小話

□猫の恩返し
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今日も仕事はきつかった。
すっかり陽の暮れた街を部下の運転する車で走りながら、ロイは深いため息をついた。タバコをくわえてミラーを覗く部下がどっか飲みに行きましょうよと明るく言うが、そんな元気がどこにあるんだ。
「そんなに元気が余っているなら、明日からおまえの仕事を増やそうか」
「やめてくださいよ!八つ当たりですか」
慌てて文句を言う部下から目を逸らし、窓の外を眺める。暗い住宅街に歩く者の姿はなく、家々に明かりが灯っていた。

それを見ていたロイの目を、きらりとしたものが掠めた。

路地の奥で、なにかが光を反射している。

金髪、のような。

「停めろ!」
言うと同時に部下の頭を平手打ちする。部下は急いでブレーキを踏み、文句を言おうと振り向いた。
そんなものに構っている暇はない。ロイは車から飛び出て路地へと走った。後ろから部下も慌てて追ってくる。
「ちょ、大佐!護衛を置いて勝手に行かねぇでくださいよ!」
「うるさい。おまえに護衛されるほど落ちぶれてない」
「どういう意味スか。聞きたくねぇけど」
部下を連れて路地に駆け込むと、さきほど見えた金色が落ちているのが見える。
駆け寄って覗きこむ。美しい金髪を持つ小柄な少年が、ぐったりと路地に横たわっていた。

「おい!大丈夫か!」
抱き起こして声をかけると、少年はほんの少し唇を動かした。
「なんだ?」
ロイはそれへ耳を近づける。
その間に部下が素早く少年を見分した。
「外傷なし、着衣に乱れなし、意識あり…」
それを意識の片隅で聞きながら、ロイは少年の言葉を聞こうと身を寄せる。

「…………腹、減った……………」

どうやら行き倒れらしい。











自宅に連れ帰り、部下に買いに走らせた夕食を出すと、少年は元気よく食べ始めた。一緒にテーブルについたロイとその部下が呆れて見ているうちに、少年は自分の前に置かれた皿をすべて空にしてグラスに注がれた水を飲み干して、にっこり笑った。
「ありがと!もーマジ死ぬかと思った!」
「………ああ、いや」
これも食べるか?
差し出した皿を少年は断らない。すぐに手を出して、またきれいに空にする。いったいいつから食べてないんだとロイは感心してそれを眺めた。
「えーと。おまえ、名前は?住所はどこだ?親は?」
部下が思い出したように聞くと、少年はそちらをちらりと見た。
「エドワードだよ。家はねぇし親もいねぇ」
「孤児か?だったらどっか施設から逃げてきたとか?」
「違うよ。オレ、恩返しに来たんだ」
「…………恩返し?」
「そう」
少年は頷いて、怪訝な顔を部下と見合わせるロイを見た。
「ここらへんにマスタングさんて家ない?オレ、それ探してるうちに迷っちゃって」
「ま、マスタング…」
近所にその名の家はない。
ロイは少し迷ってから、恐る恐る言ってみた。
「私はロイ・マスタングというんだが…まさか、」
うちのことかと聞かないうちに、エドワードと名乗る少年は飛び上がるように椅子から立ち上がった。
「あんたがマスタングさん?わ、偶然!ラッキー!てか返さなきゃならない恩がひとつ増えた気がする」
嬉しそうにきらきらした目で自分を見るエドワードに、ロイはひたすら戸惑った。
「私はきみとは初対面だし、返してもらうような恩を売った覚えはないんだが」
「オレとは初対面だよ。覚えてねぇ?あんた、先月野良猫に飯やっただろ」
「の、野良猫………」
ロイは忙しく考えた。

先月。
そういえば久々の休みに散歩をして、帰りにパンを買って公園を通り抜けた。
そのとき、植え込みの陰に野良猫がいるのが見えた。
焼きたてのパンの匂いに惹かれた猫はじっとこちらを見ていた。いつもならそのまま通りすぎるけれど、そのときはなぜか立ち止まってしまって。
猫は後ろに小さな子猫を数匹隠していた。
足を止めた自分を警戒するように睨む母猫はひどく痩せていて、ロイは思わず買ったばかりのパンを袋から出していた。

「…………あれか?」
呆然と呟くロイに、エドワードは笑顔でこくこく頷いた。
「あれは、きみの猫だったのか?」
「違うよ。オレ、猫の神様なんだ」
「…………………は」
「…………………な」
ロイと部下は同時に絶句した。
神様ってなんだ。
もしかして、この子は頭が足らない子なのか。
「こないだ集会やったときに、その猫があんたのこと言っててさ。おかげで子供も飢え死にしなくてすんだ、ってすごく感謝してて。だから、オレが恩返しをしようと」
「………………はぁ」
「………………猫の、恩返し…ねぇ…………」
鶴はなにかの昔話で見たことがある。
だが、猫とは。
「なぁ、なにか願い事ない?なんでもいいからさ、なんか言ってよ!」
にこにこと言うエドワードは嘘をついているようにもからかっているようにも見えない。
だが、誰がそんな話を信じるというんだ。

部下はロイをちらりと見た。
ロイも部下を見た。
それだけで意思の疎通ができてしまう。考えることは同じらしい。

この子はロイが猫にパンをやるのをどこかで見ていたのだろう。
そして、なにかで家出でもしてきて、行き場に困ってこんな作り話をしているに違いない。

「……大佐、オレ帰ります」
「ちょ、待て!おまえ冷たいぞ」
「いやいや。明日も仕事ですから」
すがりつくロイを振りほどいて、部下はさっさと立ち上がった。玄関を開けて振り向いて、エドワードに向かって片手をあげてみせ、
「じゃ、またな。エドワード」
「うん、またね!」
全開の笑顔で手を振るエドワードに苦笑して、部下は帰って行った。

見捨てられたような気分で落ち込むロイの側に戻ってきたエドワードは、どうしたの?と顔を覗きこんでくる。
「願い事に迷ってんなら、一週間くらいなら居られるから。ゆっくり考えなよ」

一週間居座る気なのか、こいつは。

ロイはため息をついて、仕方がないと諦めた。
明日、優秀な副官に頼んで捜索願が出ている家出人のファイルを調べてもらおう。顔は部下が見ているし、特徴はありすぎるほどある。

ロイは顔をあげ、皿に残った唐揚げをつまんでいる少年を見た。

美しい金髪。珍しい金瞳。整った可愛い顔は女の子のようにも見える。

これが神様だとしたら、ずいぶん食い意地の張った神様だ。




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