リクエストとか

□初めてだらけのバレンタイン
1ページ/4ページ





パソコン画面から目を離して時計を見た。もうすぐ定時から2時間が経過する。終わりそうにない。

うんざりするような仕事量に加え、疲れた足を引きずってあちこちの会社に愛想を撒いて歩く。入社してから毎日だ。笑顔の形に固まりそうな頬をほぐしながらの営業も、いい加減限界かもしれない。

それでも、仕事となればやるしかない。まだまだ新人と言われる自分が一人前と認めてもらえるようになるまでは、

「頑張れ、オレ!」

呟いて気合いを入れて、痙攣しそうな手でまたマウスを掴んでパソコンに向き直るオレに、横から誰かが缶コーヒーを差し出した。

顔をあげると、にっこり微笑む美人秘書。

「お疲れさま。頑張ってるわね」
「は、はい!頑張ってます!」
立ち上がって頭を下げるオレに、ホークアイさんはくすくす笑った。
「甘いものは疲れが取れるっていうし、ちょうどいいかしらね」
「え?」
よく見ると、差し入れはコーヒーだけじゃなかった。赤い包装紙に包まれた四角い箱。もしやこれは。
「バレンタインだものね。皆には内緒よ」
爪先をきれいに塗った人差し指を唇にあてて、ホークアイさんが悪戯っぽく笑った。
「あ、ありがとうございます!」
感激のあまり声がうまく出ない。入社以来ずっと憧れていた美人に、内緒のバレンタインチョコをもらってしまうなんて。なんのフラグだろう。オレ死ぬのかな。
「で、エルリックくん。いつ頃終わりそうかしら」
「は?えーと……この調子でやればあと1時間くらいで………」
え、なにこの展開。まさかこのあとどこかにお誘いとか?
「そう。じゃ、終わったら電話くれない?」
「えっと、どこへ」
「秘書室よ。待ってるから」
早くね、と微笑むホークアイさんの非の打ち所のない美しい顔に、オレは壊れた人形みたいにがくがくと頷いた。
マジかこれ。生きててよかった。サラリーマン人生も捨てたもんじゃない。こんな美人に声をかけてもらえる日が来るなんて。

自慢じゃないがオレはモテない。ちょっとばかし小柄な体と女みたいな顔のせいで、今まで好きになった女の子にはことごとくふられてきた。
皆が皆口を揃えて言うには、オレは彼氏って感じじゃないんだそうだ。男として見てもらえないというか。
『だって、自分より可愛い彼氏なんて嫌じゃん』
昔告白したときに言われた言葉は今でも忘れられない。

そういうわけで、オレは女の子とお付き合いどころかキスもまだしたことがない。同年代の友達なんか、できちゃったとか堕ろす堕ろさないでもめたりとかしてたりするのに、オレはそんな話題にいつも置いてきぼりをくらっている。

今日はなんだか予感がする。なんか、大人の階段登れそうな気がする。
そう思ったら俄然やる気が出て、30分くらいで残りの仕事を全部済ませてしまった。恐るべし美人の力。待っててください、ホークアイさん!



恐る恐る電話をかけると、ホークアイさんはすぐに出てくれた。
『早かったわねぇ。びっくりしたわ』
「頑張りましたから!」
勢いこんで言うと、ホークアイさんの優しい笑い声が耳元にくすくす聞こえた。美人は冷たい印象があるけど、彼女は笑うととても可愛い。それもオレが彼女にときめいた理由だ。
『じゃ、悪いけどエレベーターで上がってきてもらえるかしら。前で待ってるから』
「はい!」

電話を切ってすぐに、上着を掴んで飛び出した。バレンタインに残業してるのなんかオレだけで、他は皆定時になると同時に帰ってしまったから、会社の中はどこもがらんとしている。それでもオレたち平社員が働く階には残っているやつもいて(たいていはオレと同じ新入社員だ)、すれ違って挨拶したりしながらホールまで行ってエレベーターのボタンを上へ連打した。

秘書室がある階から上は重役連中の執務室とか会議室とかばかりだ。そこにいるような連中は定時を待たずにさっさと帰るか、よその会社の偉いさんと食事に行ったり飲みに行ったり。もう皆会社にはいないだろう。
そんな、人口密度がすかすかなところへ呼び出して、いったいどうするつもりなんだろう。やっぱ告白とか?いやいや、ホークアイさんみたいな美人が相手なら、断るやつなんているわけない。もしかして、そんなのすっ飛ばしていきなり。

想像というよりは妄想を頭の中で展開しながら、オレはエレベーターに乗り込んで秘書室がある階のボタンを連打しまくった。反対の手で閉じるボタン連打。壊れそうな勢いで押しまくり、ゆっくりと上昇していくエレベーターの中でにやにやしながらうろつき回る。監視カメラがあったら警備員さんが飛んで来るかもしれない。
そんな怪しい動きをしながら、オレはわくわくとドアが開くのを待った。


ちーん。
最新式のエレベーターなわりには古い電子レンジみたいな音がして、ドアがすっと開いた。
ホークアイさんが私服に着替えて髪をおろし、それはそれは美しい笑顔でオレを手招きしていた。




,
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ