小話3

□疑惑の朝
1ページ/1ページ




珍しく早朝からロイのいる執務室にやってきたエドワードは、挨拶もそこそこにソファでくるりと丸くなった。ふぁ、とあくびをして目をこする仕草は子供っぽくて可愛いが、そんなふうに来てすぐ眠ってしまうことなど今までなかっただけに、ロイは怪訝な顔で書類をめくる手を止めた。
「鋼の」
「……んー………」
返事をするのも億劫らしい。だるそうに首だけ上げてロイを見て、またぱたりとソファに沈んでしまうエドワードに、ロイは立ち上がった。
「徹夜でもしたのか?」
問いながらソファに近づくが、エドワードは動かない。赤い塊と化した状態で目を閉じて、もうすっかり眠る体勢だ。
「鋼の、寝るなら仮眠室に行きなさい」
丸まった体をぽんぽん叩いて促すと、エドワードはうるさげに眉を寄せて少しだけ目を開けた。
「……やだ。ここでいい」
そしてまた目を閉じる。
「本でも読んでたのか?きみは熱中すると寝食を忘れるからいけない」
言ってから、ロイはふと自分のデスクを見た。錬金術関係の本が詰まった書庫の鍵はそこにあるはずだ。エドワードがそれを借りに来た記憶はなく、その書庫以外はほとんどが事件や事故などの軍の記録ファイルばかりで、エドワードが時間を忘れて読みふけるような書物はない。だからといってこんな早い時間にロイの執務室を訪れたところをみると、図書館や本屋にいたのではないことは確実。
ロイはエドワードの体を揺さぶって、起きなさいと声をかけた。
「なんだよもー。オレ眠いんだよーほっとけよー」
いかにもだるそうに答えて、エドワードはふいと顔を背ける。だがそれくらいのことでロイは諦めなかった。ひそかに想いを寄せる相手だから、余計気になる。
「鋼の。昨夜からここにいたのか?」
「うー?うん」
「どこにいたんだ?司令室か?」
「ちがうー。しつむしつ」
呂律が怪しい。すでに眠りかけているようだ。
「私が出勤したときには誰もいなかったが?」
「うん、だってよそのへやにいたから」
「……よそって、どこだ?」
穏やかな口調だが、ロイの手は震えていた。この建物には執務室はたくさんあって、それぞれ佐官や将軍の地位にいる者がそこに座っている。エドワードにロイ以外で執務室に遊びに行くような親しい相手がいることも問題だが、朝までとなるとさらに大問題だ。
「どこって、えーと。こっから三軒向こうのへや」
三軒とは三部屋か。そこは確か、
「………ハクロ将軍か?」
「あー、そう。そんな名前だったな、あのオッサン」
むにゃむにゃと眠そうに答えて、エドワードは目を閉じたまま眉を寄せた。
「あいつしつこくてさぁ。もう一回もう一回って、何度も…」
「な、何度も?」
ロイは拳を握りしめた。普段から嫌味な男で気にいらなかったが、まさかエドワードに手を出すとは。
ポケットに触れ、そこに自分の特製手袋があることを確かめて、ロイはひとり頷いた。殺るしかない。炭すら残さず燃やし尽くせば、行方不明でカタをつけることができるだろう。
意を決してドアへ向かおうとしたロイの前で、そのドアがいきなり開いた。
「おや。もう出勤していたのかね。今日は早いんだな」
感心感心、と偉そうに頷きながら部屋に入ってきたのは、たった今暗殺を決意した相手、ハクロ将軍だった。ノックもなしに開けたのは、ロイがまだ不在だと思ってのことらしい。
「……おはようございます。将軍こそ、こんな早朝からご出勤とは。なにかあったのですか?」
自分こそ普段は重役出勤で昼にならないと顔を出さないくせに、という嫌味もこめて、ロイは貼り付けたような笑顔を作った。
「いやいや。昨夜はここに泊まり込みでね」
元来能天気なハクロはロイの嫌味や険悪な瞳にはまったく気づく様子もない。機嫌よく答えながら、部屋の中をきょろきょろと見回した。その視線がソファの赤い塊に止まったことに気づいたロイが作り笑顔を忘れて睨みつけるのも構わず、ハクロはさっさとソファに近寄っていく。気配を察したエドワードが嫌そうに顔をあげてこちらを見た。
「やあ、エドワード。今、出勤してきた副官にいいやり方を聞いてね」
なんとファーストネーム呼び。まだ自分も呼んだことがないのに。
嫉妬に歯ぎしりしながら黙って見つめるロイの視線の先で、エドワードははぁとため息をついた。
「あんた、もういい加減にしてくれよ。何回やったら気が済むんだよ」
何回って。やるって。なにをだ。ナニをか。ロイの頭の中はすでに嵐だ。
「そう言わずに。若いんだから、もう一回くらい平気だろう」
「いくら若くても身がもたねぇっての。あんた、年のくせになんでそんなに元気なんだよ」
聞きながら、ロイはなんだか悲しくなってきた。なぜ自分の部屋で片想いの相手が他の男と痴話喧嘩をするのを聞いていなければならないんだ。
痴話喧嘩。確かにそうだ。
だって、エドワードは嫌がっていない。眠くて苛立っているだけで、怒ってはいない。
つまり、合意の上でのことなのだ。エドワードは他の男のものになってしまったということ。
告白する前に失恋か。
ロイががっくりと肩を落としている間も、ハクロはエドワードをひたすら口説いていた。
「とにかくオレ寝る。起きたらまた相手してやるよ」
ああほら。自分から相手をしてやるなんて言うあたり、エドワードも積極的じゃないか。
「仕方ない。では、私もそれまで少し休むとしようか。待っているから、起きたらすぐに来なさい。でないとせっかく聞いたことを忘れてしまう」
ハクロのやつ、物忘れするくらいボケてるくせにアッチのほうはそんなに元気なのか。アッチってどっちだ。やっぱりコッチのアレか。くそぅ殺したい。
裂けて血が溢れるほど唇を噛みしめたロイに、ハクロが笑顔を向けた。
「そういうことだ、マスタングくん。きみの錬金術師を午後からまた借りるよ」
嫌だ。
そう言えたらどんなに楽になるだろうか。
だが承服もしかねる。ロイは無理やり笑顔を作った。
「……マスタングくん、どうした?口の端から血が……」
「なんでもありません」
唇から顎へ伝う血を拭うこともしないロイをハクロが訝しむが、気にする余裕はない。
「将軍じきじきにご指名とは、事件でもありましたか。それとも、鋼のがなにか粗相でも…?」
白々しく訪ねると、ハクロはいやいやと首を振った。
「そんなんじゃない。個人的な用事だ」
「個人的、ですか」
食い下がるロイに、ハクロはそれでも笑顔だ。
「ああ。いや、鋼の錬金術師くんは若くてまだ躾も作法もなってないと思っていたのだがね。さすがはきみの部下だけあるよ。一晩付き合ってみたらこれがなかなかどうして、度胸はあるし頭はいいし。感服したよ」
「……それはどうも」
一晩て。なにそれ自慢?好きすぎて手を出すどころか告白すらできなかったのを知っているのか?知ってて見せびらかしてんの?死期早めたいわけ?そーかそーか、そんなら仕方ない。今すぐにでも殺ってやるから裏来いやコラァ。
ロイは手袋を取りだそうとポケットに手を入れた。殺気に気づかないハクロは、そわそわとまたソファの上の赤い塊を見る。
「しかし、彼はいつ目が覚めるのかね。早くしないと、せっかく教わった手を忘れてしまうが」
ロイは手袋を掴んだ手を止め、上官を見た。
「………手?」
「そうなんだ。こういう手で負けたと副官に言ったら、だったらこうすればと良い手を教えてくれてね」
「…………負けた?誰に?」
「だから、エドワードにだよ。暇つぶしにと誘ってみたんだが、意外に強くて」
「強い?」
「チェスだよ。子供だと思って侮っていたら、一晩やっても勝てなかった」
「……………一晩中、チェスですか………」
「うむ。きみ、彼は錬金術師としてだけ使うのはもったいないぞ。いい軍師になりそうだ」
「軍師………」
作戦なし、ひたすら敵に特攻するだけのカミカゼ部隊になりそうな気がするんだが。
てゆか、チェス。
なんだ、そうなのか。ははは、なぁんだ。いや、あの子のことだからそんなことだろうと思ってたけどね。うん、やっぱりね。わかってたよ最初から。
ロイは手袋を離し、今度は作ったものではない笑顔を将軍に向けた。
「お褒めにあずかり、光栄です」
「じゃ、私も戻って休もう。エドワードが起きたらよろしく頼むよ」
「わかりました。お部屋へ行かせますのでご心配なく」
チェスならいくらでも。役に立たない将軍は遊んでくれていたほうが仕事が捗るというものだ。
頭を下げるロイの肩を、ハクロがぽんと叩いた。
「それで。きみたち、付き合ってるのかね?」
「……は?」
目を丸くするロイに、ハクロは面白そうに笑った。
「口を開けばきみの話しかしないし、寝るのだって仮眠室を勧めたのにきみの部屋がいいと言うし。よほど仲がいいんだなと思ってね」
「え………」
戸惑ったロイがソファを見ると、こっそりとこちらを窺う金色と目が合った。慌てて隠した顔は真っ赤になっている。
「……いや、まだ。今からです」
ロイの答えにまた笑って、ハクロは部屋から出て行った。
そっとソファに近寄り、狸寝入りを決め込む赤の側に座る。エドワードはさっきよりさらに丸く小さくなっていて、金のおさげがぷるぷると震えていた。
「……鋼の。眠いんじゃなかったのか?」
「……………………あんな大声でしゃべられちゃ、眠れねぇっつの」
「私の話ばかりだったんだって?」
「………うっせ。他に話題がなかったんだよ」
「寝るのは私の側がいいって?」
「…………違うもん。ただ、ほら。ここのほうが落ち着くし」
消えそうな声のエドワードを見つめ、ロイは優しく笑った。
「…………私も好きだよ、鋼の」
赤がぴくりと身動きする。
「ずっと好きだったよ。……私の、恋人になってくれないか」
「……………………」
答えはない。
ロイはじっとエドワードを見つめて待ち続けた。

やがて、囁くような声がした。

「………ちょーし乗んな、バカ」

真っ赤なままで唇を尖らせて、悔しそうに眉を寄せて。
そんな状態では、返事は顔に書いてあるも同然だ。

「愛してるよ、鋼の」

赤い塊を抱き上げたら、潤んだ金色が見上げてきた。

「………ほんとに?」

もちろん。

頷いて抱きしめて、それからロイは思った。

いけすかないと思っていたハクロ将軍も、たまには役にたつこともあるようだ。
この子が旅立ったら、次は自分がチェスの相手をしてやってもいいかもしれない。

腕の中の子供は少しの間もぞもぞと動いていたが、やがて安心したように小さな寝息をたて始めた。



END,

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ