小話

□知らない世界の、知らないきみと
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目が覚めたら、知らない天井が見えた。
飛び起きて周囲を見る。広くて立派な部屋に、大きな書棚。大きなテラスつきの窓の側に、アンティークっぽい机と椅子。机の上にはご丁寧に羽根ペンまで載っている。
自分が寝ているベッドはというと、キングサイズというのだろうか、五人くらい並んで眠れそうなくらい大きなベッドに、ふかふかの枕と高そうな毛布。

いやいや待て。昨日は夜までずっと仕事で、トラックで走り回っていて。疲れきった状態で、真夜中に自宅に帰ってそのまま眠ったはずだ。
こんな見知らぬ部屋じゃなく、確かに自分のマンションの自分の部屋に帰った。なにしろ玄関で鍵がなかなか見つからなくて、しばらく悪戦苦闘したんだからよく覚えてる。

なのに、なんで目覚めたら違うところにいるんだ?
夢遊病だったにしても、他人の部屋の他人のベッドに潜り込むなんていう症例があるんだろうか。しかもここはマンションの他の部屋なんかじゃない。どこかの邸宅の主寝室か、でなきゃ住宅会社が贅を尽くして建てたモデルハウスだ。

なんだかよくわからないが、このままここにいてはまずい気がする。不法侵入もいいとこだ。捕まったら絶対お昼のワイドショーとかでネタになるに違いない。

ベッドから出て、これまたふかふかな絨毯の上に立つ。服は、と見回したが、きれいに片付いた部屋の中に私の服など見当たらなかった。
探そうと歩き出し、ふと書棚を見上げた。中に納められているのは、どれもこれもハードカバーの分厚い本。ここの主は文庫本の存在を知らないのだろうか。こんな厚くて大きな本、場所を取るばかりじゃないか。データで保存しといてパソコンで読むとかすれば、書棚なんかいらないのに。
そう思いながら背表紙を読む。だいたいどれも気体に関する化学の本のようだ。この部屋の主は化学者なのか?化学者ってこんな部屋に住めるほど金持ちなのか。
しかし半分を占める錬金術の本はなんなんだ。錬金術といえば昔むかしのお伽噺だが、当時は本気で鉄や岩を金に換える術を研究していたやつもいたらしいと聞く。主もそういう夢見がちな中二病から卒業できない類いの可哀想な人なんだろうか。

さて、それはどうでもいいから服だ。半裸の姿で外に出るわけにはいかない。
移した視線の先にクローゼットらしき扉を見つけ、そちらへと足を踏み出したとき。

「おっはよーたいさ!朝飯だぞ!」

見慣れた金色が、ドアを蹴破って飛び込んできた。

「エドワード……」

「……なにやってんの?」
怪訝そうな顔のエドワード。黒いタンクトップと半パンに、フリルまみれの白いエプロンをつけている。
「………いや、きみこそ。朝飯って、きみが作ったのか?ここで?」
知らない家の知らないキッチンで料理をしていたらしい、私の恋人。
なんで。どうして。
だがエドワードはますます眉を寄せて私を見つめる。
「そりゃ作るよ。ここ、オレたちの家じゃんか」
頭打った?熱でもある?
続けて聞かれたその言葉に、自分がおかしいのかと悩んでしまう。

いやいやいや。
私は頭も打ってなければ、熱もない。
私はロイ・マスタングで、この子はエドワード。
ここはまったく知らない、誰のものかもわからない家の寝室で、私たちはなぜかそこで新婚さんごっこをしている。

「………なんでだ」

新婚さんごっこってなんだ。

エドワードは何度もマンションに泊まりに来たが、料理なんてしたことはない。苦手なんだと言っていた。なのにエプロンをして、朝飯ができたと呼びに来て。

「………なぁ、あんた」

エドワードが、私をじっと見つめた。

「あんた、誰だ?」

誰って。

「ロイ・マスタング、だよ」

この子はさっき、違う名で私を呼ばなかったか。

「……なんか、違う。あんた、たいさじゃねぇだろ」

野生の獣みたいな、鋭く光る金色の瞳。
私のエドワードは、こんな目はしない。











「つまり、起きたらここにいたってわけか」
豪華なキッチンで一緒にテーブルにつき、エドワードの作った朝食を食べながら、私たちは状況を整理していた。
窓から見える風景は、知っている街とはまったく違う。百年か、いやそれよりもっと以前かもしれない。石畳の道路とレンガ造りの建物。ビルもショッピングモールもないし、道に車もあまり走ってない。地名も、国名からして聞いたことがないものだった。
「じゃ、たいさはどこ行っちまったのかな。……あ、」
食パンを食べていたエドワードが、はっとした顔で私の手を指した。見ると小さな傷ができている。
「昨日仕事中、中庭でサボってたとき中尉が探しに来て、焦って隠れようとしたとき木の枝で引っ掻いたってあんた言ったぞ」
「サボっ…………しかも隠れるとか………」
手の甲の傷を見ながら、なんだか情けなくなる。
「その傷があるってことは、体はたいさなんだな。中身だけ入れ替わっちまってるんじゃねぇか?」

エドワードの説でいうと、ここは私にとってはパラレルワールドのような世界らしい。こんな世界は無数に存在していて、そこには色んな私たちが生活しているという。

私は昨夜ベッドに入って眠ってから、なぜだか精神だけがこの世界に住む私と入れ替わった、らしい。
しかしこの世界の私は、どうやらずいぶん情けない男のようだ。

「なぁ、あんたの世界にもオレいんの?」
楽しそうに聞いてくるエドワードに、頷いてみせる。
「私の恋人だ。なんていうかもう存在自体が奇跡でできてるような子で、可愛くてきれいで、それはもう天使もかくやという…」
「わかったから黙れ」
せっかく語ろうとしていたのに、遮られてしまった。
「…では、きみは?こちらの私とは、同居してるのか?」
代わりに私から質問してみる。エドワードは肩を竦め、椅子の背にかけたエプロンをちらりと見た。
「こないだ結婚したんだよ。このエプロン、たいさが買ってきたんだぜ。新婚さんにはやっぱりフリルのエプロンがなきゃ、とか寝言言って」
「………ああ、なるほど………」
嫌そうにエプロンを見るエドワードには申し訳ないが、じつは私もそう思ってる。そしてあのエプロンは、エドワードにとてもよく似合っていると思う。
しかし、結婚か。
先を越されたようで、なんだか悔しい。私も早く、私の天使と結婚したいものだ。

それから色々話をして、こちらの私のことを知った。

名前も姿もそのまま。昔さんざん遊び倒して、今はエドワードに夢中というところも同じ。寝汚かったり嫉妬深かったりするのも同じだ。
違うのは、選んだ職業と立場だった。准将という地位で、国軍総本部に勤務しているらしい。名前を聞く限りでは、部下はお馴染みの連中のようだ。将軍位で、国家錬金術師。内にも外にも、たくさんの敵とたくさんの味方がいる。

「とりあえず出勤したほうがいいぜ。ほらこれ、軍服」
エドワードが持ってきた青い服を、手伝ってもらいながら着た。腰につけたガンホルダーがとても気になる。まさかこれ、撃てとか言うんじゃないよな。私は善良な市民で、銃なんて本物を見たのすらこれが初めてなんだ。撃ち方なんか知らない。
「あとこれ」
差し出された白い手袋には、赤で妙な模様が手描きされている。
「あんたが錬金術使うときに手にはめるやつ。持ってなきゃ不審に思われるかも」
ポケットに突っ込まれたそれは、なんてことのない手袋に見えた。これでどう錬金術を使うと言うんだ。ていうか錬金術ってここでは普通なのか。中二病患者の幻想ではなく。いや、まさに異次元だ。理解できない。
くらくらする頭を押さえて立ち尽くす私に、エドワードがにやりと笑った。
「なかなか肝が座ってんじゃねぇか、あんた。全然動揺してるように見えねぇぜ」
「……いや、動揺もできないくらい動揺してるよ。きみこそ、愛する旦那様が行方不明だというのに随分落ち着いてるんだな」
「愛する旦那様かどうかは置いといて。まぁ、多分寝たらまた入れ替わるんじゃねぇかって気がするし」
エドワードも手早く出かける支度をする。ついてきてくれるらしい。
「だから一日あんたのサポートしてやるよ。言っとくけど、大サービスなんだからな?感謝しろよ」
「そうだな。助かるよ、ありがとう」
「…………………」
黙ったエドワードが、私をじっと見つめる。
「……たいさの顔でそんな素直に礼言われっと、すっげぇ違和感しかねぇんだけど」
「…………………」
今度は私が黙った。こっちの私という男は、いったいどんなやつなんだ。

「けどさ、面白ぇな」

外に出ながら、エドワードがくすりと笑った。

「顔とかしゃべり方とかそのまんまだし、確かにあんたはたいさなんだけどさ。育った環境っつうの?それが違うと、中身もこんなに変わるもんなんだな」

「………そうだな」

本当にそうだ。

だって私のエドワードは、そんなふうには笑わない。

こちらのエドワードは、見かけも性格もだいたい同じようだが、決定的に違うものがあった。

話し方。ふとした表情。仕草や振る舞いも。

どう育てばこんなふうになるのか。粗野で粗暴、だけど計算高くて狡猾で。
ときに見せる表情は、まるで野性の猛獣そのもの。金の瞳に恐怖を感じるなんてことは初めてだ。

銃が普通に身近な存在であるこの世界では、これが当たり前なのかもしれない。そうでなくては、生きてこれなかったのかも。

それにしたって、とちょっと考える。

私のエドワードとそっくり同じ顔と声で、これ。

見た目と中身にギャップがありすぎて、なんだかついていけない。

「あ、ほら。迎えが来たよ」
エドワードが指すほうを見ると、角ばった厳つい軍用車がこちらへ走ってきていた。
運転席でタバコをくわえているのは、ハボックだ。
見知らぬ風景に見知った顔を見つけて、ほっとした。たとえ中身が知らない男だったにしても、どっちにしろハボックなんだ。たいした違いはないだろう。
「しょーい、おはよー!」
元気に手を振るエドワードから、視線を外して空を見た。

抜けるような青空。

私のエドワードは、なにをしているだろう。

「………まさか、」

「へ?」

「まさか、こっちの私があっちに行ってるとかじゃないだろうな……?」

「え……そりゃ、中身が入れ替わったんなら、たいさはあんたの体にいると思うけど………」

なぜか怯えた顔をするエドワード。なにがなんだかわからない顔で私とエドワードを交互に見るハボック。

だが私の頭の中は、異世界にいるはずの私の天使のことでいっぱいだ。

「まさか、私の宝物に手を出したりとか、しないだろうな?こっちの私は」

「……さぁ。あいつ浮気とかしたことねぇけど……でも相手はオレなんだよな?」

それって浮気になるの?と首を傾げる様子は可愛いが、それは今はそれとして。

あっちにいるのも私なら、金の天使を見ておとなしくしているはずがない。

猛烈な不安に襲われて禿げそうな気持ちで震える私を、こちらのエドワードが呆れた目で見守ってくれていた。




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