小話1

□赤ずきんお使い放棄(崩壊する童話・その4)
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「いいわね、ちゃんとおばあちゃんの家まで持って行くのよ」

何度も念を押されて、エドワードはしかめ面で頷いた。
フードつきの赤いコートを羽織って、母親から渡された籐製のカゴを持つ。その中にはケーキや果物が入っていた。
「けどさぁ、あのババァが病気なんて信じらんねぇんだけど」
憮然として文句を言う息子に、母親はため息をつく。朝からずっとコレだ。森で遊んではいけないと言えば喜んで突入するくせに、行ってきてくれと頼めばいつまでも渋って出ようとしない。誰に似たんだか。
「そんなこと言っちゃダメでしょう。ピナコばあちゃんだって、たまには風邪くらいひくわよ」
「妖怪は風邪ひかねぇんじゃねぇの」
「……………」
一瞬否定できなくて、母トリシャはちょっと黙った。森の奥に一人で住むピナコは村のみんなからは変り者扱いされていて、親しくしようとする者はいなかった。だが、子供の頃からよく遊びに行っていたトリシャにはとても優しい人だった。
そのピナコが、もう何百年も生きている魔女だということはトリシャとエドワードしか知らない事実だ。
だが、正直その外見は魔女というよりは確かに妖怪っぽくなくもない。
「そんなことないわよ。優しいおばあちゃんじゃない、エドワードだってよく遊びに行くんでしょ?お世話になってるんだから、こういうときには恩返しをするものよ」
ごまかすように笑ってトリシャが言うと、エドワードは不貞腐れたように唇を尖らせた。
「遊んでねぇよ。強制的に家事手伝いをやらされてるだけだもん」

エドワードは渋々ドアを開けた。外はからりと晴れたいい天気。こんな日は森なんかより丘にのぼって遊びたいんだけどな。ため息をついて足を踏み出すと、後ろからトリシャが思い出したように声をかけた。
「そうそう、森の狼とは遊ばないようにね」
「狼?なんで?」
エドワードは振り向いた。狼は昔から遊び友達で、森に行くたび一緒に走り回っている。危険だとよく村の大人達が言っていたが、その狼はエドワードを襲う素振りも見せたことはなかった。背中に乗せてくれたり、いろんな話をしてくれたり。エドワードは狼が大好きだった。
「家畜を食べたりして悪いことをするから、村の人が狩人を雇って退治するか追い払ってもらうって言ってたわ。傍にいたらあなたも危ないわよ」
「……狩人…………」

エドワードは森へ向かって走り出した。狼が撃たれてしまう。それだけは嫌だ。

早く行って、知らせなくては。






森に走り込んで、息をついてまわりを見回した。狼はいつもエドワードをすぐに見つけてどこからともなく出てくるはずだ。前に聞いたら、その真っ赤なコートが目印になるんだと笑っていた。そんな色は森にはないから、と。
エドワードはコートを翻して森の奥へと駆け出した。


いくらも行かないうちに、傍の茂みをかきわける音がした。聞き慣れた声がエドワードに届く。
「そんなに急いでどこ行くの?赤ずきんちゃん」
エドワードは振り向いた。
漆黒の長い髪と真っ赤な瞳の人間の姿をした狼が、藪から出てきてにこにこしながらエドワードを見下ろしていた。
人の姿をしていても、尖った大きな耳とふさふさのしっぽは変わらない。そのしっぽがぱたぱたと揺れているのを見て、エドワードは笑顔になった。
「エンヴィー、話があるんだ」



「え、オレを退治するって?」
狼は驚いて言った。
「なんでさ。オレなんにもしてないぞ」
「家畜とか襲ったとか聞いたぞ。おまえじゃねぇの?」
「違うよ。村には行かねーもん、だって森に食べ物あるし」
狼のエンヴィーはぶんぶんと首を振って否定する。エドワードはふぅんとちょっと考えて、それからまたエンヴィーを横目で見た。
「腹減りすぎてついふらふら、とか?」
「違うって言ってんじゃん」
「じゃアレか、夢遊病とか。なんかそれっぽい夢見なかった?」
「おまえね、とことんオレを信用してないだろ」
落ち込むエンヴィーにそんなことないよと気持ちのこもらない声で言って、エドワードはちらと村の方角を見た。
「けどよ、狩人雇ったらしいし、ここにいたらヤバいんじゃねぇの?」
エンヴィーも不安そうに同じ方向を見た。
「うーん…でも、隠れるとこなんてないし」
森は平地で、洞窟や穴もない。踏み固められた道がついていて木々から日の光が隅々まで照らしている、平和できれいな森だ。その分身を隠す場所もなく、追われれば逃げ場もない。

「そーいや赤ずきんちゃん、そのカゴなに?」
思い出したようにエンヴィーがカゴを見た。
「弁当?」
「てめぇな、次そのあだ名言ったら殺すから」
エドワードは赤ずきんちゃんと呼ばれるのが気にいらない。赤はエンヴィーの瞳と同じ色で、なんだか強そうで好きだったのに。自分がその色を着ると女の子と間違われると言って、エドワードは森以外では赤いコートは着なくなった。
「でも結構いいと思うけど。赤ずきんちゃん、可愛いじゃん」
「オレはかっこいいあだ名がいいの!なんだよそれ、女みたいじゃんか」
赤ずきんちゃんと最初に考えて呼んできた村の友達連中にはその場で思い知らせてやったが、エンヴィーがそれを気にいるとは思わなかった。話さなきゃよかった、と後悔しながら、エドワードは手にしたカゴを見た。
「これはピナコばばぁに届けるんだよ。風邪ひいたらしくてさ、うちの母さんが持ってけって」
「へぇ。あの人が風邪ねぇ。そういや最近見かけなかったな」
エンヴィーは森の奥を見た。
ピナコは村人からは敬遠されていて、家には誰も近づかない。訪れる者といえばトリシャやエドワードと、あとはこのエンヴィーくらいなものだ。

「あ、そうだ!」
エドワードがエンヴィーを見て、金色の瞳を輝かせた。
「おまえ、ばあさんちに隠れるってのはどうよ。あそこなら大丈夫だろ?ばあさんに頼めば狩人が探しにきてもごまかしてくれんじゃねぇ?」
「え、でも……いいのかな。迷惑かけるんじゃねぇ?」
気の優しい狼は戸惑ったようにエドワードを見た。赤い瞳が困ったように揺れている。エドワードは大丈夫だと笑って見せた。
「ばあさんち行こうぜ!だってほら、他にどうしようもないし。ここにいたらマトになるだけだもんな」
「あ、そうか」
狩人って銃を持ってるんだっけ、とエンヴィーは身を竦ませた。確かに、覚えのない罪で殺されるのは嫌かもしれない。

二人はピナコの小さな家を目指して、森の奥へ歩き出した。




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