小話

□氷点
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風の音が激しさを増す。周囲の気温は下がるばかりで、暖炉の火も気のせいかゆらゆらと小さくなっていくようだ。
「もう寝るか」
誰かが呟いた。その場にいた全員が無言で賛同する。
毛布は幸いにも人数分揃っていたが、ベッドなどはもちろんない。皆が床に寝転んで、狭い山小屋の中はすぐに足の踏み場もなくなった。

強くなるばかりの風の音を聞きながら、ロイも毛布にくるまって目を閉じた。だが床板を通して染み込んでくる冷気で、寒くて寒くて眠れそうにない。



入隊したばかりのロイは、隊の中では一番若かった。それでも錬金術師という立場で少佐の地位にいるロイに、先輩軍人たちからは嫉妬の目を向けられている。気を使い、率先して雑用をこなし、疲れ果てているはずなのに眠れない。
ちらりとまわりを見ると、他の者はもう眠ったようだった。悔しいけれど、やはり場馴れしているということなのだろう。ロイはまだ劣悪な条件下での軍事行動の経験がないに等しい。
窓の外は暗闇。吹きつける雪が時々見える。この時期には珍しい吹雪だ。

ロイの所属する隊は、雪山での演習のためにこの山小屋に来ていた。着くなり吹雪いてきたため演習どころではなく、小屋に閉じ込められた状態で3日経っている。
軍の所有するこの小屋には薪もあったし、簡易食は多目に持ってきていた。今のところはまだ大丈夫。だが、そろそろ下山したほうがいいのではないかという話も出始めていた。



うとうとしかけたロイは、薪がはぜる音ではっと目を開けた。暖炉を見ると、火が消えかけている。
薪を足さなくては。
起き上がろうとしたロイは、周囲の異変にようやく気づいた。
異常に下がった気温。吐く息が白い。室内には霜が降りていて、毛布もうっすらと白くなっていた。
誰も動かない。10人程度の隊員たちは皆凍った毛布にくるまって床に寝たまま、ぴくりともしない。隣にいた男を見ると、髪や髭も凍りついていた。
もう一度暖炉を見る。薪はしっかりと積まれてくべられているのに、火はもうほとんど消えていた。薪が凍り始めている。
ロイは手を差し出した。手袋は防寒のためにはめたままだ。その指を擦り、火花を散らす。暖炉の火は再び燃え上がり、そしてまた急に小さくなった。

「………なんだ?」

ロイは思わず呟いた。薪は見る間に凍りつき、消えた火は煙すら残さなかった。
もう一度、と手を伸ばす。
その手に、冷たいものが触れた。

「無駄だよ」

驚いて声のしたほうを見た。
先程までは確かに動く者などいなかったはずのそこに、金色の少年がいた。

「あんた、変わったことできるんだなぁ」

少年は掴んだロイの手にはめられた手袋を珍しそうに眺めた。きらきらと輝く金髪に、華奢な手足。吹雪の荒れ狂う雪山には場違いな、タンクトップにハーフパンツという真夏の姿をしている。ご丁寧に履き物はサンダルだ。
おそらくは氷点下をはるかに越えているはずの室内で、少年は震えることもなく、吐く息も見えない。

「なぁなぁ、これ錬金術ってやつ?オレ初めて見たよ」

親しげな口調で、少年はロイを見た。半身を起こした状態のロイに合わせるようにしゃがみこみ、にこにこと明るい笑顔を見せている。

けれど、その瞳は冷たかった。
底知れない光を帯びた金色の瞳は、ロイの目を見つめている。そこにはなんの感情も窺えない。

人ならざる者。

見たことのないその金色を見つめ返すロイの頭に、そんな言葉が浮かんだ。

「………ああ、私は錬金術師だ。焔を操るのを得意としている」

唇が動くのを、ロイは他人事のように感じていた。
寒さで体はとっくに強張っていて、口どころか顔の筋肉ひとつ動かすことはできない。なのに、唇は勝手に少年の問いに答えていく。

「あんた、名前は?」

「ロイ・マスタング」

「ここにいる他の連中は、あんたの仲間なの?」

「ああ……いや。同じ隊ではあるが、私はまだ入隊したばかりだから。親しい者はいない」

「あっそ。じゃ、いいか」

少年は明るく言って立ち上がった。

「あんたは気にいったよ、ロイ。だから生かしておいてあげる」

「…………生かす、」

「そのかわり、オレのこと誰にもしゃべるなよ。しゃべったら、オレはあんたを殺さなきゃなんねぇ」

「……………」

少年はロイの前に立って屈みこんだ。吐息が触れそうなほど近くまで顔を近づけて、またロイの目を覗きこむ。

「これは、夢だよ。あんたは寒さで死にかけてて、夢を見たんだ」

「…………夢……」

「そう。夢だよ。だって、こんな吹雪の夜中に、道もねぇような山ん中の小屋にオレみたいなガキが来るなんてさ。夢に決まってる」

そうだろ?と笑う少年に、ロイの動かないはずの首がこくりと縦に動いた。

「だよな。うん、じゃそういうことで」

にっこりした少年は、ロイからあっさりと身を引いた。

それを追って伸びた手にロイも驚いたが、それ以上に驚いたのは少年だった。掴まれた手首とロイを交互に見つめ、信じられないと言いたげに目を見張る。

「……あんた、動けるの?」

その問いには、唇は動かなかった。

掴んだ手を引くと、少年はロイの腕の中へと落ちてきた。抗議をしようと顔をあげる少年の唇を、ぶつかるような勢いで塞ぐ。

離れてほしくなかった。

氷よりも冷たい唇を吸い、細い体を抱きしめる。

気が遠くなりそうなくらい、冷たい。
そして、柔らかい。

「…………一目惚れだ」

凍えた唇を離してそう呟くと、少年の体がぴくりと震えた。

「バカかあんた。オレは人間じゃねぇぞ」

「それでも、だ。…好きだ」

名前を知りたい。

そう言うと、少年は慌ててロイを突き飛ばした。

床に転がったロイの体は、すっかり凍えていうことをきいてくれない。
目だけで追った少年は、小屋のドアへと他の隊員たちにつまづきながら走っていった。
ドアに手をかけた少年が、ちらりと振り向く。雪のように白い肌が、赤く染まっていた。

「………忘れろよ。夢、だからな!」

ロイが返事をする前に、少年は出て行った。







あとは暗転。










気づくとロイは山の麓の病院にいた。助かったのは自分だけだと医者から聞いた。見舞いにきた上官が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまんなマスタングくん。予定を過ぎても下山しないから、捜索の準備はしていたんだが……吹雪がひどくて、行けなかったんだ」
「いえ。それは仕方のないことですから」
平謝りの上官に笑顔を向けてみせ、ロイはほっと息をついた。
他の者は皆凍死した。自分だけが生き残ったのは、若かったからだろう。

あの小屋で、なにかを見たような気がする。

誰かがいて、なにか話をしたような。

思い出せない。夢だったんだろう。
そう思ってから、自分の両手を見た。

冷たくて柔らかい感触が、そこにまだ残っているような。

それがなんなのかまでは、ロイにはわからなかった。




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