小話1

□新しい風
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「………え。どういうこと?」

「ごめん。きみには悪いと思ってるんだけど、どうにもならなくて………」

場所は賑やかな市場の、青果棟の端っこ。
時間は早朝、まだ3時を過ぎたあたり。
エドワードはいつも通りに荷を積み込もうと、仕分け表を片手に荷のチェックをしていたところで、耳につけたイヤホンでかかってきた電話の対応を適当にしながら人参の箱の数を数えている最中だった。
側にいるのは、荷主である小規模チェーンのスーパーの本部から来ているバイヤー。この男が市場で荷を買い付け、伝票と仕分け表を作り、エドワードに積み込みの指示を出している。
そのバイヤーからの意外な言葉に、エドワードは持っていたボールペンを落としそうになってしまった。
「なんでそんないきなり。オレ、なんかした?」
「いや、きみのせいじゃないんだ」
「でも…………」
混乱する頭で必死に考えるエドワードの耳に、繋がったままの電波の向こうから通話の相手の声が響く。
『エドワード、今の話はなんなんだ!別れ話みたいに聞こえたが、どういうことだ!?』
「ロイ、うるさい」
言うなり通話を切って、ついでにマナーモードにしてから、エドワードはバイヤーに向き直った。
「……じゃあ、なんで?今月末までって、あと半月もないじゃん」
「うん。けしてきみのせいとかじゃないんだ。きみはよく頑張ってくれてるよ?早朝の仕事なのに、いつも明るくて元気いっぱいで。支店から聞く評判もとてもよくて、いい子が来てくれたなぁって思ってたんだ。でも、これは本部の決めたことだから……」
バイヤーは仕分け表を広げ、そこに書かれた店舗名を指した。
「エドワードくんが行ってくれてるのは5店舗だよね。じつはこのうち、今月末までで3店舗を閉めることになったんだ」
「………閉めるって、お店がなくなるってこと?」
「そうなんだ。そしたら、ボクが行ってる店舗と合わせても4店舗しかなくなるだろ?だから、運送屋さんに頼まないで自社便を出そうってことになってね」
自社便というのは、荷主が自分で車を出して配送すること。他社を通さない分経費が浮くというわけで、小さな会社などではよくあることだった。
4店舗しかないなら、確かに2台で配送する必要はない。距離もたいして遠くはないし、時間的にも十分間に合うだろう。
そうか、とエドワードが頷いたとき、二人の背後で急ブレーキの音が響いた。次いでドアを乱暴に閉める音。
振り向くと、黒髪を振り乱した男が一人、こちらに突進してくるのが見えた。

「エドワードぉぉぉ!なんで電話を切ってしまうんだ!さっきの話はなんなんだぁぁぁ!」

「………きみの会社は、社長さんも元気なんだねぇ」
「…………なんか、スイマセン」
恥ずかしくなって俯いたエドワードの肩を、駆け寄ったロイががっしり掴んだ。
そしてなにか言おうと口を開き、二人が仕分け表を手にしているのを見て、そうして周囲に積まれた荷物を見て。
「…………なにか、トラブルでも………?」
ようやく、冷静さを取り戻したようだった。

「そうですか。閉店………」
「本部から、まだそちらに連絡が行ってなかったんですね。申し訳ありません、今日中には必ず」
「いえ………それより、なにかあったんですか。いきなり3店舗も閉めるとは」
やっと落ち着いたロイとバイヤーが話を始めるのを横目に、エドワードは荷を積み込み始めた。月末に閉店する店も、今は営業中だ。時間通りに、いつもと同じように荷を届けなくては。
やがて話を終えたロイが、バイヤーに挨拶をして戻ってきた。残りの荷を一緒に積んで、さっさと運転席に乗り込んでしまう。
「ロイ、一緒に行くの?今日は休みじゃなかったっけ?」
「きみのおかげですっかり目が覚めてしまったからな」
非難するように見つめられても。あんたが勝手に勘違いしたんじゃないか。
「オレ、嬉しいな。ロイと一緒って、めったにないもん」
にっこり笑ってそう言うと、不機嫌そうだったロイの顔が一気に明るくなる。
「終わったら、どっかで朝飯にするか」
にこやかにトラックを発進させるロイに、ほっと息をつく。この我が儘で嫉妬深い婚約者の操縦にも、だいぶ慣れてきたようだ。どんな顔でなにを言えば機嫌が治るのか、だいたいわかってきた。
「…………めんどくせぇ」
「なんか言ったか?」
「なんも。それよかロイ、寝癖すごいよ」
「ああ、飛び出してきたからな。髪をとく暇がなかった」
どんだけ焦ってたんだよ。
エドワードはふたつの座席の間にあるボックスと呼ばれる物入れの蓋を開け、ブラシを取り出した。
「といてやるから、動くな」
「難しい注文だな」
小さなトラックは、キャビンも狭い。手を伸ばせば、すぐに相手に触れることができる。ブラシで髪をといてくれるエドワードのぎこちない手つきに、されるがままになりながら運転するロイが苦笑した。
「なんだか、きみに髪をといてもらうなんて初めてでちょっと照れくさいな」
「そうだっけ。あー、ダメだ。ハネたの直んねぇから、もう今日はこのまま生きてくれ」
ブラシを片付けたエドワードは、お菓子の袋を開けながら、まだ幸せそうな顔のロイを見た。
「なぁ、さっきの。ああいうの、よくあることなの?」
「ん?ああ、閉店のことか」
「うちの仕事がひとつ減るってことだよね?……なんか、責任感じるっつーか………」
ロイが作った運送会社。そこで働くみんなが、それぞれにこの会社を大事にしている。なのに、その会社の、自分が担当を任されている仕事がなくなってしまった。チャーター便だから運賃はそれなりに良かったはずで、そんな仕事がなくなったことにエドワードは少なからず落ち込んでいた。
「きみが気にすることじゃない。契約していた仕事が先方の都合で無くなることなんて、結構あるんだ」
「そうなの?でもさ、バイヤーさんは言わないけど、やっぱオレがなにか………」
「そうじゃない。あのな、エドワード。店が閉店するのに運送屋が原因なんてまずないんだ。まぁ車で店に突っ込んだとかなら原因と言えるかもしれんが」
ロイが、車を国道に乗り入れてスピードをあげていく。自分が乗るときとは違う動きをするトラックに、やっぱり上手いんだな、と改めて思った。
「ケースによるが、今回のは単に営業を続けていくことが難しいと本部が判断したってことだよ。ディスカウントのスーパーが増えたし、大手のチェーン店も大規模な店舗をどんどん作っている。そちらへと流れる客を足止めできなかった、それだけだ」
「潰れそう、ってこと?」
「そう。全部が共倒れになる前に、営業成績の悪い店を切ることにしたようだ。私たちには関係ないよ。また違う仕事を探せばいいことだ」
今度は私と時間帯の合う仕事にしよう、なんて勝手なことを呟いてにやにやする恋人を放置して、エドワードはまた前方に視線を戻した。明けきらない空はまだ暗く、国道にも車は少ない。
「………じゃあ、仕方ないんだな」
ため息をついて、お菓子をかじる。
「やっと慣れてきたとこなんだけどな………」
「まぁ、経験値が増えたと思っておけばいいさ」
ロイが手を伸ばして、金色の頭を撫でた。
「どんな仕事も経験のうちだ。次にまたどこか定期の仕事がきたときのための、レベルアップだと思えば」
「うん」

そう。トラックを運転することもできず、一人での積み卸しすらしたことのなかったまったくの素人だった自分が、どうにか一人前に仕事をこなすようになれた。
そう考えれば、良かったと思えた。バイヤーは優しくて、なんでも教えてくれたし、荷積みに時間がかかって遅くなってしまっても文句ひとつ言わなかった。そのおかげで、ゆっくりしっかり仕事を覚えることができたのだから、最後の日にはお礼くらいは言わなくてはならないだろう。

「オレができる仕事、なんか他にあるの?」
「心配しなくても、そのうちどっかから話が来るよ。それまでは、今まで通りみんなの手伝いや臨時便を頼む」
「わかった」
頷いてから、伝票を手にとった。


書かれている店舗には、毎日行った。今ロイの運転で走っているこの道も、毎日通った。

来月からは違うところに行くことになるんだ。
それはどこで、どんな仕事なんだろう。どんな人がいて、なにを運ぶんだろう。
久しぶりに感じる高揚感に、落ち込んでいた気分が一気に上がった。

やっぱり、自分はこの仕事が好きだ。
これから先、いろんなことがあるだろう。
でも、好きだから。
トラックで走ることが、本当に好きだから。

「どんな仕事でもいいよ。オレ、頑張るから」

笑顔で言うと、正直なところ恋人は自分の車の助手席に縛りつけておきたいロイが複雑な顔になった。


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