小話1
□天罰って怖い
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「今日は珍しく残業なしだな」
嬉しそうに立ち上がるハボックの声に、書類から時計へ目を移す。
時間は夕方、ちょうど定時。
私のデスクにあった書類も、これが最後の一枚だ。
見回せば、腹心たちは皆立ち上がっていて、それぞれ帰り支度を始めている。
誰ひとり残業する気配もなく、また夕勤や夜勤に当たった者もいない。休みの者もいない。
こんなときにはいつも、私が席を立つのを皆が待ち構えているのだ。ちらちらこちらを窺う者もいればハボックのようにあからさまな期待に目をきらきらさせて見つめてくる者も。
「皆で飯でも行くか」
いつものセリフを苦笑混じりに言うと、歓声が上がった。よその部署はまだ仕事してる人もいるのよ、と中尉が諫めるのもいつものこと。そう言う中尉も、更衣室へ向かう足取りが軽やかなのだからどうしようもない。
ちらりと来客用ソファを見る。
そこには、昼過ぎから来て熱心に読書を続ける金色がある。
「鋼の、一緒にどうだ?」
もちろん連れて行くに決まってる。ただ一応声をかけただけ。
「んー」
聞いているのかどうか、生返事を返しながらも文字を追い続ける金の瞳。
「ほら、もう帰るぞ。本は貸せないやつだから、また明日来て読みなさい」
側へ行ってひょいと本を取り上げた。抗議をしようと顔をあげた鋼のは、そこでようやく皆が帰ろうとしていることに気づいたらしい。
「あれ?なに、みんな今日はもう終わりなの?」
「そうだよ。今から皆で食事に行こうってことになってる。ほら、立って。コートを忘れるなよ」
「うわ、あんたまで残業ないとか、天変地異の前触れじゃね?」
生意気なことを言いながらもあっさりと読書を諦めるあたり、鋼のも腹は減っているんだろう。
ぜひ連れて行って、帰りは宿に送っていかなくては。
そのとき、言おう。
たまたま鋼のがひとりで来た日、たまたま興味を引く本があってそのまま居座ってくれて、そしてたまたま私たちが定時であがれて、たまたま皆が揃っているから食事へ行こうという流れになって。
そしてごくごく自然に、こうして鋼のを誘えている。
鋼のも皆がいるからか、構えることなくすんなりと応じている。
こんなたまたまは滅多にない。
今を逃したら次のたまたまが来るまで何年かかることか。
だからこれは神様が私にくれたチャンスなのだ。
鋼のに思いを伝え、求婚するチャンス。
それを無駄にするなんて、お膳立てしてくれた神への冒涜に等しい。
まあ実のところ、神なんか信じてないんだけど。なんかこう、雰囲気的なアレってことで。
「あ、准将」
着替えを終えた中尉が戻ってきた。早。どうやって着替えたんだ。まさか軍服の下に着ていたのか。そんな、プールに行く子供じゃあるまいし。だがほかに説明のつけようがない。
「重要書類が入っている引き出し、しっかり鍵をかけておいてくださいね」
謎の早着替えをしたわりに髪も化粧もまったく乱れてない中尉が、窓に近寄って鍵を確認する。
「執務室のほう、戸締まりはお済みですか」
「ああ、大丈夫」
頷いてみせる私。
すると、隣にいる鋼のがぽつりと呟いた。
「……あんたは、いつ戸締まりすんの」
「ん?」
いや、執務室は窓もドアも閉めたし施錠もしたぞ。他にどこを戸締まりするというんだ。
「………いや。開きっぱなしだから」
私から目を逸らしながら言う鋼の。
「どこが」
「窓」
振り向いて見渡したが、開いている窓は見当たらない。
「どこの窓だ?」
「………………あんたの股間」
恐ろしいほどの衝撃が私を襲う。
いや待て、いつから開いてたんだ。ていうかなぜ皆黙ってたんだよ。そっと教えてくれてもいいと思う絶対。
慌てて閉め直したが、ふたたびパックリ開いてしまう。
なんということだ。壊れているではないか。
中尉を見る。彼女は無表情にこちらを見て、
「朝から開いておりました」
なんで言ってくれないんだ。
「趣味かと思いまして」
んなわけあるか。露出狂か私は。
焦る脳裏に、朝からの出来事が蘇る。
大総統のところにも行ったし、会議にも出た。視察のときなんか、街を歩いた上喫茶店にも寄ったりなんかした。
朝から、ずっと。
なぜ。
私がなにをしたというんだ。なぜこんな目に合わねばならんのだ。
あれか、神を信じてないからか。だから天罰がくだったのか。
だが神を信じない人間なんて私以外にもいくらでもいるはずだ。
なぜ、鋼のが来ている今日なんだ。
これでは告白どころじゃないじゃないか。
と、そこまで考えてから、はっと気づいて鋼のを見た。彼はずっと目を逸らしていて、私と目線を合わせようとはしない。これは私の窓がフルオープンだったことに気まずいからなのか。
それとも。
相変わらず無表情のままの中尉が、呆れを含んだ声で
「そのパンツ、特注ですか?」
やはり見られていた!
特注で作った、鋼の柄のパンツを!
鋼のは中尉よりも背が低い。たぶん見えた。しっかり見えてた。
「いまなんか失礼なこと考えなかった?」
低い声で問いかけてくる鋼のに、返事をする気力はもう残ってない。
結局私は食事には行かず、それから三日の休暇を取って自宅で引きこもっていた。
END,