リクエストとか

□別れても、何度でも
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「別れよう」

言葉の意味が、わからなかった。

「さよなら」

そう言ってすぐに背を向けて、歩き出すその後ろ姿に手を伸ばそうとしたのに。

体がどうしようもなく重くて、床に座りこんだまま動くことができなかった。











「………というわけだ。まったく、おかしいだろ?」
グラスを握ったままロイがくすくす笑うと、隣に座ったハボックは肩を竦めた。
「それで自棄酒ですか。あんまりいい酔い方しませんぜ。帰ったほうがいいんじゃ」
「帰ったら、ひとりになるじゃないか」
ロイはカウンターに突っ伏して呟いた。頬が熱い。どれくらい飲んだのか、自分でももうわからなかった。
「そしたら、思い出すから。だから嫌なんだ」
「…………原因はなんですか」
ちびちび飲みながら考えこむ表情で聞くハボックに、それがわかれば苦労はしないと自嘲気味に笑った。
「他に好きな奴でもできたんじゃないか?でなきゃ、やっぱり女がいいとか。喧嘩したわけでもないし、浮気もしてない。他に原因なんて思い当たらん」
「…………あいつが、他にねぇ………」

ハボックが怪訝な顔をするのも当然だ、とロイはため息をついた。
もう何年も付き合っていたのだ。彼が望みを叶えて自分が昇進し、東部に一緒に戻ってきたときには未来も一緒だと信じて疑わなかった。
もう二度と、彼の後ろ姿を見送ることなどないと思っていたのに。

「エドがねぇ………」
ハボックはまだ考えこんでいる。そんなもの、いくら考えても無駄なのに。自分だって必死に考えたけれど、わからなかった。
「話し合いとか、しました?」
「しようとしたがね、会ってもくれなかったよ」
彼は東部でアパートを借りている。一緒に暮らそうと何度言っても首を縦に振ってはくれなかったから。
理由を聞いても、なにも言わなかった。もしかしたらあのときすでに、別れが来ることを知っていたのかもしれない。
「何度かアパートに行ったがね。いつも居留守だ。話をする気はないということだろう」
「………まさか」
まさか。
自分だってそう思いたい。
けれどドアが開くことはなかったし、明かりがついているのに呼びかけに答える声はなかった。
「准将、それでもうあいつと別れるつもりなんスか?」
「仕方がないだろう。彼がそのつもりなんだから」
手の中のグラスを空にして、次を注ごうとボトルを探した。だが、カウンターの上に置かれていたボトルももう空になっていた。
「………早いな。今日開けたのに」
「飲み過ぎなんスよ。送りますから、帰りましょう」
「まだ早いだろう」
「早くねぇよ。明日も仕事なんだから、ほら立って」
腕を引っ張るハボックに渋々立ち上がり、財布を出して勘定を済ませた。

帰りたくない。
彼が時々来て料理を作って出迎えてくれた家に。一緒に風呂に入り、一緒に眠った家に。
帰ると、それらの思い出が洪水みたいに襲ってくる。
帰りたくない。
ひとりで泣くのは、もう嫌だ。

「マスタングさん」
ふいに後ろから声をかけられて、振り向いた。
「お久しぶり。どうしたの?なんだか荒れてるわね」
赤い口紅に派手なドレス。顔は思い出せない。昔遊んだことのある女の誰かだろう。
隣でハボックが気遣わしげに見つめてくるのを意識しながら、ロイはその女に手を伸ばした。
「久しぶりだね。元気だったかい?」
「おかげさまで。なにかあったの?あなたらしくないわね」
肩を抱くと、脇に乳房が当たる。柔らかいその感触はずいぶん久しぶりだ。
甘えるように体を寄せてくる女は、ロイを見上げてにっこり笑った。顔にかかる前髪を、赤く塗った爪先でちょっと避ける。煤けたバーの明かりの下で、その金髪がきらきらと輝いた。
「准将、オレ先に帰ります」
ため息をついてハボックが店を出て行った。それを見送った女が期待をこめてロイを見る。



けれど。



「待ってくれ、ハボック!」
雑踏の中で聞こえた声にハボックが振り向くと、ロイがふらふらと追いかけてくるのが見えた。
「送ってくれるんじゃなかったのか」
「…………あんたこそ、女どうしたんスか」
立ち止まって自分を待つハボックに追いついて、ロイは力なく笑った。

「きれいな金髪だっただろう、彼女は」

「そうスね」

「でも、」

ロイの顔は今にも泣き出しそうだった。

「瞳が、金色じゃなかった」

「………………」

ふらつく上司に肩を貸し、ハボックは自分の家へと歩き出した。

「金色の瞳なんて、滅多にねぇぞ」

「そうだな」

「……………帰りたくねぇなら、うちに泊まれよ」

「…………そうだな」

「……………」

ハボックは夜の街の雑踏を見回してみた。

当たり前だけれど、金色はどこにも見えなかった。





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