小話1

□それは甘い…
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◇◇それは甘い◇◇


【鼓動】


ぐらりと視界が揺れた。

「…なんだ?」
倒れそうになるのをどうにか壁に手をついて止め、ロイは額に片手を当てた。
周囲を見れば、皆普通に廊下を歩いている。地震でないなら、これは目眩か。
「……寝不足、かな」
呟いて頭を振り、歩き出そうと足を踏み出す。だが、ぐらぐらと揺れる感覚は治まらない。
「准将?大丈夫ですか?」
そのまま動けなくなったロイに、後ろからついてきていた部下から心配そうな声がかかる。
「ああ、大丈夫………」
応えかけて、ロイはがくりと膝をついた。揺れる感覚は激しくなるばかりで、歩くどころか立っていることすらできそうにない。
「准将!どうしました!?誰か、医療班を…!」
部下の叫ぶような声が、どんどん遠くなっていく。

それきり、ロイの意識は途切れた。








目を覚ますと、土の上だった。
急いで飛び起き、周囲を見回す。確かに司令部の廊下を歩いていたはずなのに、なぜかそこは森の中だった。
空には満天の星。時折聞こえる野鳥の声。生い茂った木々や雑草の間を縫うように、ひと筋の細い道が奥へと延びている。ロイが倒れていたのは、その道の真ん中だった。
「…どこだ、ここは」
立ち上がり、道の向こうを見る。左右どちらにも明かりはまったくなく、暗闇が広がるばかり。
その暗がりに、人の姿が見えた。どうやら倒れているようだ。
「なんなんだ、くそ」
着ていたはずの軍服はなく、見知らぬ服を着ている。靴はなく、裸足。
その違和感に耐えてそちらへ走りながら、どういうことだろうと考えた。
普通に出勤し、普通に仕事をしていた。なにか妙なものを口にした記憶はないし、異臭を嗅いだ覚えもない。なのになぜ、いつ、誰がどうやって、自分をこんな森の奥に運びこんだ上服まで着替えさせたのだろう。手の込んだ悪戯にしては、度が過ぎている。
「こいつを起こせば、なにかわかるかもしれんな…」
倒れている人物に近づいて見れば、それはとてもよく知る男だった。
「おい、起きろ!」
乱暴に肩を揺すると、男はゆっくりと目を開ける。
「……あれ?准将?」
男はさっき廊下にいたとき一緒だった部下。昔馴染みの、ジャン・ハボック少尉だった。
「ここどこっスか?つかなんで夜?さっきまで昼だったのに」
不思議そうな顔で周囲を見回しながら起き上がったハボックは、ロイと同じく軍服ではなく知らない服を着ていた。まるで、田舎の農家の子供のような服。チェックのシャツに吊りズボン。足はやはり裸足。
「……おまえのガタイにその格好は、苦しいものがあるな」
「へ!?」
今初めて気づいた、という顔でハボックが自分の服を見下ろす。
「えええ!なんで!?つか靴!あれ新品だったんスよ!どこ行ったんだ!?」
「新品はどうでもいい。とにかく立て、移動しないと話にならんだろう」
「……はぁ」
立ち上がったハボックが、ロイに目を移して吹き出した。
「ちょ、あんたなんて格好してんですか!そんなんで歩き回ったら捕まりますよ!?」
言ってからまた笑う。ロイは自分の姿を見下ろして、ひょいと肩を竦めた。
「知らん。誰か悪趣味なやつが着替えさせてくれたらしいな。なかなか似合うと思わんか」
田舎らしい質素なワンピース。
つまり女装。
ひとしきり笑い終え、涙を拭いたハボックがごほんと咳払いした。
「とにかく、行きましょう。人を探して、帰る手段を探さなきゃですよ」
「いや、待てハボック。似合うと思わんか、と聞いたんだから返事をしろ」
「オレたちの軍服も探さなきゃいけませんよね。どこにあるんかな」
「無視するなと言うのに」
「朝になるのを待ったほうがいいスね。とりあえず夜を越せる場所を…」
「あっほら、見てみろハボック。無駄毛処理も完璧だぞ!おい、なぜ目を逸らす」
スカートの裾をつまんで見せるロイ。ハボックは視線を逸らして道の奥を見つめることに集中した。笑い死にさせる気か、この上司は。
「とにかく状況を整理しよう。私たちは廊下を歩いていた、そうだったよな?」
隣を歩きながら、スカート姿のロイが真面目な顔をする。
「ぷ……、うん、はい。そうでしたね」
「声が笑ってるぞ」
「笑うなっていうほうが無理っス。その格好で真面目な顔とか、オレにとっちゃ拷問なんですが」
「うるさい。犯人を見つけたら思い切り仕返ししてやる。だから今は、この状況をなんとかしなくては」
「は。そうっスね」
気を抜くと緩む頬をどうにか引き締め、ハボックはえーとと考えた。
「オレはあんたの後ろを歩いてて…あんたが急に具合悪そうにするから、驚いて……」
「目眩がしたんだ。立っていられなくなって」
「そうそう。倒れそうになったから、支えたんですよ。そしたらオレも、なんかぐらっときて…」
「なるほど。つまり、それで二人とも意識を失い、気づいたらここというわけか」
顎に手を当てて考えこむロイを、ハボックが振り向いた。
「じゃあオレ、あんたのとばっちりで一緒に来たってことかよ……ってダメだ、その格好でこっち見ないでくださいよ。死ぬ」
「やかましい」
ぶふっと吹き出すハボックを睨み、ロイは忙しく考えた。
それではもしもハボックが手を伸ばさなければ、ここへ連れて来られたのは自分だけだったのか?
なんのために、誰が。
そのとき、ハボックが顔をあげた。
「……なんか、匂いませんか?」
「匂い?」
周囲を嗅ぎまわるハボックにつられて、ロイも空気を嗅いでみる。
「…………ああ。確かに……」
「なんか、甘ったるいというか………」
「うむ。ケーキ屋の店先みたいな……」
それを追って道を外れ、森の奥へと雑草をかき分ける。
そこには、小さな小さな家があった。甘い匂いはそこから漂っている。
「……菓子でも焼いてるのか?」
「さぁ……」
「………あ!准将、あの壁!ビスケットですよ」
ハボックが指した壁は、確かにビスケットでできているようだった。
「……あの屋根、チョコレートじゃないか?」
ロイが屋根を指す。
明かりがついた小さな家は、すべてがお菓子でできていた。
「……………」
「……………」
二人は黙って顔を見合わせる。
昼飯も抜きで仕事をしていたため、腹は減っていた。
減ってはいたが。
「………菓子じゃあ、なぁ……」
「腹は膨れねぇですもんね………」
こんな森の中で、お菓子でできた家に住む人物。
きっと頭の中身がどっかあっちのほうへ行ったままなのに違いない。でなければこっちへ行ったままか。どちらにしろ、関わり合えばろくなことにはならなそうだ。
二人は踵を返し、さっきの道へ戻り始めた。
「やっぱ飯といったら肉でしょ」
「魚もいいな。刺身とか天ぷらとか」
「あー、いいスね。つかいっそバイキングでどうスか」
「いいなそれ。飲み放題もつけて、ビールで」
「浴びるほど呑めますね!じゃあ早速、どっか町探して」
早足で歩き去ろうとする二人の後ろから、足音がした。そして、聞き覚えのある声。
「准将…?それと、……ハボック少尉?」
思わず振り向く。
そこには、見覚えのある青年が見慣れない格好で立っていた。
「…………もしかして、アルフォンスか?」
ロイが確認するように言う。アルフォンスの表情が、とたんにぱぁっと明るくなった。
「准将!よかった、やっぱり准将だった!」
持っていた薪を放り出して二人に駆け寄ってきたアルフォンスは、以前体を取り戻したときに見たままの青年の姿。
そして、ピンクのシャツとジャンパースカートを身につけていた。
「あ、アル!おまえまでなんでその格好なんだよ!つか准将の女装よかよっぽどマシだな!」
思わず本音が出るハボックの足をぐりっと踏みつけて、ロイが一歩前に出る。
お菓子の家にいたらしいアルフォンスは、いささかやつれてはいたものの元気そうな様子だった。
「しばらく消息を聞かないと思っていたら、こんなところにいたのか。鋼のはどうした、一緒じゃないのか?」
「兄さんは、中で捕まってます」
お菓子の家を指して、アルフォンスが肩を竦める。
「あの家には魔女がいるんです。魔女は人間の肉が好物らしくて。兄さんを捕まえて檻の中で太るまで飼うつもりらしいです」
「ま……………?」
「魔女、って言ったか?今………」
理解できない顔の二人を、アルフォンスが木の陰へ手招く。そうして三人で座り込んでから、アルフォンスが説明を始めた。

ここは異次元にある別の世界。魔女はこの世界で、お菓子の家で人間を誘き寄せては食べていた。
だが、その噂が広まったおかげで、この森に近づく人間がいなくなってしまった。そこで魔女は、魔法を駆使して異次元から人間を拐ってくるようになった。事情を知らない異次元の人間たちは、お菓子につられ、また見知らぬ世界に怯えて人家を探して、ここにやって来る。魔女は簡単に獲物が得られることに味をしめ、時々その魔法を使っては人間を捕まえて食べていたのだった。

「で、一週間くらい前かな。兄さんが急に倒れちゃって、ボク驚いて助け起こしたんです。そしたらボクまで目眩がしてきて、気づいたらここに」
「………なんか………似たような童話があったような気がするな……」
「そんなことはどうでもいい。鋼のは無事なのか?丸々肥えたりしてないか?」
考えこむハボックと、焦って今にもお菓子の家に向かって駆け出しそうなロイに、アルフォンスは苦笑してみせた。
「それが、兄さんて元々大食いのくせに太らない質なんです。それで魔女がキレちゃって、待ちきれないから別の人間を拐ってくるって。だからボク、事情を知らない人がうっかり家に入らないように、見張ってたんですよ」
「そうか」
ほっとして頷いて、ロイはまた怪訝な顔をした。
「だが、きみたちならいくらでも脱出できたはずだ。なぜ逃げずにここにいる?」
「だって。ボクらが逃げたら、魔女はまた別の人を捕まえて食べちゃうでしょ。そんなこと許せないから、どうにかしてボクらで魔女を片付けちゃおう、って兄さんが」
「なら、さっさとやればいいんじゃないか?」
「いやそれが、ここ異次元でしょ?錬金術が使えないんですよ。魔女は魔法が使えるし、なかなか隙がなくて…」
「む。そうか、錬金術がダメなのか……」
眉を寄せるロイの横で、ハボックがそうかと声をあげた。
「ヘンゼルとグレーテルですよ!あったでしょ、そんな話。ほら、お菓子の家に住む魔女が兄妹を誘いこんで…」
「そう、それ!その童話、どうやらここが舞台ていうかモデルだったみたいです!」
「だから兄妹の衣装なのか!なるほど、やっとわかったぜ!准将の趣味じゃなかったんだな」
「……ハボック、貴様よほど減給されたいらしいな」
「いやいや!お似合いです、准将!今度のハロウィンパーティの仮装はそれで決まりっスね!」
敬礼するハボックを無視して、ロイは甘い匂いの漂うお菓子の家を見た。
あそこに、鋼のが囚われている。しかも命の危機に晒されている。
ロイは胸を押さえた。
昔からこうだ。鋼のが危ないと知ると、冷静になれない。早鐘を打つ鼓動に急かされるような気がして、一刻も早く助けなければと焦る。
彼はそんなに弱くない。
それはよくわかっているのに、なぜ。

逸る気持ちを抑えて、深呼吸をして立ち上がる。

とにかく、なんとかしなくては。

彼が自分以外の誰かに囚われたままなのは、我慢できない。



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