小話1

□新年は吹雪の中で
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がちがちに緊張して、シートベルトを握りしめる。前方は雪。吹き荒れる風で吹雪となったそれが、視界を覆っていく。
まわりを見れば、既に白銀の世界になっていた。もう夜も遅いというのに、わずかな月明かりに反射した雪が周囲を照らしている。
きれいな景色、だと思う。
車に乗って走っている今じゃなければ、の話だけど。

「そろそろ峠を越えるかな」
運転席からそう呟きが聞こえて、一瞬安心する。
「ここから先は下り坂ね」
続けて呟かれた言葉に、緩みかけた気が一気にまた引き締まった。



暮れも押し詰まって、年末体制で仕事を回していたロイの会社に電話がかかったのは、今朝のことだった。
『どうしても都合がつかなくて。もしよければ、一台回してくれないかな』
「いや、うちも今いっぱいいっぱいで…」
断ろうとしたロイから、リザが受話器をひったくる。
「お電話かわりました、ホークアイです。詳しく聞いてもいいかしら?」
そして少しの交渉の末、電話を切ったリザが振り向いた。
「仕事が入ったわ。追っかけなんだけどね、」
説明を聞けば、大手流通会社が抱えている大手スーパーのセンター便で、とあるコースの荷が多すぎて大型に乗せ切らないらしい。残りを積んで出る追っかけ便を出そうにも、他の車もドライバーもすべて出払っている状態。他社に応援を頼みたくても、年末でどこも無理だと断られて。
「で、藁をもすがる気持ちでうちに電話をしてきたというわけよ。普段からよく仕事を回してもらってるし、せっかく声をかけてくれたんだから協力してあげなくちゃ」
そう言ったリザの後ろから、ロイが疑わしそうな目を向ける。
「で、本音は?」
「破格の運賃だし、荷はパレットに四枚しかないのよ?おまけに全線高速利用で、費用はあっち持ち。行くしかないでしょ、これは」
「目が眩んだというわけだな」
仕方ない、とため息をついたロイが、皆に向かって手をあげた。
「聞いた通りだ。リザはそっちへ行くから、あとを全員で手分けしよう。幸い今は一台車が増えているから、なんとか足りるはずだ」
「追っかけは2トンで出るわ。四枚しかないんなら、手積みでいけばじゅうぶん乗るはずよ」
「よし、ならリザの4トンにはヒューズが乗って……」

そうしてミーティングが行われ、その結果。

エドワードは自分の2トン車の助手席に座り、初めて走る雪道に怯えて固まっているのだった。



「大丈夫よ、今は荷を積んでるから」
リザはたいして気にする様子もなく、ハンドルを操りながら缶コーヒーを飲んでいる。
「後ろのほうに重い荷を乗せたでしょ?あれはね、駆動輪に荷重をかけて、空転しないようにするためなのよ」
空転。つまり、雪でタイヤが滑って空回りすること。
「まぁ、荷重をかけすぎてもダメなんだけどね」
「そっそうなんだ。難しいんだなぁ…」
リザが語ってくれる雪道のコツは聞きたいが、外が気になって集中できない。雪はどんどん降ってくるし、道はもう真っ白。車が通った跡だけが窪んだ状態で、路肩はもうすっかり埋まっている。
「通行止めになるかもしれないわね」
「そうなの?」
ちょっと明るい顔になる。通行止めになれば走れないから、そしたらどこかのパーキングに入って雪がやむまで休憩できるんじゃないか。
「だから、それまでに走り抜けないとね」
「ええっ!」
加速していくトラック。ゆっくりと走る大型をするりと追い越して、坂道を下っていく。スピードメーターを見るのが怖くて、エドワードは無理やり窓の外に視線を向けた。


会社を出たときはまだ雪はなくて、エドワードは張り切って運転席に乗り込んだ。最後まで婚約者と一緒がいいとゴネていたロイも渋々自分の車で出て行き、駐車場には小さなトラックだけが残された。そこで初めて、行き先が山のはるか奥だということを聞かされたのだった。
「そこ、行ったことないや」
「そう?素敵なところよ、牧場が広がってて。温泉もいっぱいあるわ」
「観光案内みたいな雑誌で見たことあるよ。いろんなイベントもたくさんあるよね」
雑誌の特集記事を頭に浮かべた。スキー場やペンションの写真、かまくらイベントの案内記事。一度行ってみたい、と思いながらそれらを眺めたのを思い出す。まさか、仕事で行けるなんて。
「そこを通るのは夜になるから、景色が見えないのが残念ね」
助手席に座ったリザが、にっこり笑う。
「いつか皆で遊びに行きたいわね。エドワードくん、スキーはしたことある?」
「ない!スノボとかやってみたいんだよねー」
笑顔で答えてから、ふと気づく。

スキー場があり、かまくらを作るイベントが行われる場所。

今は真冬。

もしかして、そこは雪が降っているんじゃないだろうか。

慌てて携帯を出し、その場所のライブカメラを探して見たら。

「…………リザさん、運転代わってもらえるかな………」

「あら。どうしたの?体調でも悪いの?」

「いや………オレが運転すると、人生初のスキーを車でやりそうな気がする…………」

降ってるなんてもんじゃない。路面は既に真っ白だ。

自分は、まだ死にたくない。
そして死ぬその瞬間に、他人を巻き込むのも絶対に嫌だ。

「こういうのは経験なのに。仕方ないわね、運転するのを見てなさい」


……見る余裕なんて、どこにもなかった。


パーキングに寄ってくれ、と言おうとしたが、さっき通りすぎたパーキングの入り口を思い出して口を閉じる。誰も入らない入り口は雪に埋もれて、除雪車もそこは後回しのようだった。あんなところに入れば、積もった雪に阻まれて立ち往生するかもしれない。
前方に、ハザードランプをつけたトラックが見えてきた。ドライバーが吹雪の中に出ていて、一生懸命チェーンを装着しようとしている。
「スタッドレスタイヤでも、ダメなんだ…」
通り過ぎながら呟くと、リザが頷いた。
「車重のあるトラックは、途中で止まったらダメなのよ。走り出そうとしてアクセルを踏んだら、滑って空転しちゃうの」
変に雪を掻いて空回りするから、車の向きが意図しない方向にどんどん滑っていくことになる。だから雪道では止まってはいけないし、アクセルを大きく踏み込むことも絶対にしてはいけない。ブレーキも最小限に留め、減速はエンジンブレーキと排気ブレーキを使ってなるべく早めに速度を落とさなくては。
「…………雪道って、難しい…………」
ぼやくと、リザがくすくす笑った。
「慣れだって言ったじゃない。あなたが走る道も、雪は降るのよ?まぁ、ここまでは降らないけど」
そういえばそうだった。けれど、自分が住む街は滅多に雪は降らないし、積もることもない。2、3センチくらい積もれば大雪と言われるくらいだ。
まずはそれで練習しなくては、とてもじゃないがこんな道は走れない。

反対車線に、トラックが止まっているのが見えた。
斜めになった状態で、2車線ある道をすべて塞いでいる。
その向こうに、そのトラックがいるために進めなくなって止まった除雪車がいる。その後ろには、除雪車について走っていた車が渋滞を作っていた。
あとから来た車が、渋滞に驚いてブレーキを踏んでしまった。そのまま滑って、止まっている車に突っ込んでいく。
衝撃音。そして遠くから響いてくるサイレンの音。

「…………地獄だ……」

呟いてまたシートベルトを握りしめるエドワードの側で、置いていた携帯が鳴り始めた。

「はい、もしも」
『エドワード!生きてるか!?』
耳が痛くなるほどのボリュームで、ロイの声が響いてくる。
『そっちは大雪だろう!確認せずに行かせた私のミスだ!すまなかったエドワード、死ぬな!死なないでくれ!』
「…………ずいぶん失礼な言い方ね」
リザにもよく聞こえたらしい。眉間にシワが大変なことになっている。
「ロイ、大丈夫だよ。リザさんが運転してくれてるから、」
『ああ、私以外の者にきみの命が委ねられているなんて!今すぐきみを迎えに行って、こっちの平和な世界に連れ戻したい!かわりにそっちにはこのハボックをやろう』
「いらないわよ」
即答でばっさり。忙しいときのリザは容赦がない。
『……おい、いらないって言われたぞ』
ロイの声が小さくなる。隣にいるハボックに伝えたらしい。すぐにまた電話に向き直る気配がして、
『ハボックのやつ、泣きながら運転してるぞ。面白いから写真を撮ろう』
「可哀想だからやめろ」
呆れて答えながら、さっきまでの恐怖や緊張がなくなったことに気がついた。ロイの声を聞くと、なぜか落ち着く。そんなこと、今までだって知っていたのに。
「……電話ありがとう、ロイ」
こんなときは、本当に思い知る。ロイが自分にとって、どんなに大きな存在なのかを。
『もうすぐ新年だからね。顔は見れなくても、せめて声だけでも聞きたくて』
毎年一緒に年を越そうと、約束しただろう。そう言われて、思わず赤くなる。
『ハボックもリザになにか言いたいらしいぞ。電話をごそごそしてる』
「え、運転中に?」
『いや、今コンビニに休憩しに入ったところで、』
ロイが言い終わらないうちに、リザの携帯が鳴った。だが、リザは確認もしないまま着信を切ってしまう。
「忙しい、って、あのバカに伝えてちょうだい」
『ハボックがまた泣いてるぞ。ははは、面白いなぁ』
「………もしオレが運転してたら、泣いてるのはあんたなんだけど」
まったくこの恋人は、大きな子供みたいだ。
「リザさん、ハボックさん泣いてるって」
「まったくもう、私が運転中だって知ってるくせに。子供みたいなんだから」
ぶつぶつと自分と同じことを言うリザに、笑ってしまった。
「あ、エドワードくん。そろそろ豪雪地帯を抜けるわよ」
「え、ほんと?」
言われてもう一度外を見る。積もっている雪も降ってくる雪も減り、道にタイヤの跡が黒く残っているのが見えるようになっていた。
リザが窓を少しだけ開ける。冷たい風とともに、タイヤが水を跳ねる音が聞こえてきた。
「凍ってないわね。もう大丈夫よ、エドワードくん」
「よかった…………」
ほっと息をつくと、電話の向こうでロイが笑った。
『雪が降っても台風が来ても、私たちの仕事は休みにはならんぞ。悪天候のときの走り方も覚えなきゃな』
「………うん」
道がどんな状態であろうと、積み込みも納品も待ってはくれない。雪で遅れました、なんてプロなら恥ずべき言い訳だ。
けれどまだまだ、自分は初心者。涼しい顔で雪の上を駆け抜けるリザのようになるには、どれくらいの経験を積めばいいんだろう。

「あ、年が明ける」
デジタル時計が、真夜中を表示した。

0が3つ並んだ、瞬間に。

『明けましておめでとう、エドワード』

「うん、おめでとうロイ。今年もよろしくね」

『こちらこそ、よろしく。きみの家にも挨拶に行かなくてはならんな。手土産はなにがいいかな』

なんでもいいよ。

ロイが来てくれるなら、なんでもいい。

「社長、いい加減に出発しないと朝までに終わりませんよ」
リザが聞こえるように言い、ロイが苦笑する。
『仕方がない、走るか。おいハボック、行くぞ。ハボック?………ははは、エドワード。ハボックのやつ、拗ねて丸まってるぞ。面白いなぁ』
「………いじめるのやめろってば。可哀想だろ」
新年明けて早々楽しそうなロイに、仕方ないなぁと笑う。この子供っぽいところに惹かれたんだから、仕方ない。
「どっか止まったら電話するって、ジャンに伝えて」
雪が減るにつれて、路面がよく見えてくる。リザも、ようやく休憩する気になったらしい。エドワードはほっとして、電話に向かって伝言を頼んだ。

『早く会いたいな』

「うん。でも先に仕事して」

リザに似てきたな、と文句を言われながら電話を切り、思い切り伸びをする。

雪でも、嵐でも。

どんなときでも、走れるようにならなくては。

そうでなければ、この仕事は務まらない。

「……頑張ろ」

呟くと、リザが優しく笑う気配がした。





END,


私は雪が降るともれなく延着します。
何度走っても雪は慣れないなぁ……

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