小話1

□おっさんのバレンタイン
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バレンタイン。
世の男性すべてが浮かれてそわそわする日。
私も例に漏れず、朝からそわそわしっぱなしだった。いつも遠くを旅しているはずのあの子を、昨日駅で姿を見かけたと部下から報告があったからだ。しかも続報として他の部下が持ってきた目撃情報は、なんとあの子がデパートのチョコ売り場にいたというもの。そわそわするなというほうが無理だ。落ち着かなすぎて貧乏ゆすりが激しくなって、地震と間違われたほどだ。

時計はもうすぐ昼を指す。
来るなら、もう来てもいい頃だ。

けど、とふいに冷静になる。
私が勝手に片思いしているだけで、あの子はそれを知らず、そんな気もまったくなさそうだ。それなのに、私にチョコなどくれるはずがないじゃないか。
食い意地の張ったあの子のことだから、バレンタインフェアに沸くデパートの特設会場を見て、カラフルで美味しそうなチョコに釣られたのかもしれない。バレンタインなんて考えてもいなくて、昨日この街に来たのは本当にただの偶然なのかも。
もっと最悪なのは、精神年齢が幼稚園児並みのあの子にもチョコを渡したくなるような相手ができて、そのために帰ってきてチョコ売り場にいたのかもしれないことだ。
可能性はあると思う。いくら鈍感が服着て歩いているようなあの子だって、一応は年頃なのだ。好きな相手ができてもおかしくない。そして、中身は野生の猛獣みたいでも外見だけはとても可愛らしいあの子からの好意を、無碍にできる者はきっとこの世に存在しないだろう。
身長が足らなかろうと顔が童顔の極地にいようと頭の中がまるきり幼い子供だろうと、あの子はそれなりの年頃だ。多分選ぶのも似たような年頃か、上だとしてもいくつか離れた程度だろう。
私のような、ひとまわり以上も年上のおっさんなんか、選ぶはずがない。

ぷしゅー、となにかが抜ける音が聞こえた気がした。私の、風船みたいに膨らんだ期待がしぼんでいく音だ。

そうだ、私はあの子から見ればもう立派なおっさんなんだ。生え際に不安があったり、ビールのせいで不穏な感じになってきた下腹をごまかす努力もする気になれなかったり、靴下が左右違ってても平気で履いてきたりするような、中年のおっさんだ。
バレンタインなんかでそわそわする年齢など、とうに過ぎた。同僚の多くは彼女ではなく妻や娘からチョコを貰うようになっていて、羨ましがりつつもそれを隠して飲み屋の女や職場の女性たちから義理で貰ったチョコを見せびらかして強がっている、ただのおっさん。
そんな私に、あの子がチョコ。
天地がひっくり返っても、有り得ない。

気分が沈んだおかげで、少しずつ落ち着いてきた。

どうかしてる。
恋しく思っているあの子がこの街に来た、そんな報告を受けて、それがたまたまバレンタイン前日だったから。
あの子がチョコを買っていた、と聞いて、思わず浮かれてしまった。
ばかばかしい。
私への贈り物であるはずなどないのに。

「黄昏てらっしゃるところ申し訳ありませんが」
いつの間にか部屋にいた副官が、いつもの無表情で私のデスクに段ボール箱を置いた。
「これ、どうします?」
「よきにはからってくれ」
箱の中身はチョコ。知ってたり知らなかったりする女性たちからのプレゼントが、朝からひっきりなしに届いているのだ。これで三箱目。義理がたいにもほどがないか。
「義理ばかりではないようですが、いいんですか?」
「ああ。適当に食べたり配ったり、よろしく頼む」
あの子からのものでないなら、私にとっては意味がない。
それに、どうせ全部義理だよ。なぜなら私がおっさんだから。
「いきなりずいぶん卑屈になられましたわね。生え際や下腹を気にしない女性もいるでしょうに」
ちょっと待て。きみ、私の心が読めるのか。
「さっきから口に出てましたから、聞き放題でしたけど。なぜ洗ったあと乾いたらすぐ左右を一組にしておかないんですか。靴下はすぐに行方不明になるんだから、ちゃんとしておかないと毎日違うものを履くはめになりますよ」
もう遅い。すでに毎日左右が違っている。
「おっさん具合を気にするなら、お仕事だけでもきちんとこなしたらどうですか。そういうところを見せれば、エドワードくんも少しは准将を見直したりするかもしれなくもないですよ?」
そんなものすごく低い確率に賭けてまで働きたくない。ていうか寝て暮らしたい。寝てても給料が貰える仕事はないものだろうか。
「すごい本音が聞こえましたが。幻聴かしら。幻聴よね。そうでしょ?」
「……………はい」
ホルスターに手をかけてにっこり笑う副官に、頷くしかなかった。
「よろしい。では、これは全て義理ってことで処分しておきます」
「オネガイシマス」
敬語になってしまう私を笑えるものは、この国軍にはいない。
「あ、それとお客様です」
段ボール箱を抱えた副官が、思い出したように振り向いた。
「あとでお茶を持ってまいりますので、ご休憩なさってください」
「アリガトウゴザイマス」
「もう入っていいわよ」
ドアの向こうに声をかける副官。
そうして、そこから顔を出したのは。

「うっす大佐!久しぶり」

朝から頭の中を占めていた、金色。

「なんだよ、大佐ってチョコ嫌いなの?もったいねぇじゃん、あんなに」
入れ違いに出て行った副官を振り向きながら言う鋼のに、肩を竦めてみせる。
「あんなに食べたら胸焼けで死んでしまうよ。それにどうせ義理ばかりだ」
「そうなの?」
「当然だよ………私はもうおっさんだからな………」
「なんだそれ。今更言うなよ、元からじゃねぇか」
いやいや。生まれつきおっさんなんて嫌すぎるぞ。ていうかきみは、私をそんな目で見ていたのか。最初から私をおっさんだと、
「おっさんだったじゃん」
あっさり言った鋼のが、来客用のソファにどかっと座る。そうか、やっぱり私はおっさんなんだな。きみの中では、最初からおっさんだったんだ。だったら、恋愛対象にならなくて当たり前か。
がっくりしながら向かいに座る私を、鋼のがじっと見つめていた。
「………なんだ?あいにく、まだハゲてないぞ」
「なんだよ、今日はずいぶん卑屈なんだな。あんたに自虐ネタは合わねぇぞ」
言い返しながらも視線を外さない鋼のに、居心地が悪くなってくる。ハゲの確認でなければ、なんなんだ。
「すまん鋼の。あんまり見つめられると、落ち着かないんだが」
せっかく現実に気づいてそわそわが完治していたのに、またぶり返してしまうじゃないか。
鋼のはふいと目を逸らした。
それから、大きなため息。
「あんたって、ほんっとおっさんだよなぁ」
傷を抉る気か。わかってると言ってるのに。
「おっさんだよなぁ。おっさんなのに。あー、くそ。なんであんたそんなにおっさんなんだよ!」
キレられた。理不尽すぎないか、きみ。
「ちくしょー!もう帰る!じゃあな!」
いきなり立ち上がった鋼のに、私も慌てて立ち上がった。
「ちょ、待て。なにか用事があって来たんじゃないのか」

「………………用事、は…………」

口ごもる鋼の。

だが、この子は世界一気が短い。
考えたり悩んだりなんて、する子じゃなかった。

「………用事ってのは、」

振り向いて私を睨んだ鋼のが、上着のポケットに手を突っ込んだ。

「これでもくらいやがれ、くそ大佐!」

言うと同時に力いっぱい投げたそれは、至近距離にいた私の眉間に正確にヒット。

眉間は人体の急所のひとつ。
そこをピンポイントに狙うとは、きみはあれか。私を暗殺しに来た刺客なのか。

痛みに滲んだ涙をがしがし拭っているうちに、鋼のはいなくなってしまっていた。

そして私の足下には、角が潰れたチョコレートの箱がひとつ。

「………………これ、は………」
事態がうまく飲み込めなくて呆然とする私に、カップをトレーに載せた副官が入ってきてため息をついた。
「エドワードくんが廊下を走って逃げて行きましたよ」

真っ赤な顔で。

おっさんなんて大嫌いだ、と怒鳴りながら。

「………どっちへ行った?」
チョコの箱を掴んで聞くと、副官は上へ目をやった。
「多分屋上でしょう。嫌なことがあると、たいてい屋上でしたから」
私にチョコをくれるのが、そんなに嫌なことだったのか。

だが、それでも私は部屋を飛び出して屋上へと駆け上がった。

おっさんなのに。

それでも、わざわざチョコを買ってきてくれる程度には好意を寄せられていると、自惚れていいのか。

「鋼の!」

息を切らせて屋上のドアを開けると、金色の瞳に涙をいっぱい溜めたあの子が、まだ真っ赤なままの顔で振り向いた。

きみの好意を無碍にできる男なんて、この世にいない。

私もそうだ、と、どう伝えればいいのだろう。




「…………オレって本当、趣味悪ぃ…………」

呟いた金色が、私を見て苦笑するみたいな表情で微笑んだから。

おっさんでよかった。

今では、心の底からそう思っている。




END,

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