リクエストとか

□どんな君でも愛してる
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デスクの上の山積みになった書類の下のどこかで、電話が鳴った。
内線ではなく、外線の音。
あの子かもしれない。
私は急いで書類をかきわけ、電話を探した。床にばさばさ紙束が落ち、窓から吹き込む風に舞う。副官が眉を寄せてそれを見つめるが、そんなの知るか。拾う暇なんて私にはない。司令部を預かる立場として、緊急かもしれない電話を優先するのは当然のことではないか。
ようやく探しあてた電話器から受話器をむしり取り、耳に当てて応答しようとすると。
『おっせぇよ!切ろうかと思ったとこだったぞ!』
愛しいあの子の罵声が、鼓膜に突き刺さった。
「いや、すまん。ちょっとなかなか手が離せなくて」
言い訳しながら受話器を握りなおす。
やっぱりあの子だった。
私の崩れた笑顔を見て、他のみんなも察したようだ。苦笑して肩を竦め、仕事に戻っていく。
「元気だったか?」
『うん!みんなは?元気?』
ハイテンションでそう聞いてくる鋼のは、なんだかずいぶんとご機嫌な様子。

弟が取り戻した体のリハビリが済んだ頃から、鋼のはまた旅に出ていた。あちこちをふらふらと歩き回る鋼のは、ここには時々電話を寄越す程度で、いくら言っても立ち寄ることすらしない。顔なんてもう1年近く見ていない。
きれいになっただろう。年を重ねて少しは性格も落ち着いてきたかもしれない。そう考えると居ても立ってもいられなくなるが、私は今、東方司令部の司令官だ。ここを離れて勝手に捜索しに行くわけにはいかない。

ずっと、好きだった。初めて会ったときから、ずっと。
まだ子供だったあの子には言えなくて、大人になるのをひたすら待ち続けて。
その結果。
あの子は私の気持ちも知らず、可愛らしく成長したと同時にどこかに行ってしまい、今現在も所在不明。声だけ時々聞かせてくれる。そんな事態に陥っている。

私が旅を続けるあの子を心配するのは、あの子が自分というものを知らないからだ。
目立つ容姿に目立つ言動で良くも悪くも注目を集めるあの子は、自分に対する好意や下心にとても鈍感で、かつ身を守ることに関してはまったくと言っていいほど無頓着だ。
放っておいたら危ない。
そう思うのに、電話口でいくら誘ってもこちらに来ない。自分の現在地もなかなか言わない。

心配で心配で、仕方ないんだ。

だって鋼のは、女の子だから。

「いい加減顔くらい見せに来なさい。みんな待ってるよ」
相変わらずの保護者面でそう言えば、鋼のは明るい声で笑った。
『そのうちね。今、ちょっと忙しくてさ』
本当に、珍しく上機嫌だ。なにかあったんだろうか。
それを聞こうと口を開いた私よりも先に、鋼のが言った。

『実はさ、子供が生まれて』

…………は?

『今ほんと忙しくてさー。でもみんなには世話になったし、報告しなきゃって思って』

…………子供?

いつ?

誰が?

鋼のが、子供?

『ちょっと大佐、聞いてる?だからさ、汽車に乗れるくらいになったら、そっちに見せに行くから』

鋼のの顔は見たいと言ったけれど。

ちっさい生物のオプションがつくなんて、聞いてない。

「准将?どうしましたか?」
受話器を持ったまま固まった私に、部下たちが声をかけてくる。
けど、もうそれもどうでもいい。

結婚してた、なんて。

子供がもう生まれたってことは、少なくとも1年くらいは前のはず。

ああ、だから来なかったのか。

目の前がふわっと暗くなり、意識が暗転する。

部下たちの驚く声が、遠く遠くかすかになって消えた。










目を開けると、医務室のベッドの上だった。側には副官と、ハボックが立っている。
「気がつきましたか」
副官が無表情で私を見た。
「……電話は、」
倒れる前に、あの子と話をしていたはず。
思わず受話器を探す。当然ながらここにはない。
結婚していたって、子供が生まれていたって、私はあの子が好きだ。そう痛感した。
「准将がお倒れになったので、電話は私が替わりました。エドワードくん、心配してましたよ」
心配。それはそうだろう。あの子は優しい子だから、誰のことでも心配する。
好きでもない、元上司のことでも。
「………鋼のは、他になにか……」
伝言だけでもいいから、私になにか言ってはくれなかっただろうか。
未練がましく言うと、副官は美しい眉を寄せて側に置いてあったトランクをベッドに乗せた。
「……なんだ?」
私が出張などに使う、黒いトランク。だが確か、そんな予定はなかったような。
「切符は手配しています。行ってきてください」
「なにか、急な出張でも?」
「ええ。リゼンブールに」
「……………え」
リゼンブール。あの子の故郷。
では、鋼のはリゼンブールにいるのか。
「行って、話をつけてきたらどうですか」
ハボックまでがそう言う。苦笑まじりの、いつもの笑顔で。
だが、今さら。
なにを言えばいいんだ。いつのまにか人のものになってしまったあの子に。
あんな明るい声で子供のことを報告してくるくらいだ、きっと幸せなんだろう。そんなところへ押しかけて、なにを言えばいい。
好きだ、とか愛してる、なんていくら言っても、あの子は困るだけだ。私は抱えていた想いを告げることができてすっきりするかもしれないが、それであの子が悩むようになってしまっては意味がない。子供にだって良くない影響があるかもしれないじゃないか。
無言でベッドに潜り込もうとしたら、副官が勢いよく毛布を剥ぎ取った。なにをする、と言おうとして飛び起きた私の目の前に、突き出されたのは一枚の切符。
「この先エドワードくんから電話がくるたびいちいち倒れられても困るし、辛気くさい顔でぼんやりされて仕事に支障が出るのも迷惑なのよ。行ってさっぱりふられてきたらどうなの」
鷹の目が私を睨む。隣でハボックが肩を竦めた。
「怖ぇなぁ」
「なにか言った?」
「いえ、なにも」
叱られている私をちらりと見て、ハボックがにやりと笑う。ホークアイを見ると、きつい瞳の奥にわずかに覗く暖かな色。
「………わかった。潔く、ふられてくるとしよう」
降参のポーズでそう言うと、二人がほっとしたように笑った。











というわけでリゼンブール。
どうやら事前に連絡が行っていたらしく、改札では鋼のがにこにこと手を振っていた。

可愛くなった。
とてもきれいになった。
相変わらず男のような格好だが、それでも笑顔は大輪の花のようだ。

「出てきて大丈夫なのか?子供は?」
「アルが見てるよ。つかあんたこそ大丈夫かよ。昨日電話の途中で倒れちゃってさ」
心配そうにこちらを覗き込んでくる金色から、無理やり視線を剥がす。
「大丈夫だ」
「でも、脳梗塞か心臓発作じゃないかなんてみんな言ってたぜ?大きな病院で検査してもらったほうが」
そんな大病なら、今現在私がいるべき場所はリゼンブールではなく棺桶の中なんじゃないだろうか。
「大丈夫だよ。ちょっと、……寝不足で」
適当に答え、鋼のを見る。前を向いて大股で歩く姿は、昔と全然変わらない。
変わらないのに。
今はもう、この子は他人のものなんだ。
泣きたい気持ちでそう思って、無意識に視線を下に向ける。

鋼のの左手には、なにもなかった。

「……鋼の。………結婚、したんじゃなかったのか?」
「ん?」
大きなきらきらした瞳を向けてくる鋼の。
「オレ?してねぇよ?」
「…………………」
子供が、生まれたのに?
まさか。
まさか、遊ばれたとか?
捨てられた、とか?

そう考えたら、東方に寄り付かなかった理由もわかる。
夫となるべき男に逃げられて、なのに臨月に近づくにつれて隠しきれないほど腹は大きくなっていって。
私たちに知られれば、心配される。迷惑をかける。だから、行けない。
そんなふうに考えて、この子は一人で子供を育てる決意をしたのではないか。
そんな覚悟を持って、故郷に戻ってきたのでは。

「どうしたの?」
立ち止まった私を、鋼のが怪訝そうに見上げてくる。
「急ごうよ。泣いちゃってるかもしれないし、アルおむつ替えるの下手くそだしさ」
「………………鋼の」

決めた。

「話が、ある」

誰がなんと言おうと、もう決めた。

「少し、時間をくれないか」
「えー……」
腕時計を見て迷った鋼のは、私の真剣な顔を見て頷いた。
「ちょっとだけだぞ?」
そう言いながらも、目は不安に揺れている。

立ち止まったのは、ちょうどこの子の家があった場所。
焼け落ちた家の残骸がまだ残る、小高い丘の上。
草原が広がる向こう、小さな森やその奥の山々から、爽やかな風が吹き抜ける。

「………なに?」

「…………私に、」

足でしっかり大地を踏みしめ、愛しくてたまらない金色と向かい合う。

「私に、ついてきてくれないか」

「へ?」

「子供も一緒に。私に、きみと子供を、これから先ずっと守らせてくれ」

「………………え」

鋼のは戸惑うような顔で私を見上げた。

「なに言ってんの?」

「プロポーズに決まってるだろう」

鋼のは迷惑になると言って嫌がるかもしれないが、愛する鋼のが生んだ子なら、私は自分の子として愛せる自信がある。

だから、どうか。

二人で、私のところへ。

「……………本気で、言ってんの?」

鋼のの声が震える。
金色の瞳に、きらめく雫がたまっていく。

「本気でなきゃ、こんなこと言えない。愛してるんだ、鋼の。私と、結婚してくれ」

嫌だと言われても連れて行く。

そう決めて見つめる先で、金色の瞳から涙が溢れた。

「鋼の、………返事は、」

「…………うん。ありがとう、………嬉しい」

その言葉と共に鋼のが見せてくれた笑顔は、世界中のなによりも美しかった。

嬉しくて嬉しくて、思わず抱きしめようと手を伸ばす。
が、鋼のはそれをするりとかわして時計を見た。
「わ!やばい、行こう!もうミルクの時間だよ!」
「……………」

プロポーズ、したんだよな?

受け入れてもらえた、んだよな?

せめてキスくらいと思うのは、贅沢なんだろうか。

だが、子供が優先なのは仕方ない。まだ一人で食事もできない赤ん坊なのだ、しっかりたらふく飲ませてやらなくては。

うん、仕方ない。
そう自分を納得させながらついて行く私を振り返って、

「あ。でもさ、子供は連れて行かないから」

ええええ。

鋼のはまだ涙の残る顔で、にっこり笑った。

「だからオレ、まだ当分はここにいるよ」

目眩がして、また倒れそうになった。




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