小話

□暑中お見舞い申し上げます
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「大佐!」

いきなりドアが開いたと思ったら次の瞬間には目の前にいたエドワードに、ロイはペンを握ったまま固まった。事前連絡もなく、足音さえも気づかないうちに突然そこに現れたエドワードに思考がついていかない。
「は、鋼の…?」
ようやく言ったのは呼びかけよりは問いかけに近い言葉。
エドワードはお構いなしにデスクを回ってロイの側に来た。
うお。やばい。心臓が今になってどきどきしてきた。
ロイは急いで取り繕おうと笑顔を浮かべたが、相手はやはりお構いなし。ロイの手からペンを取り上げ、真面目な顔でさらに一歩近づいてくる。
近い。マジ近い。
ロイは怯んで後退しようとしたが、椅子がぎしりと音を立てただけだった。

一方的な片想いの相手がこんなに近くにいる。ロイの心臓はターボエンジンなみに回転中だが、それを知らないエドワードはロイの心臓なんか気にもとめない。
内緒話をするようにロイに顔を近づけて、あのさぁと潜めた声を出した。
こんなにこの子と接近したことがあっただろうか。いや、ない。自分に問いかけ自分で否定し、ロイは赤くなりそうな顔を目を逸らすことで誤魔化してどうしたんだと同じように小さな声で囁いた。

「お中元、てなにすればいいの?」

「………は?」

宿屋の主人とおかみさんがお中元をどうするかと話し合っていたのを聞いたらしい。お中元とはなにかと聞くと、いつも世話になってる人にお礼をすることだと言われたそうだ。

「世話になってるっつったらここのみんななんだけど、お礼ってなにすればいいのかわかんなくて」
みんなには内緒だぞ、と言うエドワードの頬は赤く染まっていた。
「普通お中元というのはプレゼントというか品物を贈るんじゃないのか」
うちにも毎年来るぞ、とロイが言うと、エドワードは困った顔になった。
「なに贈ればいいの?」
「普通はコーヒーとかサラダ油セットとか」
「それってみんな喜ぶ?」
「…………どうかな」
単身者がほとんどなロイの周りの連中は、家には寝に帰るだけで料理などするとは聞いたことがない。サラダ油やらだしの素やら贈られても正直困るだけだろう。
「ビールとかどうだ」
「ガキには酒売ってくんねぇと思う」
「………うーん。じゃお菓子とか」
「甘いの食わねぇ人もいるじゃん」
「……食堂の食券とか」
「いきなりショボいぞ大佐。なんか他にねぇんかよ」
ふむ、と顎に手を当てて、ロイは部下を一人ずつ思い浮かべた。エドワードが買うなら酒とタバコは却下だ。他になにがあるだろうか。高価なプレゼントを贈るような行事でもない。社交辞令みたいなものだから、たいして高くもなく、負担にならないもの。たいていは食べ物か飲み物、あとは洗剤とか石鹸とか。
だが、みんなが喜ぶようなものというのが思いつかなかった。だいたい部下からお中元がくることはあっても部下に贈ることはないからなにがいいのかさっぱりだ。

「ここ来る途中にさぁ」
エドワードが遠慮がちにロイを見た。
「デパートに、お中元セールってポスターとか垂れ幕とかあるの見たんだけど」
「…………」
ロイは黙ってエドワードを見つめた。
まさか。いや、まさか。彼が私と一緒にそこへ行きたいなんて、まさかね。言うわけない。
「大佐、もし夕方暇だったら一緒に見にいかねぇ?」
リンゴーン。鐘の音がロイの頭の中にだけ響いた。お中元の神様ありがとう。私はもういつ死んでもいい。
「……やっぱダメかな。大佐がデパートなんて、行かねぇよな」
「とんでもない。私もそろそろ贈らねばと思っていたところなんだ」
ロイは急いで俯きかけたエドワードの肩を掴んだ。
「ぜひ一緒に!」
「あ、うん」
あまりの力強さに引き気味にエドワードが頷いた。
「大佐もお中元ってするんだ」
「もちろんだよ。いや毎年悩んでしまってね」
ロイは笑顔で嘘をついた。そんなもの一度もしたことない。上官への贈り物はみな中尉に任せているのでバースデーカード一枚自分で選んだことはなかった。
「では急いで仕事を終わらせなくてはな。待っててくれるかい?」
「うん。じゃ、ついでに飯食ってく?」
こないだいい店見つけたんだ、と言うエドワードの声をロイはどこか遠くで聞いていた。
デパートのお誘いの次は食事だなんて。まるでデートじゃないか。
暑さでバテ気味だったことなどきれいに忘れて、ロイはぜひ行こうと極上の微笑みを浮かべて見せた。
我が人生に一片の悔い無し。今なら笑顔で死ねる。

ロイが書類に向き直り猛然とサインを書きなぐり始めてから、エドワードは書棚を眺めて本を選んで持ってきてソファーに座った。表紙をめくり内表紙を読み、まず第1章をとページをめくろうとしたところでがたんと椅子の音がした。
「さ、行こうか鋼の」
「えっ!もう終わったの?」
膝に表紙をめくっただけの本を乗せて驚くエドワードを引っ張るように立たせ、ロイはにこにことドアに向かった。中身を読まずに署名だけするならたいして時間はかからない。かろうじて頭文字くらいは判別できるかという状態のサインは後から副官になにか言われるかもしれないが、有名人のサインを見てみろ。頭文字どころか文字かどうかすら判別できないものもある。あれに比べれば上等だ。今の自分にはそんなものよりもっと大事な用事があるのだ。
「まずは先にデパートかい?」
優しく問えば金色の子供が頷いた。おさげがきらきら揺れる。
幸せすぎてくらくらする頭で、ロイはエドワードと一緒に街へと歩き出した。




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