小話

□猫の見る夢
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『私がいなくなったら、おまえはどうなるかしらね』

白い髪と皺だらけの人が、少し掠れた優しい声で言いながらオレの頭を撫でた。

『素敵な人にもらわれて、大事にしてもらえればいいのだけど』

オレはなにを言われているのか、まったくわからなかった。撫でてくれるかさかさの手が温かくて、嬉しくて。
目を閉じて擦り寄ったら、その人はオレを抱きしめた。

『エドワード。おまえと一緒にいられて、私は幸せだったわ』







目を開けると、まだまわりは暗かった。
夢を見ていたのか。オレは頭に手をやった。まだ、撫でられた感触が残っているような気がした。

あれはいつだっただろう。あれからすぐに、オレは寝室に入れてもらえなくなった。ドアの外に丸くなって見ていたら、いろんな人がそこを出たり入ったりしていた。
誰も撫でてくれない。
名前を呼んでもくれない。
ごはんはメイドさんがお皿で持って来てくれたけど、スプーンやフォークで口元に差し出してくれたあの人は来てくれなかった。直接お皿からごはんを食べると口のまわりが汚れるけど、それを笑いながら拭ってくれる人はいなかった。
しばらくして、寝室のドアが開けっぱなしになっているのを見つけた。中に入ってみたけど、ベッドはきれいに片付けられていて誰もいなかった。
あの人はどこだろう。消毒薬の匂いに邪魔をされて、あとを辿ることもできなくて。
オレは初めて、外へ出た。
あの人を探すつもりだった。あんなに優しかったあの人が、オレを置いてどこかへ行くわけがないと思った。どこか、違うところでオレを待っているんだ。早く行かなくちゃ。そしてまた頭を撫でてもらって、抱きしめてもらうんだ。

探しても探してもあの人はいなくて、オレはお腹が空いたのと疲れたのとで動けなくなった。

もう、このままかな。

そう思ってぼんやりと寝転んで。

そしたら。




オレは自分の体を包む腕を見た。
そこから辿って、今オレを抱いて寝ているロイを見た。

名前を呼んでくれた人。
優しく撫でてくれた人。

髪も目も違う色だし、声も違うし匂いも違う。あの人じゃない。
わかっているけど。

ぐっすり眠るロイは目を閉じていて、動かない。
こそっと身を起こして、その顔に自分の顔を近づけた。

ぺろ、と鼻を舐めてみる。
でも起きない。仕事が大変なんだと言っていたから、きっとたくさん疲れているんだろう。



『きみのご主人は、亡くなったんだな』

その言葉の意味が、そのときにはわからなかった。

今ならわかる。ロイは言葉や文字を教えてくれたから、あのときロイが言ったことも、そのずっと前にあの人が言ったことの意味も。

やっと、理解した。

亡くなった。

つまり、死んだ。

どこにもいない。
ああそうだ、どこにも。
探しても見つからなかったはずだ。だってもうこの世に存在しないんだから。



ぽたり。

ロイの顔になにかが落ちた。
なんだろう。
あとからあとから落ちていく。
舐めてみたら、しょっぱかった。
どこから落ちてくるんだろう。

そのとき、ロイがふいに目を開けた。薄く開いた目でオレを見て、それからびっくりしたみたいに大きく目を見開いて飛び起きた。

「エドワード!どうしたんだ?」
「どうした、って?」
なんだかしゃべりにくい。息が詰まるような感じがする。
「なぜ泣いてるんだ?どこか痛いのか?」
言いながらロイはオレを抱きしめた。大きな胸に顔を押しつけると、なにか音が聞こえてくる。

知ってる。
本で読んだ。これは心臓の音。

生きている、証拠。

「エドワード。どうした?大丈夫か?」
優しい声に顔をあげると、心配そうなロイがオレを見つめていた。

「……夢、見たんだ」

「夢?怖い夢か?」

「違う。………えーと、………かなしい?」

そう。
悲しい。
そして、寂しい。

「ロイは、どこにも行かないよね?」

確かめるように聞くと、ロイは頷いて微笑んだ。

「前のご主人の夢か?」

「うん」

「…………そうか」

ロイはオレを抱いたまま、またベッドに横になった。毛布を引っ張ってかけ直して、オレの髪や頬を撫でる。

「きみを置いて、どこにも行かないよ。ずっと一緒だ」

「………うん」

そうしてまたロイの心臓の音を聞いて、オレは目を閉じた。いつの間にか『泣く』は止まっていた。

「猫は、泣かないよ」

ロイはオレの頬にキスをした。そんなふうに触れるなんて、あの人もしたことがないのに。

「きみはもう猫じゃない。愛してるよ、エドワード」

愛?
本で見たけど、よくわからなかった言葉だ。

「好きってこと?」

「ちょっと違うな」

ロイは笑って、オレの唇にキスをした。なぜだか顔が熱くなるのがわかった。

「今度ゆっくり教えてあげるから。今日はもう寝なさい」

「………………う、ん」

なんだか素直に頷けない。

教えてもらうと、大変なことになりそうな気がして。



もう一度目を閉じて、ロイに体を擦り寄せた。抱きしめてくれる腕が気持ちいい。




『素敵な人にもらわれて、大事にしてもらえればいいのだけど』

大事にしてもらってるよ。

愛してるって、言ってくれたよ。

オレはとっても幸せだよ。

夢の中で微笑むあの人に笑顔を返して、オレはロイに包まれて眠りについた。






END,




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