小話

□初めまして、相棒
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自宅に帰ると、家の前に黒い高級車がとまっていた。
「………?」
側へ行き、中を覗く。運転席に座っている男は、俯いたまま顔をあげない。
小さなガレージに原付バイクを入れ、ヘルメットを脱ぎながらまた車を覗いた。男はまだ俯いている。
「ロイ、……寝てんのか?」
窓を数回叩いてみた。
はっと顔をあげたロイは、覗きこんでいるエドワードに微妙な笑みを浮かべて窓を開けた。
「やぁ、エドワード。待ってたよ」
「………どうかした?」
なんか、いつもと様子が違う。
怪訝な顔のエドワードに、ロイは助手席を指した。
「乗ってくれ。話がある」
「…………うん」
ロイの目はひどく真剣で、眉は苦しげに寄せられている。
どうしたんだろう。なにかあったんだろうか。
ゆっくりと走り出す車。運転するロイは前だけを見つめ、ひとことも発しない。いつもなら、仕事の合間に誰かに声をかけられたりしなかったか誘われたりしなかったかとうるさいくらいに聞いてくるのに、今は黙ったままただハンドルをきっている。

話って、なんだろう。

「あの、……出張、どうだった?」
会話の糸口を探し、ロイが数日出張していたことを思い出して聞いてみる。
「ああ、……まぁ。うまくいったよ」
それだけ答えてまた黙ってしまうロイに、あとが続けられなくなってエドワードも黙った。

なんだか、怖い。

思わず両手をぎゅっと握ると、薬指にはまった指輪の感触。

ロイと婚約して、もう一年になる。

まさか、解消したいとか。
誰か好きな人ができて、自分と別れたいとか。

そんな話だったらどうしよう。冷静に話ができるだろうか。

車はロイのマンションの駐車場に滑りこんだ。
「来なさい」
それだけを言うロイについて行きながら、考える。

自分はなにかしただろうか。なにか、ロイに愛想を尽かされるようなことを。
なにもしてない。数週間会わなかったし、その間お互い仕事があってろくに連絡もとらなかった。その前に会ったときは、ロイは普段とまったく変わらなかったと思う。

会わなかったからだろうか。
連絡もしなかったからだろうか。
その数週間の間に他に誰か恋人ができて、気持ちが変わってしまったんだろうか。

ロイの部屋は以前来たときと変わらない。変わったといえば、前よりもっと乱雑になっているくらいで。
そこに女性の影はなくて、エドワードはほっと息をついて、知らないうちに緊張してしまっていたことに気がついた。
「おいで」
手招きされて側に行くと、すぐに抱き寄せられた。胸いっぱいに吸い込むロイの匂いに、本当に久しぶりだと実感する。
抱きしめられて、倒れ込んだのはベッドの上。ロイはなにも言わず、エドワードがまだ着たままだった会社の制服の下に手を入れた。
素肌に触れる手のひらの感覚に意識を奪われそうになって、慌ててその手を掴んで止める。
「ちょ、待って。話って……」
「そんなのはあとだ」
「いや、だって。気にな…」
唇を塞がれて、あとは言えなかった。







エドワードは目を開けた。
いつの間にか眠っていたらしい。カーテンの向こうはもう夜だった。
隣に手を伸ばしたが、ロイはいない。体を起こして部屋を見回すと、キッチンのほうから小さな話し声が聞こえていた。
「……いや、まだ話してない」
耳を澄ますエドワードに、そんな言葉が聞こえてくる。電話をしているようだ。
「え?……いや、わかってる。どうせ言わなきゃならんことだ」
ロイの声は、迷うような響きが含まれていた。エドワードはベッドに散らばった自分の服をかき集め、なるべく音を立てないようにして着こんだ。ロイが今話している相手が誰なのかはわからないが、その内容は自分のことのような気がする。
「……覚悟を決めなきゃならんのもわかってるさ。でも、………」
やっぱり、新しい恋人ができたということなんだろうか。相手はその人で、自分と別れろと言われてロイが困っているのでは。

ロイは、優しいから。
だから、自分に別れを言い出せないんだ。

「今から来る?いや、今あの子は眠ってるし……そりゃ早いほうがいいかもしれないが、心の準備というものが……」

エドワードはベッドから降りた。スプリングが軋む音に気づいたロイが黙る。

これ以上、ロイを困らせたくない。恋人が今から来るというなら、なおさらだ。

言えないなら、自分から。
エドワードは意を決して、キッチンから出てくるロイを見つめた。

「起きたのか、エドワード。今から…」
言いかけた言葉を遮って、口を開いた。
「オレのことなら、気にしなくていい」
声が震えないように。
驚いた顔をしたロイに、無理に笑顔を作ってみせる。
「オレなら大丈夫だから。また明日な、ロイ」
「え?泊まらないのか?」
「うん。……もう来ない。さよなら、ロイ」
そう言って、急いで玄関に向かう。
ヤバい、泣きそう。さっさと出て行かなくちゃ。
慌てて靴を履こうとするエドワードの腕を、ロイが掴んだ。
「待て、エドワード。さよならってなんだ。もう来ないって」
「言った通りだよ。明日からあんたのことちゃんと社長って呼ぶ。心配しなくてもオレは大丈夫だし、しつこくしたりしねぇから」
早口で言って、ドアに手を伸ばす。けれど、掴まれた腕を引っ張られて届かなかった。
「どういうことだ、それは。まさか私と別れるつもりなのか?」
怒ったような、焦ったような声。
「冗談じゃない、エドワード。別れると言うなら、帰らせることはできん」
引きずられるようにして、エドワードはまたベッドの上に戻った。ロイを見ると、さっきまでよりももっと真剣な目で自分を見つめている。
「言ったところで聞く気はないが、一応聞いてやろう。理由はなんだ?他に誰か好きな奴でもできたのか?」
「え………」
「なんと言おうと、離さないよ。きみは私のものだ、絶対に別れてやらん」
「……………」

…………あれ。

「じゃ、……なんであんた、あんな顔してたの」
「…………あんな顔?」
「オレ、てっきり別れ話されるのかと………別れたくてロイが困ってるんだと思って、だから自分から」
「ちょっと待ってくれ。誰が別れ話をするって?」

………違ったらしい。

「えーと……じゃあ、なんの話があんの?」
「仕事の話だが」
「………………」

安心したと同時に、引っ込んだと思っていた涙がぽろりと零れ落ちた。

なんだ、違ったんだ。
別れ話じゃなかったんだ。

ロイは、まだ自分を好きでいてくれたんだ。

「……心臓がとまるかと思ったよ…………」
ふぅ、と息をついたロイが、エドワードの顔にかかる髪をかきあげて目尻にキスをした。
「誤解させたなら謝る。だから、取り消してくれないか」
「取り消す?」
「さよならを取り消してくれ。でなきゃ安心して眠れない」
それは、いつものロイだった。優しく愛しげにこちらを覗きこんでくる黒い瞳に、エドワードも安堵のため息をつく。
「………よかった。オレ、あんたに愛想尽かされたのかと……」
「そんなはずないだろう。会いたくて会いたくて、気が狂いそうだったんだぞ」
「でも、」
仕事の話なら、なんであんな顔を。
そう聞こうとしたとき、ベランダからガラスをごんごん叩く音が響いてきたと思ったら、そのまま勢いよくガラス戸が開いた。

「お待たせ!って、あら。取り込み中だったかしら」
「そんなんあとにしてくださいよ!ほら、エド!今日はおまえのお祝いだぞ!」
賑やかに入ってきたのは、隣に住む同棲カップルだった。二人とも料理の載った皿や缶ビールの入った袋を抱えていて、それをテーブルにどんどん並べていく。
「………来たか」
舌打ちとともに呟いたロイ。さっき電話で話していたのはこの二人のどちらかだったらしい。
「お祝い、って?なに?」
体を起こして聞くエドワードに、ハボックが呆れた目をロイに向ける。
「あんだけ言ったのに、まだ話してなかったんスか?往生際悪すぎでしょ、あんた」
「うるさい」
不機嫌そうに答えたロイがベッドを降りてソファに座り、エドワードに向かって隣を叩いてみせる。
そっちへ行きながら、エドワードはこっそり息をついた。さっき服を着ておいてよかった。
四人がテーブルを囲んで座ったところで、リザがにっこり笑う。
「エドワードくん、あなたの仕事が決まったわ」
「オレの?」
「今まで横乗りばかりだったけど、来月からは一人で仕事してもらうわ。今日、話を決めてきたの」
「ほんと?……でも、まだオレ免許が……」
普通免許しか持っていないエドワードは、入社してからずっと横乗りの仕事をしていた。横乗りとはそのまんま助手席に乗るという意味で、要するに運転手の助手。積み込みや荷おろしを手伝う仕事のこと。
一人で仕事をするなら、車も自分で運転しなくてはならない。ロイの会社にあるのは中型か大型ばかりで、普通免許を取得してまだ一年しか経たないエドワードがそれに乗る資格を得るには、まだまだ待たなくてはならないはずだった。
「大丈夫。車は手配済みよ」
「手配?」
「新車じゃなくて悪いんだけど、2トン車を買ったの。今、塗装に出してるとこ」
「………2トン車………」
「そう。あれなら普通免許で乗れるから」
見たことはある。普通のワゴン車より少し大きい程度の、トラックの中ではかなり小さい車。
「オレの、車……?」
呟くと、ハボックが笑って頷いた。
「新古車だよ。ほとんど使ってねぇ車だから、新車みたいにきれいだぜ。おまえ、調子に乗って飛ばしてぶつけんなよ?」
「………え、マジで?…ほんとに?」
隣のロイを見上げると、家の前で会ったときのような微妙な顔をしていた。
「反対したんだがね……リザが勝手にどんどん話を決めてしまって」
「社長のワガママをいちいち聞いてたら仕事にならないでしょ」
エドワードには笑顔のリザの目は、ロイには冷たい。
「エドワードくんももう入社して一年経つんだし、いつまでも横乗りしてるわけにもいかないわ。そろそろトラックの運転にも慣れておかないと」
「いや、でも。一人でなんて……どんな危険があるか」
「いつまで子供扱いする気ですか?そんなんじゃエドワードくんが一人前のドライバーになれません」
「そんなものならなくても、この子は私の隣に乗っていればそれで」
「マスコット人形がほしければ、ゲーセンで取ってきたらどうですか」

言い争う声をぼんやり聞くエドワードの胸に、ようやく実感が沸いてくる。

自分の車。
自分の仕事。

嘘みたいだ。

本当に?

「ありがとう、リザさん」

嬉しくて嬉しくて、どうしたらいいかわからない。

礼を言って笑顔になるエドワードに、ロイはまた眉を寄せて不満そうな顔になった。




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