。
エドワードの風呂嫌いは知っている。少し汗をかいたくらいで、昼間から風呂に進んで入るエドワードではないはずだ。
自分が出勤してきたとき、既に退出していたのっぽの部下を思い出した。
いつもならのんびりおしゃべりをしていくくせに、今日はやけに素早く帰ったらしい。自分がこの子を好きなのを知ってて抜け駆けをして、それで顔を合わせ辛かったからなのか。
嫉妬でおかしくなりそうな頭をふいに冷やしてくれたのは、本に夢中なエドワードから香るシャンプーの甘い匂いだった。
リンスのきいたさらさらの髪を無造作にかきあげながらページをめくるエドワードを見つめて、ロイは苦笑した。
仕方ない。鋼のが幸せならそれでいいさ。自分は陰から見守ることにしよう。
だが、腹の虫は納まらない。明日会ったら意地悪してやる。こんな天使を手中にしたんだ、それくらい当然というものだ。




翌日。司令部は朝っぱらから険悪だった。ハボックとロイがひたすら睨み合っていて、ホークアイ中尉が中に入っても収まりそうにない。執務室の真ん中に仁王立ちしたまま、二人はまわりの目を気にする余裕もなく口喧嘩を続けていた。
「なんでオレが3ヶ月もドブさらいやんなきゃなんねぇんスか」
「貴様こそ、私の部屋のドアに水入りバケツを仕掛けただろう。おかげで来た早々着替えるはめになったぞ」
「うるせぇ、そんなん当然の報いだろ!それよか、ドブさらいなんて仕事本当にあるのかよ」
「地元のボランティア団体に協力するんだ、立派な仕事だろうが!てゆーか報いだって言うなら貴様のほうだろ!」
どちらも、睨み合ったまま一歩も引かない。
「オレがなにをしたんですか」
「私がなにをしたというんだ」

「「あの子と付き合ってるんだろ?」」

同時に問いかけ同時に驚いて、お互い殴ろうと拳を固めたまま見つめ合う。自分たちがあの子、なんて言い方をする対象といえば、あの金色しかいない。

「……いや、大佐と付き合ってんでしょ?」

「や、おまえとじゃないのか?」

「…………………」

「…………………」

考えることは同じ。

こいつでなければいったい誰が昨日、エドワードが風呂に入る原因になったんだ?

「……もしや、私達が知らないうちに誰かが…」
「た、大佐!こんなことしてる場合じゃないっスよ!」
「そっそうだ!鋼のを探して聞かなくては!」
二人はそのまま並んで司令部を飛び出して行き、あとに残った部下たちは呆然とするしかなかった。
「……なんなんですか?」
「さぁ」
部下たちにわかるのは、二人が戻ってきたら麗しい上司の射撃練習が始まるということだけ。
銃の手入れを始めたホークアイ中尉をその場に残し、全員とばっちりが来る前にと急いで仕事に戻っていった。





「兄さん、今日もお風呂?」
鎧の弟が呆れた声で聞く。
「おう。ちょっと行ってくる」
エドワードは機嫌よくバスグッズをカバンに詰めた。奮発して買った高い石鹸やシャンプーたち。ふかふかのタオル。アヒルのおもちゃも忘れずに。いまやお風呂は、エドワードの趣味になっていた。
いつもいつも汚れたままで平気な兄に悩まされていたアルフォンスだったが、この暑いのに汗をだらだらかきながら風呂は面倒だと言う兄に堪忍袋の尾が切れて、先日たまたま通りかかった町にあった温泉に兄を無理やり突っ込んでみた。それが意外と気持ちよくてハマったらしく、それ以来エドワードは暇さえあれば温泉や銭湯に出かけるようになった。
「機械鎧のやつ、結構いるんだぜ。重くて凝った筋肉にいいんだって。それに広いしキレイだし、いろんな風呂があって面白い」
いつか体が戻ったら一緒に行こうと言ってくれる兄に、弟としては頷くしかない。そんなに毎日何度も浸からなくてもいいんじゃないかとか、そのうちふやけるんじゃないかとか、言える雰囲気ではなくて。
バスグッズを詰めたカバンを肩にかけたエドワードは上機嫌で、風呂屋のパンフレットを広げて見取り図をアルフォンスに指してみせる。
「この泡風呂は昨日堪能したから、今日はこっちの水風呂に入るんだ。暑いから絶対気持ちいいぜ!」
「いやそれプールとどこが違うのさ。水でしょ?」
「風呂だよ。だってみんな裸だもん」
「プールと風呂の違いはそこだけじゃないと思うけど…。水風呂ってなんのためにあるか、よくパンフ見たほうがいいんじゃない?」
「風呂なんだから、浸かるために存在するに決まってんだろ。あ、みんなには言うなよ!大佐や少尉に風呂行ってるなんてバレたら、絶対来るに決まってんだ。変態コンビだから」
「……わかった。心臓、気をつけてね。準備体操を忘れないで」

いってらっしゃいと見送って、最初にエドワードを温泉に叩き込んだことを多少後悔しながらため息をつくアルフォンスは、その変態コンビがはるか後方から半泣きで走ってきているのをまだ知らなかった。



エドワードのいる風呂屋に二人が乱入してくるまで、あと少し。





END

いいよね広いお風呂って。

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