小話1

□ロイの日だから
1ページ/1ページ




時計を見ると、もうすぐ終業時間。
まずい。たいそうまずい。私は残業でも全然構わないというかのんびりやれてそのほうがいいのだが、副官はそうはいかない。終業時間を1分過ぎるごとに表情が険しくなっていく彼女と二人きりで執務室にこもっていると、まるで時限爆弾と一緒にいるような気分になる。いつ爆発するかはその日の彼女の機嫌次第だが、今日は事務となにやら揉めたとか言っていたから導火線は短そうだ。
デスクの隅に重ねてある書類を見て、無理な量じゃないと安心した。これなら、なにか邪魔が入らない限りなんとか片がつきそうな。ここのところ連日連夜残業だから、今日こそは急がないと体のどこかに穴が空く。たぶん急所とかに。

ということでひたすらペンを動かす私の部屋のドアを、誰かがノックした。
「誰だ」
顔をあげずに短く答えると、ドアがそっと開けられた。
「…………あの、」
遠慮がちに発せられた、その声だけでわかる。
弾かれたように顔をあげ、椅子をはね除けて立ち上がった。入ってきた相手を迎えるために足早にそちらへ向かう。とりあえず歓迎しなくては。書類はそのあとだ。
「久しぶりだね。どうしたんだ、そんなに遠慮して」
「………お仕事中、だった……?」
気遣うようにデスクをちら見され、私はその視線の先に割り込んだ。
「まぁちょっと忙しかったがね。きみは気にしなくていいよ」
躊躇う手を取ってソファへ促し、座らせてすかさず隣に座る。この、隙間を空けたりする暇を与えない絶妙なタイミングは長年の経験から培ったものだ。強引に出なくては、この子にするりと逃げられてしまう。
「なにかあったか?」
優しく言いながら相手の顔を覗きこむ。肩に手を置くのはこのときだ。さりげなく、しかしがっしりと。力加減が結構難しい。
「………そうじゃ、ないんだけど………」
「どうしたんだ。そんなに縮こまって、きみらしくないぞ」

そう。私にここまでの涙ぐましい努力をさせる相手といえば、この可愛らしい錬金術師以外にいない。
鋼の錬金術師。エドワード・エルリック。
彼はこんなに遠慮がちでおとなしい子ではないはずなのに。

「……えーとね。あの、」
鋼のは俯いたままで囁くように言葉を呟いた。こんな様子は初めてだ。いつも生意気でくそ元気な彼はどこにいった。
けれど、彼の容姿はとても優れているので、こうしていると儚げでたおやかで、これはこれで素晴らしい。
「なんだ?」
それでも元気だけが取り柄の鋼のがこんなにおとなしいと、やはり心配だ。
「言ってみなさい。ここには私しかいないから」
「…………う、うん」
頷く鋼のは耳まで真っ赤にしていて、膝の上で握った両手は震えている。

「えっと……た、大佐って、好きな人とかいる?」

「………………」

私が好きなのはきみだ。それを口にしたことは一度もないが、これだけ態度に丸出しなのだから少しはわかっているかと思っていた。

ていうか、これはもしかして恋愛相談かなんかか。この子は誰か好きな男ができて、それを私に相談しようというのか。なんてひどい。

「好きになったらさ、大佐ならどうする?やっぱ……告白とか、するの?」

可愛く頬を染めて聞く鋼のが眩しい。こんな初々しい年頃をとっくに過ぎた大人は、告白なんかよりどうやったらパンツを脱いでくれるかなどといった禍々しいことしか考えないものだ。私を筆頭に。

「……まぁ、まずは好きなことを相手に伝えなければ始まらんな……」

好きというか、したいということを伝えたいんだが。ああでも鋼ののような初々しい少年は、そんなことを言えば体が目当てだと引いてしまうだろうか。

「じゃ、大佐はなんて言われたら嬉しい?」

しようと言われたら。
いやいやいや。

「えーと。ありきたりだが、好きです、とか?」

鋼のの口からそう言われたら、そのまま死ねるかもしれない。

「じゃ、………あの、」

鋼のはまた俯いた。手が忙しくもじもじしている。

やめてくれ。可愛すぎる。

「お、オレがそう言ったら、………嫌、かな……」

「そんなことないよ。きみからの告白を断る男はこの世にいないさ」

そう、いないに決まってる。私は失恋決定だ。

「………オレ、男なんだけど。なんで相手が男限定なわけ?」

微妙な顔になった鋼の。そんな表情も可愛いよ。

「………女の子、か?」

「なんでそんな、喉に餅でも詰まったみたいな声になるの?………違うけど」

やっぱり男なんじゃないか。
てか餅が詰まった声ってどんなだ。それはもはや断末魔と言わないか。

「……だから。た、大佐が、オレから言われたら、どうかなって」

鋼のは真っ赤になって、金の瞳を潤ませて私を見つめた。

「…………え?」

「え、じゃねぇよ!だから、大佐が好きなんだってば!」

とうとう焦れて怒鳴った鋼のの顔を凝視したまま、私は動けなかった。

なにいまの。なんて言った?

私を、好き?

「大佐は、そういうの……やっぱダメかな」

返事をしない私に、鋼のは悲しそうな顔になってしまった。いかん、早く言わなくては。私もきみが好きだと、早く。
だが口が動かない。どうしてなんだ、こんな大事なときに。

「……………オレ、帰る」

鋼のは立ち上がって、出て行こうと歩き出した。

今行かせては、死んで魂だけになってあの世に行って修行して生まれ変わってからも後悔する。絶対する。

私は手を伸ばし、鋼のの体を素早く掴まえた。

「な、」

抗議しようとした鋼のをソファに引っ張りこんで、抱きしめて倒れこんだ。
慌てて逃げようとする体を自分とソファに挟んで、きつくきつく抱きしめる。

「…………好きだ」

絞り出した声は、確かに断末魔みたいだった。











はっと気づくと、私は仰向けにソファに寝ていた。副官が素晴らしく無表情に遠くから私を見つめていて、なんかそれがすごく怖くて飛び起きた。
「よくお休みになられてたようで」
副官の声は氷点下だ。時計を見ると、すでに終業時間からかなりの時が経っていた。
「目が覚めたら仕事してください。30分したらまた来ます」
聞く者を凍らせるような声でそう言って、副官はデスクの書類を確認し始めた。

夢か。
そりゃそうだ。鋼のが私を好きだなんて、夢に決まってる。

ああ、でも素敵な夢だった。彼の声も感触も、まだ全身に残っているようだ。

「あ、そうだ」
数枚の書類を持って部屋を出ようとした副官は、ドアのところで振り向いた。

「また明日、来るそうです」

「誰が?」

「エドワードくんですよ。お会いになったでしょ?」

「………………へ」

副官は部屋を出て行った。
待ってくれと言いたいのに、またしても声が出ない。

見下ろすと、膝の上に赤いコートがあった。
彼が私にかけてくれたのか。

え、じゃああれは本当なのか。

彼からの告白は、現実だったのか。

今すぐ確かめに行きたいが、30分したらまた副官が来る。逃亡なんて、死を確約するのと同じだ。
今死ぬわけにいかない私はデスクに飛びついて、上に乗った書類に猛然とサインし始めた。
終わったら彼の泊まっている宿に行って、確かめて。
それから抱きしめて、もう一度好きだと言おう。
彼からももう一度聞きたい。それから、そのあとは。












宿のドアを開けた瞬間に飛び込んできてしがみついた私に、鋼のは安心したような顔をした。
「よかった、生きてた」
「……………は?」
「だってあんた、あんな苦しそうな声出してすぐにぐったりなんだもん。死んだかと思って焦った」
「…………いや……疲れがたまってたから……」
寝不足が続いていたのは事実だ。鋼のを抱きしめて、ほっとして気が抜けたのだろうとは思う。
思うが。
この子は私がぐったりしたから、慌てて逃げたのだろうか。あのコートはあれか、死体にブルーシートをかけたりするやつか。

いろいろな言葉を飲み込んで、私は深呼吸した。

「鋼の。私は、きみがとても好きだよ」

今度は断末魔じゃなかったようだ。

鋼のは真っ赤になって、私の背中に小さな手をまわしてくれた。

「………すごく、嬉しい」


私もだ。

言うかわりに、私は彼の唇にキスをした。










END,

遅れましたが。
ロイの日だから、大佐が嬉しい話をと思って。
嬉しいのか?

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ