小話3

□アルフォンスくんの悩み事
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昼下がりの日差しが差し込む、小さな街の小さな宿の、これまた小さな部屋の中。
ボクは兄を椅子に座らせ、その正面に正座した。

「報告書」

呟くように、でも聞こえるように。
独り言みたいに言うと、兄はびくんと肩を揺らす。

「いい加減出さなくていいのかな?何ヵ月分たまってると思ってんの?」

「………………」

目を逸らす兄は唇を尖らせて、拗ねた顔を作っている。
けど、こっちだって引けない。昨日ホークアイ中尉に電話で言われたんだ、そろそろ顔を見せてねって。
中尉は優しいから、さっさと報告書持って来いなんて言わない。『ずいぶん会ってないでしょ?元気なのかどうか、心配になってきちゃって』って、遠回しな表現をする。そんな言い方されたら、断れるわけないじゃんか。『はい、じゃ近いうちに行きますね』って張り切って答えたさ。

「兄さん。あのね、兄さんは国家錬金術師なんだよ。でね、この旅は名目としては視察で各地を回ってることになってんの。つまり仕事なの。だったら、きちんとそれをこなさないと。旅ができるように配慮してくれてる大佐にも悪いでしょ?」

「………あんなハゲ、関係ねぇもん」

せっかく人がサルでもわかるように噛んで含める説教をしてあげてるのに、返事はそれかよ。ボクの兄はサル以下だったのか。

「大佐はハゲてないし、それは関係ないでしょ。ボクは職務を全うしろと言ってるんだけど」

「あーくそ、うるせぇ!わかったよ!」

ちょっと正論を言われると、それだけで兄はキレる。乱暴に立ち上がってコートを羽織ってトランクを持ち、ものすごく不機嫌な顔で足音高くドアに向かう。ちょっと、この宿古いんだよ。床が抜けたらどうすんの。
でもまぁ、とにかく行く気になったらしい。まだ時間も早いし、今から汽車に乗れば夕方にはイーストに着くだろう。

「行けばいいんだろ、行けば!」

眉を寄せて怒鳴るように言う兄がなぜそんなにイーストに行きたがらないか、理由は知ってる。
兄言うところの『ハゲ』。つまり大佐のせいだ。

無事汽車に乗り、座席に着くなりふて寝を始める兄を眺めた。丸まって横になり、コートを体にかけて目を閉じている兄はまだ眉が寄ったまま。眉間のシワがきれいな顔をだいなしにしている。

なんで大佐のせいかというと、兄が顔を出すたびに面白がってからかったり意地悪をするからだ。きーきー怒鳴って怒りまくる兄を、大佐はいつもそれはそれは楽しそうに見ている。

『エドワードくんがまだ子供だからよ。すぐムキになったり拗ねたりして、感情が顔に丸出しなのが面白いんじゃないかしら。軍はみんな大人で、特に上層部はタヌキばかりだものね』

ボクは大佐が兄と(兄で?)そうやって遊ぶのがちょっと羨ましかったので、外見が鎧じゃなくて普通の子供だったらよかったのにと思って少しだけ落ち込んだ。だって鎧はそこにいる大人たちの誰よりも大きくて、とてもじゃないが中身が子供だなんて思えない。実際どこに行ってもボクは大人扱いで、兄の保護者みたいに思われてしまう。そんなだから、大佐もボクを子供扱いしてくれないのだろうと思ったんだ。

けれど何年か経つうちに、なんとなく気がついた。
大佐はたとえボクが幼稚園児くらい小さくても、いや赤ちゃんだったとしても、兄と同じようには扱わないだろう。大佐は子供だからって甘えさせてくれるような人ではないし、自分から子供に近づいていって遊んでやるほど子供好きでもない。

大佐があんなふうに接するのは兄だけだ。兄だから、あんなに楽しそうに、愛しそうに見つめるんだ。

子供だからじゃない。
大佐にとって、兄は特別な存在だからなんだ。

それがわかってからは落ち込まなくてすんだ。大佐はボクにも気を使ってくれるし、ちゃんと話を聞いて答えを返してくれる。それが大佐の子供に対する態度なんだとわかったから、兄を羨むのもやめた。相手が子供でも真剣に向き合ってくれる人に、それ以上なにも望むことはない。

それに、あんなに毎回毎回意地悪ばかりされる扱いは、いくら特別扱いでもボクだって嫌だもんね。

ボクと同じ頃大佐の気持ちに気づいた中尉は、ため息まじりに苦笑していた。

『どっちが子供かわからないわね。好きな子をいじめてからかうなんて、いつから大佐は小学生になったのかしら』

ほんとにね。
いじめれば嫌われるだけだというのに、それでも自分を見て話をしてほしくてちょっかいをかけてしまうなんて、わざとイタズラしてお母さんの気を引く小さな子供みたいだ。

ああ、もしかしたら大佐は好かれることを諦めているのかもしれない。
同性だし、それに兄はこんな性格だ。永遠に続く反抗期の真っ只中にいる兄には、愛とか恋とかいう繊細な感情には縁がない。あ、サル以下だったっけ。じゃあ理解できないってのが本当かもしれない。サルだって恋人を作れるんだから、ほんとにマジでサル以下だ。うわぁどうしよう。ボク、そんなのの弟なんて嫌だ。

とにかく、大佐は兄に好かれようとはしてないようだ。兄の知らないところで便宜を図ってくれたり貴重な資料を探してくれたりするのに、そんなことまったく口にしない。ボクも中尉に聞くまで知らなかった。そうして兄と、ついでにボクをいろんなものから守りながら旅を続ける気力とヒントをくれるくせに、兄と顔を合わせれば嫌味な笑顔で意地悪しか言わない。

兄からはっきりと拒絶の言葉を聞くのが怖いんだろう。気持ち悪い、とか、あんたなんか嫌いだ、とか。なんかそんな言葉を聞かされて、しかも今までの関係さえ失ってしまうと思ったら、なにも言わずにこっそり想い続けたほうがマシだと思ったのかもしれない。

告白が怖いのなんて、みんな同じだ。誰だって好きな人に嫌われるのは怖い。そこで勇気が出せるか出せないかで、その先が決まるんじゃないか。
その勇気が出せない大佐は、本当の恋愛をしたことがないのかも。自分の持てるすべての勇気を振り絞ってでも手に入れたい人というのが、今までいなかったのかも。

なんか、大人でタラシな大佐に対してずいぶん失礼な憶測だけど、あんまり間違ってもいないと思うんだよね。

兄さんが身動きした。
もぞもぞと蠢き、寝返りをうってまた丸まる。猫みたいだ。見た目がだけど。中身はサル以下だし。

兄は大佐を、口で言うほど嫌ってないとボクは思う。
証拠はないけど、そんな気がする。だって、いつでも必死で背伸びをして大人のふりをする兄が、大佐の前でだけは普通に子供なんだ。
ボクの前では兄であろうとして、他人の前では一人前の男であろうとする兄が、大佐の前では素に戻る。怒鳴ったり拗ねたりいじけたりするのも、大佐に笑顔を向けないのも、甘えているからだ。大佐ならどんな振る舞いをしてもなにを言っても笑ってくれるって、嫌われないって、心のどっかで無意識に知っているんだろう。ほら、動物は自分を見る相手が好意を持ってるかどうかが敏感にわかるって言うし。野性動物みたいな兄さんにもそういう本能があっておかしくないと思う。

で、それで甘えてるってことは、兄も大佐が好きってことでいいんじゃないかと思うんだけど。

兄はそんなこと素直に口にできるような可愛い性格はしてないし、だいたい自覚してるのかどうかも怪しい。大佐が勇気を出さないと、二人がおじいちゃんになる頃になっても多分ずっとこのままだ。それは困る。間に入るボクや中尉にストレスがたまるし、未来永劫頭の中身が子供なまんまの兄の面倒なんか見てらんない。

どうしようかな。

思案してたら、兄が小さく寝言を呟いた。

「……大佐のアホー………」

バカハゲウンコ、と続く悪口に、ボクは苦笑した。

覗き込んだら、兄の眉間からはシワが消え、口元には笑みが浮かんでいる。

「大佐、の、……ヒゲヤロー………」

新しいの出た。
ヒゲってなんだ、ヒゲって。大佐にヒゲなんて、見たことないんですけど。

とりあえず、大佐に会ったら言ってみよう。兄は夢に見るほど大佐のことが好きらしいですよって。

どんな顔をするかな、と考えてくすくす笑っていたら、汽車のスピードが落ちたのがわかった。

窓の外は、イーストシティ。
じきに駅に着く。
ボクは兄の背中を渾身の力で揺さぶって、飛び起きて怒りまくる兄に着いたことを告げた。

「……ちぇ。またあいつの顔見なきゃなんねぇんかよ」

唇を尖らせる兄の頬が赤くなる。

わかりやすいなぁ、二人とも。

ボクは笑い出したいのを我慢して、トランクを掴んで汽車から降りた。






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